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ワタクシ流☆絵解き館その179 ヨハネス・フェルメール「デルフトの眺望」の雲の明暗

ヨハネス・フェルメール 「デルフトの眺望」 油彩 1660~1661年 マウリッツハイス美術館蔵 ※ただし一部筆者が加工している 実作とは異なる

■ 明るさの描き分け

上の図版は、筆者が一部加工している。
上端部の雲を明るい色調にして、雲の調子を単一にした。えっ、加工した?と思った方は、これまでフェルメールの「デルフトの眺望」を漫然としか見ていなかった人になる。
実作は下の図版のとおり。

ヨハネス・フェルメール「デルフトの眺望」 油彩 1660~1661年 マウリッツハイス美術館

上のふたつの図版を比べて見てほしい。黒みがかった雲が絵に「重石(おもし)」を効かせているのだ。
黒みのある雲と無垢なイメージの白雲の響き合いが、この街に流れて来た歳月の積み重ねを呼び起こし、ある街並み、家並みに厚みをもたらしているように見えないだろうか。
明るい雲だけの広がりでは、のどかな好日の印象が強く、視線は空へいざなわれる。

雲と地上とは明るさ具合が対応していることもわかる。
画家が立っている地点の手前側にある黒い雲が光を遮って、川の向こうの近景をなす門や建物は影になって沈んでいる。
その対応をわかりやすくするため、暗い建物の部分だけトリミングして網掛けし、明るい雲と川辺を消してみたのが下の図版Aだ。

加工した図版A

対照的に、画家が立っている地点から遠い処にある雲は光を透していて、遠くの建物を明るく照らしている。
明るい部分だけトリミングして、関係を示したのが下の図版Bだ。
ここで、人物の立つ川辺も明るく描かれていることに気づく。それは手前の黒い雲は、川辺の上空までは覆っていないということを意味する。

加工した図版B
ヨハネス・フェルメール「デルフトの眺望」部分  キャプション挿入

■ 何を暗示しているのか

こういう暗示が込められているのではないだろうか。
川辺の情景、あるいは明るい雲とその下の日を受けた風景⇒現在と栄光の過去を象徴
黒い雲とその下の影を帯びた建物群⇒苦難の時代を象徴

栄光の時代、穏やかな時代があり、また街がなくなるほどの苦難の時代もあった。しかしデルフトは未来に向かいまた歩み始めている。我が故郷デルフトは滅びない。簡単に言えば、そういう感懐をこめているのだろう。
苦難の時代というのは由なきことではない。
この絵の制作年1660~1661年以前に近い1654年に、街の火薬庫の大爆発があり、この絵の場所ではないがデルフトの北側の街が焼け、続いて1660年にはこの絵の門の背後の武器庫からの出火があって、デルフトの街は大きな厄難に見舞われた事跡がある。
もちろん、そういう近々の出来事だけでなく、さらに長い歳月に思いが及んでいて、ひとつの街の歴史には、かならず繰り返される明暗がある、という哲学的な想念を示していると取るべきかもしれない。

■「デルフトの眺望」へのオマージュとして

筆者は、「デルフトの眺望」のオマージュとして描いたのが、アンリ・ルソーの 下の絵「私自身、肖像=風景」( 1890年 プラハ国立美術館蔵 ) だと思っている。「デルフトの眺望」は、1866年、フランスの今日まで続いている最も古い月刊美術雑誌に高評価で取り上げられて、広く知られるようになった。ルソーが「デルフトの眺望」の画像を見て、魅了されたとしてもおかしくはない。

◇ 自分の故郷 ( この絵ではパリ ) のなじみのある風景
◇ 明るい雲と、やや濁れた雲の対比
◇ 尖塔のある建物が明るく陽を受けている―下図A
◇ 川辺にもやう黒い船影と佇む人影 係留杭も描いている―下図B

などに、オマージュ ( 芸術的賛意 ) の意識が見て取れると思う。
ただ俺はここにいるというルソーならではの大ぶりな主張は、フェルメールにはないが。万国旗の連なりは、「俺の流儀」ではこう描くというルソーの愛郷心表現だ。

アンリ・ルソー 「私自身、肖像=風景」 油彩 1890年 プラハ国立美術館蔵 

                                                            令和4年9月          瀬戸風  凪

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