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Essay Fragment/日々のうた織り ⑥ 停車駅の光景

晩春のある日、午後4時を少し回った時刻。二両ほどのローカル線の電車の乗客はまばらだった。私は普段より早めの帰宅でその時間に電車に乗っていた。単線なので、反対方向行列車すれ違いのための停車時間がある無人駅でのことだ。

ぼんやり駅舎方向に目をやっていて、日暮にはまだ間のあるこんな時間には珍しい千鳥足の酔っ払い ( 中年男性 ) に気づいた。改札口に向かおうとしているのか、それともこの電車に乗ろうとしているのかわからない足取りだ。その直後だった。その男が私の視線から消えた。どうとばかりの勢いで、プラットホームから引き込み線側へ落ちたのである。
数人もいない車両の乗客は、誰も気づいた様子がなく、無人駅なので駅員もおらず、プラットホームには人影もない。あまりに唐突な出来事に私は身が固まってしまったが、誰もいないのなら助けなければ、と思い立ち上がった。しかしそのとき、発車の注意音が鳴りすぐに電車の昇降ドアが閉まった。ちょうど発車時刻になったのだった。

ドアが閉まった瞬間、私を突き上げていた衝動は消えた。私は大きな息をつき座り直した。心臓の動悸がまだ余韻を残していた。しかし、この出来事を私以外は誰も見ていなかったようだから、車掌に伝えて、しかるべき対処をしてもらわなければならないと私は思った。頭を強打して、気絶しているかもしれないのだから。
電車始動のモーター音が床の底に伝わり始めた。車掌は後ろ車両にいるだろうと思いながらも、なぜか私は金縛りにされたように、すぐには腰を上げられず、酔っ払いの落ちた場所をまだ見つめていた。

いけない、急がなければ、と思い直し立ち上がろうとしたそのとき、プラットホームの縁石にひょこりと手が現れた。( ああっ!) 私は、思わず声に出していた。電車は、もう動き始めていたが、手の次に、腕が、そして肩が、腰が、私の危惧を裏切る力強さで、プラットホームの縁に現われ出る様子を、次第に遠くなってゆく光景の片隅に見た。
酔っ払いは自力で這い上がって来たのだった。私には、酔っ払いがそれぞれの体の部分のひとつづつを、私に認めさせるかのように思えた。
( 救われた ) という思いが私に湧いてきた。それは、酔っ払いが、ということではなく、自分が、である。もし、酔っ払いが大きなけがをしていたとしたら、落ちたのを見たあと瞬時に、電車から外に飛び出して助けることが出来なかったのが、心に小さなひっかかりとなって残ったかもしれないと思ったからだった。

電車到着のわずか二分前、プラットホームから線路に落ちたサラリーマンを高校生の兄弟が二人して救け上げたという美談報道を聞いたのは、この出来事の少しあとだった。素直に首 (こうべ) が下がる思いに満たされた。と同時に、人は本性というものを天から試されている、という思いもよぎった。
その試問の場は、一生のうちののどこに置かれているのかわからない。酔っ払いの転落を私に見せたのは、あるいは私へ、天がふと投げかけた試問だっただろうか。
結果として私は何も行動したわけでなく、私の心の内だけを吹き過ぎたひとすじの疾風であるばかりなのだが‥‥。

                                      令和6年5月        瀬戸風  凪
                                                                                       setokaze nagi

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