ワタクシ流☆絵解き館その113 絵にしにくい武将、源頼朝の「絵」を探る。
源頼朝を描いた絵としては、頼朝の顔なのかと、真偽論争の起こっている神護寺所蔵の、誰もが知る肖像を除けば、重要文化財指定の前田青邨「洞窟の頼朝」(公益財団法人大倉文化財団所蔵)が先ず挙げられるだろう。この絵は前田青邨の代表作にして、日本画の精髄を示している傑作だ。
しかし、波乱の生涯を生きた歴史上特筆すべき武将にしては、多くの人が思い浮かべるであろう図柄が他になく、絵になる場面の乏しい人物と言えよう。
とはいえ、頼朝の事績を追った書物は多い。それを中心に、錦絵まで範囲を広げて、描かれて来た頼朝像を探ってみた。
戦場での場面のない頼朝の「絵」のなかで、富士の裾野の巻狩りは、戦場の代わりの役目を果たすシチュエーションだ。
徳川家康は、徳川の出自に源氏を名乗ったことの政治的配慮もあって、頼朝を畏敬する態度をとったと思われるが、「堪忍辛苦の人」といった見方をしている。
一方実態は、武力の背景のみを恃みとする坂東武者たちに担がれてなった政権の顔として、寸分の気のゆるみも許されない、政治的配慮の中で生きるしかなかった人でもある。
人物像を造形しにくいのだ。彼を主人公にした、説話文学が書かれなかったことも、わかりにくさの要因だろう。
最後に、頼朝とは対照的に絵にしやすい武将、弟義経の、まさにこれぞ義経と言うべき絵を掲げておく。一の谷鵯越え(ひよどりごえ)の場面だ。
日本歴史物語全集3「源平盛衰記」昭和11年、新日本社刊口絵より。
令和4年2月 瀬戸風 凪