詩の編み目ほどき④ 新川和江「Negative」
詩の門戸を日常から続く道に面して開き、誰でもがその中庭に憩い、吹き抜けてゆく風を楽しむベンチを、ただ一人で守り続けている現役の詩人、新川和江さん。
「現代詩は滅ぶかもしれないわね」という新川和江の言葉がある。( 2015年11月30日の産経新聞のインタビュー )
その言葉の後に、私は《新川和江を失えば、のちにほどなく》と付け加えたい。「最近注目されている若い詩人の現代詩は、何を言おうとしているのか分からなくなってしまった」とも新川和江は言っている。まったく同じ思いだ。
そういう唯一無二の存在の、新川和江のいくつかの詩は広く愛誦されているが、それでも、多くの人に共通して取り上げられているのは、新川和江の詩の全業から見れば、たとえば「わたしを束ねないで」を代表とする、ほんの一端にすぎない。
傑作が咲き満ちている詩集『比喩でなく』 ( 昭和49年刊 著者39歳 )より、 触れられることのない作品「Negative」 に目を止めてみたい。以下その詩の全体を掲げる。
Negative 新川和江
《 結婚式を終えたばかりのカップルが
にこやかに腕を組んで
石段を降りてくる 》
この明るい風景。しかし直後に一転、この風景は、閉じられるべき絵になる。
《 いうまい
その花嫁をわたしだ
などと 》
「Negative 」で《 いうまい 》と自分に銘じているもの、その言葉のつぶてが打った思いを、私は、新川和江24歳の第一詩集『睡り椅子』のなかの「橋をわたる時」という、軽快な詩に見る。
「橋をわたる時」の《 橋 》は、「Negative」では、新郎新婦が降りて来た教会の石段なのだ。いつでも村が、れんげの花ざかりで待っているような夢情感は、カップルが今しがた結婚式を終えた教会のなかにも確かにあったと感じている。
《 いうまい
道が村へと続かずに
まっすぐ砂浜へのび
渚ににじんで消えているのはどうして
などと 》
けれど新川和江にはもう、石段を降りた先には砂浜に続く道しか思い描けないのだ。そうあるべきと確信しているから、そのわけを言葉にしないことを自分に課すのだ。
つまり、そのわけとはこうだろう。ごく普通の、日常の時間を、ひとりの恵まれた主婦の眼差しで、美しくうたうことをしたくない、という胸を突き上げる思い、それは詩人としての、現在とこれからの立ち位置を自ら定める意志である。
同じ詩集『比喩でなく』のなかに「わたしを束ねないで」という、多くの人に愛好され、繰り返し取り上げられる詩がある。下に挙げたその一節は、同じ水脈に通う思いの表現である。
《 わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください 》
第一詩集から15年、新川和江は、出発地点を全面的に肯定したくない創作者の苦悩を持ち続けていた。浅瀬に洗われる貝殻のかけらが鳴る音のような、涼やかな幸福に、それが一瞬の幻影であっても、そこに自らを写し替えて重ねることを否む。
《 ためらいにも似たかるい眩暈を覚えただけだ
そのしめくくりに
いっときにがく濡れただけだ 》
新川和江には、人の何倍も、ひとつの事象を美しく装飾する言葉の技量があるが、新川和江が詩で取り出して示すのは、現実を見なければならない眼に、霧を降らせる幻想の罪である。
詩情の海面をただ帆に任せて滑りゆくのではなく、櫂を海底へ向けて挿し入れて、船を進める手応えをつかみたいと思う焦燥に、新川和江は衝き動かされている。
身を亡ぼすまで新川和江の感性は幻想を鮮やかに組み上げられるのだが、それは自分の立つ細く崩れやすい足元の地盤を掻き起こして、きれいな石だけをより分けていることだと、新川和江は知っている。
だから、虚構の一点を置いてそこから見ることをしない。小説家として立つことを早くに諦めた自覚にもつながっていよう。新川和江の措辞の技量を以てすれば、しゃれた都市生活をちりばめた小説を書くのはたやすいことだ。だが新川和江は自分の創作の中に、自分の分身とはなりえない虚構の一点を座とすることは出来なった。
第一詩集『睡り椅子』が出て間もない頃の、「新詩人」という雑誌 ( 新詩人社 [編] 昭和28年8月号 ) に、龍野咲人 ( 詩人 ) の次のような書評がある。
「新川和江さんの処女詩集『睡り椅子』は、花と夢にみちた美しい詩集だ。女性らしい空想がゆたかに薫っていて、現実から遠いところへつれてゆかれる心地がする。その処で鮮明な感想は、こらがほんとうの現実なのだと語ってくれる。( 中略 ) 彼女の思想は、いつわりなく生活を記録するところから生まれた。( 中略 ) 言葉の諧調は、いかにも端正だ。そのため詩を一つ一つ読み味わうのがもどかしくて、詩集全巻を一気に読んでしまいたい程だ」
新川和江が、第一詩集『睡り椅子』第二詩集『絵本「永遠」』を経て、脱したかったのは、上の書評のように、ありきたりの言葉でくくられてしまう周囲の見方、理解のされ方であった。
《 花の向こうは
誰も行けない
ましてや
村へはまがれない
花のこちら側で
せいぎり鋏 ( はさみ ) を鳴らすだけだ 》
《 花の向こう 》とは、端的に言えば理想郷であろう。「橋を渡る時」でうたっている村だと言ってもいい。ゆえに《 誰も行けない 》。
そして鋏は、花を切り取るための鋏である。その鋏を鳴らすのだ。花のこちら側、つまり現実生活=同じ様相を見せて繰り返される日常にあって。
使うことのないこの鋏だが、花を切り取って手に抱えたい気持ちまでは捨てない。
また《 花の向こう 》とは、詩「比喩でなく」の次の一節でもあるだろう。
《 比喩でなく
わたしは愛を
愛そのものを探していたのだが 》
詩作は、この言葉に熱がこもっているのかとペン先を止めさせる自問の営みであるべきで、また自身の今をまざまざと映すものであるべきという規律が、新川和江の信念なのである。
詩集『比喩でなく』は、詩人たるべき己への鞭 ( むち ) と読める。社交辞令のような、目くらましの華奢な額縁のような詩は書かないという覚悟を述べた詩篇が並ぶ。そして、その姿勢、その問いかけが、『比喩でなく』以降の、新川和江の創作の核心になっている。
英文字のままにしたこの詩「Negative」というタイトルは、創作の高みを希求する新川和江のため息、と読み取れるのである。
令和5年7月 瀬戸風 凪
setokaze nagi