「昔は良かった」というご意見をときどき耳にします。しかし、経済学者は、そのご意見に与しません。昔に戻ることもオススメしません。その理由とは?
昔は良かったという人が多いですが......
「今のほうが絶対いい」に大賛成です。
最近の経済学の研究によって「古き良き時代」の正体は「古き貧しきカツカツの生活の時代」だと言うことが明らかになってきましたので、別のnoteにも書いたのですが、少し加筆修正して再掲させて下さい。また、最後半部には、追加情報を載せました。
「古き良き時代」へのノスタルジーは理解できても、「古き良き時代」へは戻らない方がいいでしょう。
進歩史観は比較的新しい考え方です
まず、現代に生きるわれわれの多くは、多かれ少なかれこう信じています。
「人類は、いわばゼロである始原(アルケー)から出発して、たえず進歩してきた。多くの場合、今日は昨日よりも良く、明日は今日よりも良いだろう。無限のベターの積み重ねの彼方に、ベストの状態、至高のパラダイスが、終局(テロス)としてやがてやってくるはずだ」、という「進歩史観」がそれですね。
ところが、経済人類学者がいうには、この考え方は18世紀以降の産物で、「それまでの人類が共通して持っていたのは、アルケーにこそ楽園が存在し、人類はそこから次第に退歩し、堕落してきた」という「退歩史観」だったのだそうです。有名なエデンの園の話や中国の堯瞬時代の伝説などはその典型例です。
近年は退歩史観は否定されている
しかし、最新の経済学は、「古き良き時代が本当に良い時代であったとはとても言えない」という事実を明らかにしてきました。このグラフをご覧下さい。
[Gregory Clark, A Farewell to Alms: A Brief Economic History of the World, Princeton University Press, p.9, 2009]
これは、紀元前1000年から紀元後2000年までの一人あたりGDPの推移です。紀元前1000年から1800年ごろまで、グラフがほぼ横ばいであることがお分かりになると思います。
これは、人びとの豊かさが、この間、ほぼ変化がなかったことを示しています。これがマルサスの罠という、人類を長きにわたって捉えて放さなかった、一種の極限状態です。
なぜ、こうした横ばいのグラフになるかというと、以下のとおりです。
(1)食料は急激には増えない。理由は、たとえば土地をいくら増やしていったとしても、農業に適さない土地などにぶつかってしまうことがあって、食料生産はやがて頭打ちになる。
(2)しかし人間はネズミ算的に急激に増える。
(3)ただし、食料の限界を越えて人間が増えることはできない。その社会が扶養できる限界までしか人口は増えない。
(4)そして、社会の扶養限界まで目いっぱい人が存在するということは、その社会に余裕がないと言うことなので――満員電車の車内を想像していただければお分かりのように――一人あたりの豊かさは一定になる。それゆえグラフは横ばいになる。
(5)この「誰かを押しのけなければ、誰も豊かにはなれない状態」をマルサスの罠と呼びます。
これは一種の極限状態です。戦争、侵略、飢餓、病いがこの時期に多発したのはこのためです。そして、このマルサスの罠が1800年頃まで続いたことが、最新の研究で分かっています。
大分岐
しかし、1800年ごろ、世界に大きな変化が起きます。世界が二つに分岐したのです。そのきっかけがは産業革命です。
つぎつぎと産業革命に成功して急激な上昇カーブに乗っていく少数の国がある一方で、産業革命が起こらず、以前のとおりマルサスの罠に捕らわれたままの大多数との国に、世界は分岐してしまったのです。
これを大分岐(Great Divergence)と呼びます。
前者は日本を含む現在のOECDトップ諸国になり、後者の中でも最後尾のランナーは現在のサハラ以南のアフリカ諸国になっています。両者の豊かさの格差は最大で20倍以上もあります。
時代を遡ってもエデンの園にはたどり着けない
さて 「古き良き時代」を求めて歴史を遡っていくと、やがて、エデンの園や尭舜の時代にたどり着けるかというと、そうではないのです。
「古き良き時代」の正体がこのマルサスの罠であることを知ると、とても「昔は良かった」などとは言えません。
そして、ここ半世紀において、最後尾ランナーであるサハラ以南のアフリカ諸国でさえ、経済成長が生じて豊かになったことも分かっています。
したがって、世界は、格差はあれど、史上最高に豊かになっているのです。「昔は良かった」という郷愁は理解はできても、「昔に戻る」ことはお薦めしません。
それは人類の退歩以外の何物でもないからです。
補記
市民社会と人権をウォッチし続けているCivicusという国際NGOがあります。Civicusが最近まとめたレポートによると、自由と民主主義がはなはだしく侵害されている国に住まざるを得ない人は世界で40%もおり、これは2019年に倍増したとのことです。
一方、自由と民主主義が守られている国に住んでいる人は、世界人口のわずか3%に過ぎないとのことです。
日本はむろんこちらに属するのですが、問題はいろいろあるとはいえ、基本的人権が守られ民主主義が保たれているこの国の現在の、どこがそんなによくないというのでしょうか。
本当に昔はよかったのですか?