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104 願いはどこへ向かう②

 期待というのは、あまり信用しないほうが良い。

 唐突すぎるが、何かを思い描き、それが叶うかもしれないという期待を持っていた際のフローをそれぞれ考えてみた。

高い期待 → 叶う → 嬉しい(想定通り)
高い期待 →   叶わない   →   大がっかり(予測からの大外れ)

低い期待 →   叶う →   大嬉しい(想定外による上乗せ)
低い期待 →   叶わない →   小がっかり(当然だと受け入れやすい)

 第一の分岐点を、単純に50%の確率とした際、期待値まで考えることが出来たならば、経済学的には「低い期待」を持った方が合理的。の可能性が高い。かもしれない。???

 まあ、プラスの出来事が叶う/叶わない の場合であるので、これが、嫌なことであればまたフローと結果は変化するだろう。

 心配事の9割は起こらないとかなんとか言われているから、その分析すら不毛になりそうだから控えておく。というか、心配事なんてものは、たいていが過去か未来のことについてで、今まさに現実で行われていることではないと思う。

 過去の心配事なんてものはもう手遅れだけれども、未来の心配事はこれからどうとでも対処ができる。だからこそ、その心配すべてを無くすことはできなかったとしても、当初よりは削減できる可能性が高い。

 不安という感情、機能があるからこそ、「心配事の9割は起こらない」と言えそうですね。


予言

 6月頭に会社のTeamsで流れてきた、「夏期休暇の申請について」というチャット。

 通常は、当月末を締め切りとし、来月の16日から来来月の15日までのシフト希望を提出するよう言われる。だが、7/16~9/15までの2か月間のシフトを夏期休暇の希望も込みで提出するよう、6月頭に言われた。

 そんな先の予定なんて当然考えてもいないし、いつを夏期休暇にすべきだなんて教科書はどこを探しても見つからなかった。。

 何も考えずに、ただ暑さが和らぐだろうというだけの理由で選んだ、9/10~9/14の夏休み。

 散々学生の内は、社会人って夏休みはせいぜい5日程度しかないんだよな~。キツ。と考えていた自分の想像は、何とも未熟で、学生思考であるなと感じる、9/14の夕方である。

 前回触れたが、自分は本当に対外的な興味・関心が少ない人だと思う。

 結局、この5日間、所沢市内から出ることは1秒たりともなかった。
もっとこの機会を活かして、会える人に会いに行けばよかったと猛烈に後悔する日が来てしまうのだろう。

 5日間を長く感じ、まるでコロナ禍の無機質な生活に遡りしたかのような朝の目覚めが続いたのだった。

 昔奮発して買った、窓際の大型レゴ作品だけは、なにも変わらずに美しいままである。


大掃除

 だいぶ膨らましの内容が増えてしまったのだが、そろそろ言いたいことを書いて終わりへと持っていきたい。

 (毎度毎度、伝えたいことはただの一言で完結されるのは分かっているのだが、うまいこと「具体➡抽象」へと話を展開したい病におかされている。)


 この先も、”興味・関心が薄い”性質とは付き合っていかなければならない。

 いつになれば克服されるのか、何と出会えば昔のようなワクワクが取り戻されるのか。時計の針を進めることしか解決手段として思いつかない自分が嫌になってしまう。

 現状をただ憂いて、すでに持っているものだけで人生をこれからも送ろうなんざおこがましいにもほどほどがあるだろう。

 職場では、この若さを羨ましがられることがほんとうに多い。
若さと経験、この2つを同時に獲得するのはほぼ不可能だ。勝手に時間は過ぎて、若さからは逆ベクトルが伸びていく。ただ、時間の経過によって経験値もおのずと増えていくだろう。

 最適解を導くならば、若いうちにいかに多くの経験をするかどうかだ。

 説教臭く散々聞いた言葉。若いうちにどんどん挑戦して、たくさん失敗して経験を積みなさい。

 まだ社会人となって半年ではあるが、この言葉の重みに気が付き始めているのもまた事実。

 さっさと永遠の若さとはおさらばして、また明日からも、経験値獲得の果てしない旅路へとコースを戻していこう。


 明日からもがんばります。


 おわり。


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