【告知】コロナと真実:「自粛」で見えてきた世界(6月27日)
ポスト研究会第7弾は、科学史家の塚原東吾さん、脳神経内科医師で医療社会学者の美馬達哉さん、感染症対策史研究の野坂しおりさんをお迎えして、美馬さんの近刊『感染症社会 アフターコロナの生政治』(人文書院)を囲みながら「コロナと真実:「自粛」で見えてきた世界」について討議します。
ぽすけん企画 第7弾 トークイベント
「コロナと真実:「自粛」で見えてきた世界」
出演者:塚原東吾×美馬達哉×野坂しおり(司会・高原太一)
日時:2020年6月27日(土) 18:00〜20:00
場所:zoom(参加費500円/こちら→ Peatixで予約受付中)
【出演者プロフィール】
塚原東吾(つかはら・とうご)神戸大学国際文化教授。専門は科学史。江戸時代の蘭学からオランダサッカー、原爆、水俣、フクシマにも関心があり、いうならば「蘭学者(なう)」。『反東京オリンピック宣言』にも寄稿していて、ナオミ・クラインの災害資本主義と「ノーマルシー(平常性)バイアス」をネタにしている。ポスト・ノーマル・サイエンスを提唱してきたので、ニュー・ノーマルには抵抗感がある。ポス研ではポストコロナ時代のノーマルとは何かを問い直してみたい。
美馬達哉(みま・たつや)
立命館大学先端総合学術研究科教授/脳神経内科医師。難病を扱う脳神経内科の臨床と共に、医療や生存に関わる人文学的研究を行う。研究は手広く、ウイルスからグローバリゼーションまで。フーコー論は『生を治める術としての近代医療』(現代書館、2015年)、リスク学は『リスク化される身体』(青土社、2012年)でいったんまとめて、次のテーマを模索中。コロナについては『感染症社会』(人文書院、2020年)。
野坂しおり(のさか・しおり)
フランス社会科学高等研究院博士課程在籍。専門は19世紀後半〜20世紀初頭の感染症対策史、細菌学研究史。科学技術が医療を通じて人間の身体や微生物に働きかけてきた過程、またその政治性に興味がある。同時に、現代の近代科学、環境問題、社会的不平等について考える可能性を模索中。翻訳書に『人新世とは何か』青土社(2018年)、論考に「人新世は誰のものか;環境危機をめぐる対話と合意の政治性」(『地質学史懇話会会報』、2020年)。
高原太一(たかはら・たいち)
東京外国語大学博士後期課程在籍。専門は砂川闘争を中心とする日本近現代史。基地やダム、高度経済成長期の開発によって「先祖伝来の土地」や生業を失った人びとの歴史を掘っている。「自粛」期間にジモトを歩いた記録を「ぽすけん」Noteで連載中(「ちいたら散歩 コロナ自粛下のジモトを歩く」)。論文に「『砂川問題』の同時代史―歴史教育家、高橋磌一の経験を中心に」(東京外国語大学海外事情研究所, Quadrante, No.21, 2019)。
【トークテーマ】
コロナ禍と呼ばれ、「自粛」が余儀なくされるなか、私たちはこれまで意識することがなかった、あるいは目にすることが少なかった(かも知れない)存在や仕組みに注意を払いはじめた。エッセンシャル・ワーカー、外国人技能実習生、ネットカフェ難民や夜の街、または医療崩壊、社会距離、家賃など、一見バラバラに立ち現れた存在や現象は、同時に私たちに「問い」としても迫ってくる。
自分だけが助かればいいのか(Uber Eatsを活用しながら)、この数値は「正しい」のか(テレビで報道される感染者数を眺めながら)、この国の政治はどうなってるんだ(届かない10万円と届いたアベノマスクを前に)。問いのレベルも、さまざまである。
今回のトークでは、コロナという出来事/危機を「歴史的」アプローチによって検証してゆく。バラバラに見える現象や問題に、連関性や同時代性を与えながら、問題の本質に迫っていきたいからである。
捉えたいのは同時代的なヨコの関係性だけではない。時空間を飛び越えて、過去の出来事、例えばペストやSARS、原発事故との関係性を見出しながら、私たち自身の存在自体も問われているかも知れない<いま・ここ>の危機=「自粛」で見えてきた世界を根源的に批判していく。
その一歩となる踏み台を、『感染症社会 アフターコロナの生政治』を近刊予定の美馬達哉さん、「コロナから発される問い」(現代思想 緊急特集「感染/パンデミック」所収)の筆者である塚原東吾さん、パリ在住で『人新世とは何か』の訳者でもある野坂しおりさんという3人の論者と共に作り上げていければと思う。司会は、民衆史研究者で「ちいたら散歩 コロナ自粛下のジモトを歩く」を連載中(ぽすけんNote)の高原太一です。
記事自体は無料公開ですが、もしサポートがあった場合は今後の研究活動にぜひ役立てさせていただきます。