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#338 海の底から見える景色

あの3週間のこと。
なんか苦しかったなという感覚は、背中にじっとり張り付いて、未だに残っている。どうしてあんなに苦しかったのか分からないけれど、やっと海面から顔を出して、呼吸が出来るようになった今だからこそ、書けることがあると思っている。

中間試験が終わってからの3週間、私が見ていた世界を、今日はここに書いてみることにした。

 「正確な時刻はわからない。たぶん二時か三時か、そんなものだと思う。でも何時かというのはそれほど重要なことじゃない。とにかくそれは真夜中で、僕はまったくのひとりぼっちで、まわりには誰もいない。
 いいかい、想像してみてほしい。あたりは真っ暗で、なにも見えない。物音ひとつ聞こえない。時計の針が時を刻む音だって聞こえないー時計はとまってしまったのかもしれないな。
 そして僕は突然、自分が知っている誰からも、自分が知っているどこの場所からも、信じられないくらい遠く隔てられ、引き離されているんだと感じる。自分が、この広い世界の中で誰からも愛されず、誰からも声をかけられず、誰にも思い出してももらえない存在になってしまっていることがわかる。たとえ僕がそのまま消えてしまったとしても誰も気づかないだろう。
 それはまるで厚い鉄の箱に詰められて、深い海の底に沈められたような気持なんだよ。気圧のせいで心臓が痛くて、そのままふたつにびりびりと張り裂けてしまいそうなーそういう気持ってわかるかな?」

「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」
村上春樹

あの3週間を思い出そうとしたら、急に1年ほど前に国語の授業で勉強した村上春樹さんの文章が頭の中に浮かんだ。


「厚い鉄の箱に詰められて、深い海の底に沈められたような気持」


今まで18年間生きてきた中では、どうやらこの言葉があの3週間にはぴったり合う言葉らしい。

私は勉強が苦手だ。でも、小学生の時にバスケに打ち込んでいたからなのか、中学受験をしたからなのか、「頑張る癖」はあった。だから、どんなに勉強が苦手でも頑張りはした。でも、結果が出ない。苦しい。

自分の特性を知り悩んでだけど、それでもやるしかないと必死だった。

今回の中間試験も、もちろん全力でやった。テスト週間ともなれば毎日朝3:30に起床し、夜の24:00に就寝するまで多くの時間を勉強にあてた。なんでそこまでするのかって?

いい点が取りたいから。

ただそれだけ。

でも、テストが終わると、私の中に張っていた糸が音もたてずに切れた。

毎日寝る前は必ず涙が出てきた。
勉強の計画などを書き込んでいたノートに書きなぐった。今思うと、当時自分が素直でいられたのってそのノートの前だけだったのではないかと思う。

とにかく一秒一秒しんどくて、苦しかった。今まで平日でも6時間はやっていた勉強を10分もやらなくなった。そんな自分が情けなくて悔しかった。周りはテストが終わった後も自分の受験勉強に励んでいたのに、私はノートと一緒にぼーっとしているだけ。

変わりたい、抜け出したい、勉強しなくては。

でも、できなかった。以下そのノートの写真になります。見苦しいです。

<勝手ながら削除させていただきました🙇>

お見苦しくてすみません。

本当に本当に辛い3週間だった。今このノートを思い返しても、「わぁ病んでる…大丈夫かよこれ、、」と思うぐらいだが、当時は本当に心の生死を彷徨っていたような気がする。

そんなとき、ずっと見守ってくれたのが学校の先生だった。その先生と一緒にいるときは呼吸ができる、力が抜ける。先生は特別に何かを言うでもなくずっと見守ってくれた。そして、ときどき「いいんだよ」「大丈夫だよ」と声をかけてくれた。

「病む」という言葉で片づけられない3週間だったけれど、私は今確かにこうして文章を書いている。心の生死を彷徨ったけど、なんとか海の底から海面に顔を出した。

私が海の底から海面に上がってこれたのは周りの人間のおかげだ。これといったきっかけはないけれど、本当に小さなことの積み重ねで私は呼吸が出来るようになった。


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ハル、18才のnote。
いつもありがとうございます!