服と徒然なるままに
最近、noteを書くことが少しなくなってきたように感じています。
ぼんやりとはあるのですが、書き始めると、止まって下書きになっていることがちらほら。
たまに見返して書き始めるとスラスラと出てきたりするから面白い。
書くことが主に服とお金なのですが、最近「服」への興味が若干薄れつつある。
興味が薄れつつあるというか、服で満たされている≒クローゼットの中の服を着るタイミングを待っているからと言えるかもしれない。
以前も紹介している通り、服の量はすでに飽和していて正直必要だから買うという観点有り難いことになくなっている。
強いて言えばコレクションや本当に欲しいと思うモノに出会った時に買うという感じです。
なので、SNSや雑誌なんかを見ていてもチェックはするのだが購入には至っておりません。
買った方が書くことが増えて良いのだが、そんなことをしたい訳でもなく余力は金融投資をするという感じになっている。
以前に比べると、欲というものが無くなりつつあるらしい。無くなりつつあるというよりは、別のことに興味が移ったとも言えるのかもしれない。
食べ物に関しては、たまには拘りたいし美味しいものを食べたいと感じるようになった。
本は相変わらず好きで買っては読み、積読も増えている。(電子書籍は気づいたら本を爆増させる仕組みでした)
仕事は前よりやったことのない分野に挑戦することが多くなってきて、四苦八苦しながらもやりがいを感じている。
20代の頃に比べると、あんなにも好きだった服への優先度が少しずつ下がってきたのかもしれない。
なんなら友達に会っても服の話はでることが少なくなってきたし、生活、仕事の話が大半を占めているんですよね。
これが歳を重ねることなのかもしれない。
良いと捉えるか、悪いと捉えるか、捉え方は自分次第。
服に費やしていた時間やお金を別のことに向けていきながらも新しい服との距離感を探していこうかなとぼんやりと考えています。
こんなことを言うのも何ですが、自分の着ている服たちは最高に素敵なんですよ。(あくまで服です)
そういう感じなので、新しく購入した服の良さよりも今持っている服が自分の感覚に合っているし、他人の服にとやかく言うつもりもないのでこれで良いのかもしれない。
単に価値観の違いということです。
いろんな価値観の人がいるから、ファッションというものは多様性があって楽しいのかもしれないし、逆に苦しいこともあるのかもしれない。
苦しいの一例として、他人から見てどうだろうか、TPOにあっているか、周りから浮いてないか等あげれば悩みはキリがない。
そういう時こそ、自分はどう感じるか。と問うしかないのかもしれない。
なぜその服を選んだかと言われた時に、自分なりの物語を話せるか。
そういうことを個人的には大切にしたいと考えている。
考え出すと服は面白いし奥が深いなあ。
改めてしみじみ感じます。
今日もお気に入りの服を着ながら楽しい週末を過ごしたいと思います。