
考えるけど考えない日
移動中の電車は眠くなるのだが、考え事が捗る場所でもある。
このnoteの書き出しも移動中の電車で書いています。
おそらく時間的に制限があること、やることが限られていることが良いのかなと感じています。
机が無いので、スマホで本を読むか考え事をするくらいしかやれることがない。
無論、揺れが心地良くて眠気との戦いではあります。冬場なんて寒いと思ったら急に温かくなるのでほぼ100%の確率で気絶(うたた寝)しますよね。
寝るまでにはなるが、やれることが限られているので、思考が進みやすい。
よく三上なんて言いますが、馬の上というのが現代のバス、タクシー、電車にあたるのではないかと思っています。
文章を考えるのに適した場所としての「三上」は中国の政治家・学者欧陽修が友人の謝希深に語り『帰田録』に書いた言葉で、三上とは馬上・枕上・厠上(便所)のことである。
普段は週末にコーヒーを飲みながらぼんやりと考えることが多いのですが、それだけだとどうも平日がうまく使えていない感覚があります。
なんとなく思っているのが、考えることを書き出していないからかもしれない。
どういうことかと言うと、頭の中でぼんやりと思っているだけで言語化が出来ていない状態。
私自身のストレスはどうやら書くこと、アウトプットすることによって発散されるらしく、何か思いついたときに書きたい派です。
noteのレベルはさておき書いた後は、自ずとスッキリした1日を過ごすことができる、
あくまで自分がスッキリ出来るだけなんですが…
仕事も捗るし、頭の中に余白ができます。
余白が無くなってくると、何となく色んなことに対して、うまくやらなければという既成概念に囚われていきます。
なぜだか特にこの頃はそれがメタ認知できるようになってきた気がする。
これも感情を書き出したりしているからかもしれません。
あくまで過去の自分と比べてなのだけど、『また人と比べてるかも?』、『うまくやった気になっている!』とふと感じる瞬間が増えてきた。
これに気づけるようになっただけでもだいぶ進歩しているのですが、手放せるくらいに自由に生きてみたいとも思います。
最近はうまくやろうとする自分が出てきたら、今日も優等生っぽい自分が出てきたなと思うようにしている。
※優等生っぽいだけで優等生ではないけど。
頭の中にいろんな自分がいる感覚で言葉にしたり、書いてみると不安が減っていく感覚があります。
きっと、もっと大したことない背伸びしていない自分の時間を増やせたら、今より生きやすくなるのでしょう。
それなりに仕事は頑張るけど、頑張らない日もあっても良い。
そういう感じで流れに身を任せて生きていきたいなと思いつつ、頑張らなきゃと思ってしまう自分もいる。
いやはや人間というのはどうして悩むのでしょうね?
ちなみに私の勤めている会社は皆成長意欲が高い?というか上昇志向の方が多いので、成長しなければ感があります。
分かるけれども、たまにしんどい笑
成長したくない日もあるよね。と最近は自分を励ましています。
過度に成長ばかりに目を向けて、大切なものを見失わないようにしたいなと考える今日この頃。
美味しいご飯にポカポカお風呂からのあったかい布団で眠れれば幸せですよね。
ということでパルムを食べたのですが、最高でした。