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世界マスターズ陸上に挑戦して世界4位になった話

おっさんの運動会目指して南半球へ

世界一美しい街とも呼ばれているパース(西オーストラリア)に来ています。

空が広くて、いたるところに緑があって、スワン川がゆったり流れていて、人が多すぎず、道が広く、気候は日本の逆の春で暑くもなく寒くもなく最高です。

本当は家族3人で来る予定だったのだけど、さすがに0歳児(9ヶ月)に乗り継ぎで約6〜7時間×2回のフライトをさせるのはしんどいかなということで、妻と息子を置いて泣く泣く一人・・・

で、なんで一人でも来たのかというと、、、はい、そうです。走るんです。でも、マラソンじゃないんです。陸上競技なんです。えっ、違いがわからない??いやいや、マラソンは道路で42.195km走る競技。陸上競技は陸上競技場(Track&Field)で競う「走る・跳ぶ・投げる」競技ですよ。もちろん、僕は走りにきました。

ちなみに、「m」表記と「km」表記には違う意味があります。えっ、kmはkmタクシー、国際自動車(Kokusai MotorCars)のことでしょ?って・・・いやいや、マニアック!!

kmで表記するのは道路で走る競技。mで表記するのは競技場で走る競技という意味なんです。だから、マラソンは42.195kmであって、42195mではないですよ。

ということで、世界マスターズ陸上(35歳以上の世界大会)の5,000mと10,000mに出るために、はるばる南半球西オーストラリアパースにやってきました。去年、武井壮さんが金メダルとって(僕の中では)話題になった大会です。

僕の出る競技よりも先に競技は始まっています。会場をちょっと覗いてみましょう、、、、、お、おじいちゃんたちばかりです。

世界マスターズ陸上(35歳以上の世界大会)は本当に独特の空気。5歳刻みのカテゴリーで90歳以上の方も出ています。もうワールドおじいちゃん運動会という感じ。

いやー、自分がまた陸上競技選手になるなんて思ってなかったなー。市民ランナー歴3年生(2013年10月下旬にランニング再開)が南半球まで走りに来ましたよー。

ということで、5,000mと10,000mに挑戦です。

世界マスターズ陸上5,000m(M35-39)レース回顧録

まずは男子5,000m。自分が出るのは最も若い35歳以上40歳未満のカテゴリー。

地元オーストラリア🇦🇺の選手が半数ほどで、他はヨーロッパ🇮🇹🇩🇪🇵🇱🇪🇸やアメリカ🇺🇸。日本人🇯🇵はもちろんアジア人は僕一人。この時点で完走すればアジア人1位は確定w

ウォーミングアップを終え、コール(スタート前の点呼取り)を終え、腰ゼッケンを受け取る。腰ゼッケンはシールタイプ。初めてのシール。ちょっと世界大会っぽいなと思う。

強風が吹き荒れるトラック。集団から置いていかれると風にさらされて苦しいレースになるだろうと悟る。早速、ポーランド🇵🇱の選手はシールのゼッケンを風に飛ばされている。

スタート位置に並べられ、オンユアマーク(位置について〜)。「せっかくオーストラリアまで来たんだから苦しいのも全部楽しもう!」と自分に言い聞かせる。

強風が吹き荒れる中スタート。スタート直後からいきなりのスローペース。南アフリカ🇿🇦の選手が先頭を引っ張る。1,000m通過が3'11"(先頭3'10")で想定よりもゆっくり。

かと思えば急激にスピードアップ。ポーランド🇵🇱の選手が一気に先頭に出てダッシュ。オーストラリア🇦🇺の選手とイタリア🇮🇹の選手が着いていき3人集団。

焦らずに追いつけば良いと言い聞かせ、スピードアップ。しかし、先頭集団のペースは落ち着く気配が無い。無理してでも追いつくか、誰かが落ちてくるのを拾っていくか、悩んでいる隙に先頭集団から離されてしまう。

4位集団を形成して前から落ちてくるのを狙うが差は開く一方。こちらが遅いのかというとそうでもなく、1,000〜2,000mは3'06"。風を考えれば決して遅くない。というか、オーバーペース気味。

4位集団は二人まで絞られるが、ジワジワを脚の動きが悪くなっていきペースの維持が困難になる。

3,000m手前でふとした瞬間に4位争いをしていたオーストラリア🇦🇺に2歩前に出られる。「あ、きつい」と思った時にはどんどん離され始める。

恐れていた強風の中の単独走が始まる。6位はだいぶ離れているので一人でいくしかない。と思いつつもペースは上がらず、むしろズルズルと落ちていく。

4,000mあたりで後ろの集団に吸収される。さすがにもう抜かれるわけにはいかない。少し後ろに着いて休んだら、残り400mでギアチェンジ。バックストレートで追いすがるライバルたちを引き離す。

そして、5位でフィニッシュ。タイムは16'07"09。先頭はポーランド🇵🇱15'13"(14'24"が自己ベストらしい)。2位はイタリア🇮🇹15'19"。僕も市民ランナーとしてはセカンドベストではあるが、何とも悔しいタイムと順位。

ゴール後は選手同士、握手をし合い、肩を叩き合い、検討を称えあう。ヨーロッパ3人🇵🇱🇮🇹🇪🇸に「ヘイ!ジャパン!」と呼び出され記念撮影。3位になったオーストラリア🇦🇺はキツすぎたのか嗚咽していて写真に参加できず。

レベルは全く違えど、平和の祭典として行われているオリンピックの空気の端っこらしきものを感じる。

レースで出し切れたのかと言われると首を縦に触れない。でも、もっと上を狙えたかと言えば4位を狙ったら4位になれたかというところ。なので、後悔はない。が、やっぱり悔しい。

2日後に10,000m決勝。5,000mで1〜4位になった選手は全員10,000mにもエントリー。明らかに格上な3人。1人くらい棄権しないかな〜と淡い期待もありつつ一角を崩すくらいのつもりで積極的なレースをしたい。

つづく

世界マスターズ陸上10,000m(M35-39)レース回顧録

そして、つづく10,000m男子。

5,000mが夕方のレースだったのに対して、10,000mは真昼のレース。気温は25度まであがり強い日差しは夏そのもの。スタート前から何度も水をかぶりながら、少しでも体温を下げる。

スタート地点に並び、顔ぶれを見ると、5,000mで自分の上位に入った3人の顔が。上位3人は明らかに格上。それでも、勝負しないことにはメダルは無い。せっかくパースまできたのだ、どこまで戦えるのか試してもみたい。そんな心境の中、スタートが切られる。

現実は厳しく5,000mの時以上のハイペースで1,000mの通過は先頭は3'00"。そこから少し離れた第二集団も自分の力量からすると随分とハイペース。そして、早々に第二集団からも離脱。25度の暑さにもやられ頭はクラクラし始める。とにかく苦しいレース。

でも、ここまでやってきたし、ここまできたんだから、最後まで走り切ろうとゴールを目指す。前半で力を使い果たした25周はとにかく長かった。

最後はやけくそのラストスパート。会場からは拍手。ゴール後は自分の力不足が悔しかった。グシャグシャになりつつも、悔しさの記念に写真を撮ってもらう。

スタンドを歩いてるとやたらと声をかけられる。「ナイスフィニッシュ!」などたぶん「ラスト速かったな!」的な声。時計を見たらラスト200mを32秒だった。

「終わった・・」

しばらく座り込んで、ビショビショになったユニフォームとシューズを脱いで、僕の世界マスターズ陸上への挑戦は終わった。

時とは全てを出し切ったと聞かれると全然出し切れなかったと答えるけど、もっと上を狙えたかと聞かれると「現時点ではこれが精一杯だった」と答えるレースだった。

たくさんの人の理解と応援のおかげで挑戦することができ、なんちゃってでも日の丸をつけて、海外でレースを経験することができた。人生の1ページに刻むことができた貴重な経験となった。サポート・応援してくださった全ての人にこの場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

おわり。そして、つづく(人生は)。

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