人間の性(さが)
どんなにデキた人だって
お腹は空くし
人から認められたいし
もっと自分を発揮したいし
人間なら当然持ってる「欲」がある。
もちろん人によって
安心への欲求が強かったり
快楽への関心が高かったり
成功への渇望が大きかったり
度合いは違ってくるけど
それが全く「ない」人はいない。
同じように、
自分が1番正しい、
相手を自分の思い通りにしたい、
間違って見えるものは正したい、
っていう
自己中心的な考えは
人間なら誰でもあるし、
というよりすでにそうなはずだし、
それが人間だと思う。
でも人間のすごいところは、
創意工夫ができるってことだ。
自分の方が正しいとか
相手を操作したいという
支配欲は
ともすれば
相手に怒ったり批判したり
排除しようとしたり
「戦って勝つ」
「自分が良いことが正しいこと」
な方向にいきがちだけど、
(ひいてはそれがケンカや戦争になる)、
ホントにそうかな?
もっと良い方法はないのかな?
って舵を切ることができるのも、
人間だ。
創造性の力があるのは、
人間特有の素晴らしさともいえる。
まずは受け入れる、とか
良い悪いを手放す、とか
白か黒かだけで考えない、とか
心理学でもスピリチュアルでも対人技術でも
共通言語のように
やたらめったら見かけるこれらの示唆は
まさに
「創意工夫」をしてみる、
「今までと違うことを試してみる」
ってことだと私は思っている。
自分が1番大事だし
ジャッジもしたくなるし
相手を従わせたくなるのが
人間の性だけど
それをそのままぶつけるのじゃなく、
それはそれとして一旦置いといて、
自分が正しいとは限らないかも?
と考えてみるとか、
相手の考えも聞いてみるとか、
白か黒じゃなくオレンジを探すのも
アリかもしれないとか、
今までとは別の見方や
別のやり方をしてみれば
今よりもっと良いことが起きる
可能性が高いよ、
もしかしたらおもしろいことに
なるかもしれないよ、
って提案なのだと。
何が言いたかったのかというと、
誰かに対して
「自分の思い通りにさせたくなっちゃう」とか、
「つい手出し口出ししたくなったり
それはダメだと否定したくなる」とか、
「どうしても白黒ハッキリさせたい」とか、
そう思うのは人間なら当然なことで、
そう思うことが悪いわけでもなんでもない、
ってことだ。
ただ、そう思いながらも
すぐに口を出すのはやめてみようとか
ちょっとだけ見守ってみようとか
責めるより自分の気持ちを伝えてみようとか
「創意工夫」することはできるわけで、
しつこいようだけど、
相手を受け入れられない自分がダメだとか
良い悪いで考えてしまう自分が良くないとか
ではない。
そもそも、
「まずは受け入れよ」とか
「ジャッジを手放せ」とか
仰っている人格者の方々も
それに気づく前はご自身も
ジャッジしまくってて
苦しんだ経験があったことを
忘れちゃいけない(笑)
そういう方々は、
今までとは違うことを
結果が出るまで試し続けて
状況によって
戦うか受け入れるかを
自分で
「選べる」ようになっただけで、
自分の中にある正義とか支配欲が
消えたりなくなったりしたわけではない。
(悟りを開いた人は別かもしれない)
ただ、
寛容になったり
視野が広くなったりすると
人との関係が豊かになったり
分かり合えたりするようになるので
自分本位にならなくても良くなった、
戦う必要がなくなった、
ということが大いにある。
他人から認められたいのも人間だけど、
他人を喜ばせたいと思うのも人間だから。
「自分だけじゃなく、
相手にとっても嬉しいことが
結果的に自分にとっても嬉しいこと」
と感じるようになると、
戦うよりも協力できた方が
自分にとっても良いことになるので、
自然とその方向に向かうようになる。
それだけの違いじゃないかな、と思う。
だから、
相手を
受け入れられないとか
責めたくなっちゃうとか
ジャッジを捨てられないことに
悩んでしまう人には
まずは
「それが人間なんだ」
ってところから始めてほしい。
人間以外の何者かに
なろうとなんて、しなくていいから。
その上で、
そんな人間だからこそ、
「工夫することもできるんだ」
って思えばいいのだと思う。
お腹が空いた時に
「なんでお腹がすくの!」って
自分を責めたりすることはないように、
何かを受け入れられなくても
「なんで受け入れられないの!」
って自分を責めたりする必要はない。
人間は、
ただお腹を満たすだけなら
食べる物も食べ方も何でも良いのに
もっと美味しいものを食べたいと料理をしたり
気持ち良く食べれるようにとテーブルマナーを作ったり
誰かと一緒に食べた方が楽しいと思って家族団欒を習慣にしたり
「ご飯を食べる」
だけでも
「創意工夫」
してきた生き物だ。
それがあるから、
お腹が空いても
ご飯が出来上がるまで我慢ができたり
楽しみにしたりもできる。
「欲望」をなくすのではなく、
うまく付き合える術を知っている。
おんなじように、
「思い通りにしたい」
「相手に勝ちたい」
っていうような欲望も
出てきたとしても
それを否定するのでも
我慢するのでもなく
自分の気持ちを
どうしたら相手にうまく伝えられるかなとか
相手の望みはなんなのかなとか
「もっと自分にとっても相手にとっても
良いことはなにかな」
って方向で考えられるようになれば、
変わりだす。
「結果として」、
自分も相手も受け入れられるようになる。
間違っても、自分が
「できない」とか
「ダメだ」ってことではない。
まだ「知らない」だけ、
まだ望む結果が起こるようなことを
「試してない」だけ、
それだけなんだ。
うまくいかなくても、
試し続けてれば
必ずたどりつく。
欲望はなくならなくても、
うまく付き合うことはできる。
だって、あなたは
欲もあるけど
人とわかり合いたいとも願う
心優しき「人間」なのだから。