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夏の魔法3〜写真集「体温」より〜

帰り道、ずぶ濡れになった俺たちはぐっちゃぐっちゃと身体中から音を鳴らしながら歩いていた。
なんだかふたりで音楽を奏でているようで、そのうちに楽しくなって、わざわざジャンプしたり、スキップしたりして音に変化をつけた。

「こんなの子供の頃以来だ。濡れた長靴の中でグチョグチョ音がするんだよね。それが楽しくてわざわざやってたな」

「そんな子供時代もあったんだ。八代さんなんだか可愛い」

「ひよりちゃんはやらなかった?」

「あんまり…やらなかったかも。あははは」

ひよりちゃんはそう言って走り出し、空を見て立ち止まった。

「あれ。雲行きが怪しい」
そう言ってスマホを取り出す。

「台風来る。急に進路変えたみたい。早く帰ろう」

嵐の前触れの強い風が吹き始めていた。

俺はひよりちゃんに言われた通り、窓をしっかり閉めて、風に備えた。
その夜は自分が経験したことのないような風と雨で、さすがに怖くて眠りにつくことが難しかったが、朝になると台風が通り過ぎたらしく、空は晴れ渡っていた。

「おはよー。大丈夫だった?」
ひよりちゃんが顔を出してくれた。

「いやー流石に怖かったわ。さすが沖縄の台風だね」

「昨日のはまだまだ小さい方で良かったよ」「え?あれで小さいの?」
「うん。小さいし、速度が速かったから良かった」

さすが台風に慣れた地元の人だなあと感心した。
朝ご飯を適当に食べて、2人で散歩に出かけた。
ビーチに出ると、海の色は昨日とは違って濁っており、ゴミがたくさん打ち上げられていた。

「そっか…風がゴミを集めちゃうんだね」
「観光の人にはこう言う風景あんまり見せたくないんだけど…」

俺はビーチに降りてなんとなくゴミを拾い始めた。俺の荷物を下ろしてくれたこの海に何かしてあげたい。
そう思ったのだ。
ひよりちゃんも一緒に集めてくれた。ゴミ袋を持ってこなかったので、一つの場所にまとめるだけだったが、それでも俺はその作業に夢中になった。

作業を始めて暫くすると、目の前に綺麗な石のようなものが見えた。
思わず拾って空に照らす。
キラキラして、宝石のようだった。

「シーグラスだね」

「シーグラス?」

「ガラス片が、波やいろんなものに揉まれて、丸くなって磨かれていくの。宝石みたいでしょ?」

「うん…綺麗だ。でも、ガラス片ってことは、これもゴミなんだ。ゴミもこんなに綺麗になることもあるんだね。不思議だ」

俺はそのシーグラスを拾ってジーンズのポケットに入れた。

「はーしかし喉乾いたね。しかも2人じゃキリがないや」
腰を伸ばしてイテテテテというポーズをした。

「それでもありがとう。綺麗にしてくれて」

「お礼が言いたかったから。俺の荷物を下ろしてくれた海だからね。それだけだよ」

俺たちは飲み物を調達したくて、来た道を戻る。
その道には大きな石碑が建っていた。俺は初日から、この島の風景にそぐわないような、寂しい雰囲気を纏ったこの石碑がなんとなく気にはなっていた。

「この石碑ってなんなの?えーーと、学童…慰霊碑?」

小さな子供のための慰霊碑?昔大きな事故でもあったのかな?そんな事を考えていたら、ひよりちゃんが隣で歌を歌い出した。

「南十字星 波照間恋しいと 星になったみたまたち ガタガタふるえる マラリアで ひとりふたりと星になる」

歌い方は違ったが、それは島そばを食べた時にお婆さんが歌ってくれた歌だった。

「あ、お婆さんが歌ってくれたやつ」

俺の言葉に、ひよりちゃんはビックリしたような、悲しそうな、そんな顔をした。

「戦争が終わる頃ね、強制的な集団疎開があって、島の人たちはみんな、西表に行かされたの。でも、当時西表はマラリアがあって、島の人たちはほとんど、本当に、ほとんどマラリアに罹って、沢山、沢山死んだんだって。
その時の、子供たちの心を歌にしたのが、今私が歌ったやつなんだ」

そんな事があったなんて、俺は全く知らなかった。
この美しい島の裏側に、戦争の跡があるのは教科書では知っている。
でも、ただそれだけだった。

知っているだけで、理解は全くしていなかった。

「その子達の思いが成仏するように、この碑は建てられたって私は聞いてる。
家族が病に倒れていく怖さ、自分の体が病に侵されていく怖さ。でも、自分達はどうすることもできない。
ただ、ただ、帰りたい。島に、波照間に帰りたいって西表からこの海を眺めていたんだろうな…」

2人で黙り込んだ。
何を言っていいのか分からなかった。
自分の無知を呪ったし、こんな時に何も言えない自分が嫌だった。

「………私もね、海を、そうやって眺める気持ちがわかるんだ」

ひよりちゃんは、石碑の前に膝を立てて座った。
俺も、隣に肩を並べるように座った。

「私ね、生まれた時からお父さんがいなくて、お母さんとおじい、おばあと住んでたの。それで、私が小学校3年生の時、お母さんは本島に行くって言って出てっちゃって、二度と戻らなかった」

ひよりちゃんは遠くの空を見つめるように、そう話し始めた。

「新しい仕事を見つけるから、ひより、ごめんね。いい子にしてここで待っててね。落ち着いたら迎えにくるから。そう言ってお母さんは島を出て行ったの。
私はさ、お母さんの言いつけ通り、良い子にしていればすぐ迎えに来てくれると思って毎日、毎日、海を眺めて待ってた。待ってたけど…お母さんは戻らなかった」

「その後、おかあさんは??」

俺は恐る恐る聞いてみた。

「うん。大人になってからね、色んな人から情報集めて会いに行ったの。名護にいるってわかって。そしたらさ、新しい家で新しい家族のお母さんしてた。
わかってはいたけど、ああ、私、捨てられたんだなあって、突きつけられてね。
だから、私は海があまり好きじゃないの。あの頃、毎日毎日お母さんが帰ってくるんじゃないかって、期待を、希望を込めて海を眺めてた事を思い出すから…」

だからなのか。
海を見るひよりちゃんの顔が寂しそうだったのも、おばあさんの歌を聴いて切なそうだったのも。嘘は嫌い。そう言ったのも。

ひよりちゃんは、かつて西表から波照間を望郷の思いで眺めた子供達と一緒なんだ。
ずっと、ずっとこの島で母親を待ち続けているんだ。

そう思ったら、俺は涙が溢れるのを止められなかった。

あとがき
これは、松下洸平さんの写真集「体温」かれ発想を得たお話です。
前回は、彼の歌からのお話を書きました。
シチュエーションなどはどうしても似通ってしまいますが、写真集から得た、体温の世界観を少しでも感じ取ってもらえればと思います。
今回は少し長くなってしまいました。
もう少しだけお付き合いください。

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