メトロノーム〜最愛サイドストーリー〜
メトロノームがリズムを刻む。
カチ、カチ、カチと一定のリズムで狂うことなく、ゼンマイが尽きるまで同じリズムを刻んでいく。
ゼンマイが尽きると、突然リズムは終わりを告げる。
私はそんなメトロノームが好きだった。
力尽きるまで正確さを損なわない、音の大きさも変わらない。実直にリズムを刻んでいく。
私のようだ。
そう思っていた。
私は元来正直者だ。
正義感も強い。
加えて、顔にも口にも気持ちが出やすいため、幼少の頃から敵が多かった。
「ひねくれてるなあ」
自分としては正直に言葉を発しているだけなのだが、周りの人からそう称されることが多かった。
しかも幼少の頃からだったので、いつしか自分はひねくれ者であると思うようになっていた。
「後藤さんって、なんでそんなに正直なの?わかりやすくていいわね」
真田グループに入社した頃、当時役員になりたての梓さんに言われた。
その一言で、今までひねくれ者と称されていた自分が救われたような気がした。
それからは梓さんと共に歩んだ。
メトロノームのように、実直に、正確に、己の正義感を持って真田グループと共に歩んだ。
その行動はいつしか私を『次期社長に』と評されるほどにまで作り上げた。
私は、私を取り戻してくれた梓さんに、真田グループに全てを尽くそう。
当たり前のように、そう考えていた。
だが、社長になったのは、私ではなく梓さんの娘の梨央さんだった。
梨央さんは、聡明で、正直で、正義感があった。
正直さと正義感では私の右に出るものはないと思っていたのに、彼女は対峙してみると私とは正反対のだった。
なぜだ?!私は正直ものではないのか?正義感を持つものではないのか?
彼女と向き合うと、そう問いかけられるようで、私は彼女を排除したかった。
その排除しようと言う思いが、私の正義感を加速させた。
全ては梓さんのため。
全ては真田グループのため。
なぜ?
私の存在は真田グループにしかないから。
私の全てだから。
私はいつの間にか自分の正義感でがんじがらめになって周囲を見渡すことが出来なくなっていた。
狭くなった視野は自分の正義を歪曲してしまい、結果、取り返しのつかないことになってしまった。
メトロノームは壊れるとリズムを正確に刻めなくなる。どうやっても元に戻る事はできない。壊れたら、壊れたまま。
私のメトロノームは壊れてしまった。
そして、私が隠し通せなかった罪を梓さんが一手に引き受けていた。
今まで私は真田グループの為に尽くしてきたつもりだった。
だったのに、いつの間にか梓さんから、会社から私は守られていた。
私の正義は、私のためだった。
それに気付いて、私は自分の罪と向き合おうと決めた。
罪と向かい合い贖罪の日々を終え、夏の日差しが照りつける今日、私は刑務所を出ることになった。
刑務所を出ると、思いがけない人が待っていた。
梓さんと、政信さんだった。
「後藤くん。私が先に出てきちゃってごめんなさいね」
梓さんが笑っていた。
「後藤さん、迎えにきましたよ」
政信さんに促されるように私は車に乗った。
「どうして…」
自分がした事を思えば、こうして真田の人たちに出迎えてもらえるなんてことはあり得ない事だった。
「実はね、加瀬君から預かってるものがあるの」
そう言って梓さんは、一通の手紙を手渡してきた。
『後藤さん
満了お疲れ様でした。
いつか別荘で私に言った「真田グループは私の全てなんだ」と言う言葉は、私に深く、深く突き刺さりました。
なぜなら私も同じだからです。
あなたと私とでは守るべきものが違っていただけで、私も、私の居場所は真田グループでした。
なので、私はあなたの居場所を守ると決めました。
残念ながら、私はその場所から逃げ出してしまった人間ですが、だからこそ、あなたに託したい。
真田グループを、梓さんを、政信さんを、梨央さんを、お願いします。
加瀬賢一郎』
私はその文字一つ一つを、意味を逃すまいと、目に脳裏に心に焼き付けて梓さんを見た。
梓さんは笑っていた。
この30年以上変わらぬ笑顔で私を包んでいてくれた。
「加瀬がね、いなくなる前に一つの部署を立ち上げてくれていたんですよ。真田グループ全体のマーケティング部門。
今までグループ独自ではもちろんあったけど、原点に戻るって事で、全体をしっかりマーケティングして、お互いを支え合う為の部署を作ったんです。まあ、お目付部門でもあるかな。法務部の中にあるんですけど、そこのポストに後藤さんをって」
「え??私がですか?」
私は思わぬ言葉に思わず声が漏れた。
さっきから思いもよらないことが起き続けていて、感情が追いつかなかった。
「まあ、以前のように重役ポストに就く事は私も含めて後藤君も出来ないんだけど、後藤君のマーケティング能力はやっぱり手元に置いておきたいのよ。ね。また真田に戻ってきてちょうだい」
「真田グループを解体した時の推進力はやっぱりすごかったもんな。後藤さん、正義感あるから」
「…冗談はよしてください」
私は一言だけ発すると何も言えなくなり、窓の外を眺めるしかなかった。
カチ、カチ、カチ
政信の言葉に、再びリズムを刻む心の音が聞こえた。
「私のような人間が、1つでもお役に立てることがあるなら。
でも、それにしても、私のした事は取り返しがつかない愚行でした。ご迷惑をおかけしました」
今までも何回も口にしてきた謝罪の言葉だったが、心の中のメトロノームのリズムを感じながら言えた事で、私は私の言葉で言えている気がした。
「ふふふ。
もう良いのよ。そうさせたのは私なんだから。
でもね、こうなって悪いことばかりじゃなかったの。それぞれがトップから退いたことで私も政信も梨央も、やっと家族として向き合うことができたの。そう言うものよね、人生なんて。だから面白い。私と後藤君だってそう、こうやってやっぱり支え合う運命なのよね。
ああ。そう思ったら乾杯したくなってきちゃった。お寿司屋さん寄りましょ?ね?良いわよね」
私が真田グループに戻ると宣言したわけでもないのに、勝手にそう決めつけている梓の変わりなさに、私はメトロノームが新しくなるのを感じた。
「良いですね。乾杯しましょう」
カチ、カチ、カチ
正確に、同じリズム、同じ音でリズムを刻む。
ゼンマイが尽きれば、また回せば良い。
私は新しいメトロノームのゼンマイを自分の手でゆっくり、確実に回した。