ピース5
マンションの前で待っていた先生は、黙ったまま私に近づき、そっと私を抱き寄せた。
私は先生を振りほどきもせず、子供のように嗚咽をあげながら泣いていた。
どのくらい泣いただろう。周囲に人がいなくて良かったと思えるくらいの余裕が出たところで、先生の顔を見た。
「ごめん、今まで覚えてなくて。」
いきなり謝られたので私は思わず笑ってしまった。
私の笑い声に安心した表情を見せ、そして先生は恥ずかしそうにカバンから一枚の絵を取り出した。
「これ…」
私の似顔絵だった。
「今まで君を何回も抱いてきたのに、正直覚えていないんだ。この間初めて、初めてってのもおかしな話だけど、うん。初めて、君とのことを理解した。でも、そう思ったら君はもういなくて…そうしたら、君の事を思い出したくて絵を描いたんだ」
そう言うと、先生は生垣の所に座り、膝の上に私を座らせた。
「そうしたらね、ちゃんと覚えてたんだよ。君の顔を、細部まで。見て、このホクロの位置、完璧でしょ?ありがとう。君のおかげで無くした心を見つけられた」
そう言って、私を後ろから抱きしめた。
その言葉を受けて、私はまた、子供のように泣いていた。
なぜあの時逃げたのか。
今まで手にしたことのない愛情を感じて、私はどうして良いか分からず、怖くなった。怖いと言うことは、欲していたと言うことなのに、それが分からず、急に目の前に現れた感情の処理が分からず逃げると言う手段を選んだのだ。
だが、今その相手は目の前にいて、しかも抱きしめると言う行為で物理的に逃げられない状況になっている。
これは逃げられないわ。
泣きながら微笑んでいた。こんな風に人を相手に微笑むなんて事は、生まれて初めてだった。私にこんな感情があるなんて。
お互いの顔を見て確認した
足りないピースは、この人と出会う事だったんだ。
「ねえ、先生、私たち、食事さえも一緒にした事ないんですよ?」
「ああ、重ね重ね、申し訳ないな」
2人は手を繋ぎ、歩き出した。
何を食べようかな。
そんな当たり前のことを考えながら。