家族茶碗
「あれ?これって」
大掃除を手伝っていた武志が棚の奥から見つけた器を見て思わずつぶやいた。
これは父がまだ家にいた頃使っていた父と母の茶碗だ。うろ覚えではあるが、覚えている。父が家を出てから、母はその茶碗を使うことがなくなり、いつの間にか存在自体が消えていた。
いつの間にか帰らなくなった父のように。
これをこの棚の奥に仕舞ったのは、母ではなく、祖母だろう、そう思った。
祖母は、自分と父が手紙のやりとりをしていることを知っていた。なので、折に触れて「お父ちゃんはいつでも武志の事を見てるんやで。」と言っていた。
「そんなん嘘や!現にお父ちゃんおらへんやん。手紙から僕の姿は見えへん!」
そう答える自分に祖母はいたずらっ子のような顔をしながら
「見てるんやで。きっとな、あの棚の中あたりから、ちゃーんと見てる」
これがお決まりのセリフだった。
「これやったんや」
祖母は、この茶碗がいつか使われる事を思いながら仕舞ったのだろう。その思いを自分にバトンタッチしたかったから、あんな事を言っていたのか。
母は、穴窯をやりだすと寝食もそこそこに製作に没頭する。その間、自分の存在は少し忘れられたものになってしまうが、その穴を祖母がしっかり埋めてくれていたので、さほど寂しい思いをせずに過ごせた。面白おじさんとして、信作おじさんも頻繁に家に寄ってくれたので父のいない寂しさも少し和らぐことができていた。
ただ、信楽で噂される父の話が子供の自分の耳まで入って来ることがあった。
「八郎は喜美子の才能に負けて信楽を去った」
これだけはどうしても受け止めることができず、一人で泣くこともあった。
そう言った時に、祖母は戸棚の話をよくしてくれた。不思議とそれで少し心が軽くなっていた。
「お父ちゃん、こんなとこにおったんか」
武志は、器を愛でるように撫でた。父の作品は数えるほどしか手にしたことがなかったが、これは、紛れもなく父の作品だった。
その日の夕食、八郎が名古屋からやってきた。
「今日のご飯は俺が作る」
そう言って武志は台所に立っていた。武志の病状は良い悪いを繰り返し、年月が容赦なく、体力を少しずつすり減らしていた。本当は台所に立つという事に体力を使いたくなかったが、今日ばかりはそうしたかった。そうしないといけないと思った。
「なんや、今日は武志がご飯作ってくれてるんか?大丈夫か?」
「うちも、そんな事せんでええ、言うたんだけど、今日は大丈夫や。って聞かへんねん」
そのうち、武志が呼んだらしく、信作と照子も川原家に集まっていた。
「なんや今日なんかあるんか?」
信作が八郎に耳打ちする。
「わからん。熱出さなきゃええんやけど」
「さーて、ごはんできましたよー」
武志は、おかずを真ん中に置いて、ご飯をよそった茶碗を並べた。
信作、照子、八郎、喜美子が、八郎と喜美子の前に置かれた茶碗を見て固まった。
二人の夫婦茶碗だったからだ。
「さあさ、病気を押して俺がご飯作ったんだから、ほら!みんな食べるで!!」
武志は一人で頂きますをして、食べ始めた。武志の意図を感じた信作が
「そやな、武志が料理作ってくれたなんてたこ焼き以来や。食べるで」
照子も後に続いて食べ始めた。
ただ、喜美子と八郎だけだまだ動けなかった。
「もうええやん。お父ちゃん、ここの家に顔出すようになって何回ご飯一緒に食べた?新しい関係築くんやろ?なら、この茶碗使っても、もうええやろ。
この茶碗、俺が今日見つけてん。ずっと棚の奥におったんよ。多分おばあちゃんが仕舞っといたんや。昔俺が小さい頃、お父ちゃんがいないことで泣いてると、おばあちゃんが、お父ちゃんは見てるで、きっとあの戸棚辺りから見てるで。って慰めてくれたんや。
だけどな、今はその慰め要らんねん。お父ちゃん、俺のそばにおってくれるようになったから。
だから、もうええやん。この茶碗で食べようや」
武志の言葉に続いて照子が話し始めた。
「この茶碗作った時のこと覚えてるわ。プロポーズで渡したんよな。まあ、だから、離婚した2人がこの器使うの気い引けるのもわかるけど、武志にとっては、この茶碗は自分を見守ってくれた茶碗や。ただの茶碗やろ?!ほら!食べえ!」
どうしていいかわからない2人に照子が勢いよくハッパをかけた。
「そやぞ。ハチ、息子にここまで言わせたんやから、食べろ!」
信作も短い言葉ながら応援してくれた。
じゃあ…と箸を取ったのは喜美子だった。それを見て八郎も食べ始めた。
久しぶりに茶碗を持ったが、やはりしっくり来るもんだな。2人はそれぞれそう思っていた。
「あのな」
ご飯を食べ終えた後、武志は話し出した。
「実はな、目的はこれじゃなくて、俺に、お父ちゃんお母ちゃん、俺の3人分の茶碗作らせてもらっても良いかな。やっと家族が揃ったからな。新しい家族や。それの証を、俺が作りたい。
何か、何か残したい。今までお父ちゃんがおらんでも、戸棚の奥で見守ってくれてたみたいに、いつか…………
いつか、俺がおらんようになっても、家族がいた証を作りたい」
武志は言い終えて、やっと息を吸った。
「ええアイデアや」
八郎は武志の肩を叩きながら精一杯言葉を絞り出した。
「ええなあ、それ。ええやん」
喜美子は明るく言った。
そんな3人を照子は微笑みながら見つめていた。
「なんや羨ましいなあ」
信作が、羨ましそうに呟く。
「もちろん、信作おじさんのも作るで。百合子おばちゃん、桃、さくらのも」
「ええー、なんか言わせたみたいで、悪いなあ。でも、まあ、作ってくれるんなら、使うてもええわ」
「はい、心を込めて作らせてもらいます」
武志は深々頭を下げ、笑った。