熱々おでんと笑顔と決意
大切な物はいつも突然なくなる。
小さい頃大切にしていた、母からもらったお茶碗がある日突然割れてしまった。
俺は大切にしていた分ショックで泣きながら動くことができなかった。
そんな姿を見て父が吐き捨てるように言った。
「健太!そんなガラクタ一つで泣いてどうするんだ!みっともない!茶碗なんか、幾つもあるだろう!」
父にとってガラクタでも、俺にとっては何より大切な宝物だった。物が欲しかったのではない、そこに宿っていた、プレゼントしてくれた母の気持ち、それを受け取った自分の気持ちが大切だったのだ。
父にはそれを理解することができない。そう悟った出来事だった。
思えば、あの頃から、深山の家のしきたりがおかしいと思い始めたんだった。
線香の匂いでふと我に帰る。
健太は葬式に参列する為、列に並んでいた。
前を見ると、満面の笑顔で映るまんぷく屋の店主の達郎さんの顔があった。
「じゃあ、またな。健太!しっかり休めよ?」
そう送り出してくれた達郎さんが、その後店の中でひっそり倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまったのだ。
しっかり休めよって、自分が永遠に休んでどうするんだよ。
健太は写真を見つめて恨み言を呟いた。
もちろん達郎さんは返事をしてくれない。
それがこんなに悲しいことだったなんて。
「おかえり」
一番初めにそう迎えられてから、まんぷく屋を訪れるときは必ずそう言われるようになった。
それが健太は素直に嬉しかった。
この店に、この店主に迎え入れてもらっているようで、いつも心がホッとした。
勝手だが、まんぷく屋に入れば自分はその家の息子になれるような安心感があった。
だから健太はいつしか、まんぷく屋を大切な存在として見るようになっていた。
また俺は大切なものを突然無くしてしまったのか。
健太は呆然としていた。
この感情をどう対処していいのか、わからなかった。
あのお茶碗の時はどうしたんだっけ?
母親に泣きついたんだっけ?いや、母親にだって甘える時はそっと甘えるだけだったから、そんなことはできなかった。
ああ、諦めたんだ。
大切な物は無くなってしまう物なんだ、執着なんてしてはいけない。騒いでも仕方がない。と諦めたんだった。
今回も諦めるしかない。
そんな使命感のような感情に駆られながら、健太は斎場を後にした。
それからは、まんぷく屋のことを考えないようにした。
だからお店にも近づかなかったし、商店街にも行かなかった。
妻の良恵さんや娘の佐都ちゃんの事は気になったが、それよりもそこから自分を遠ざけることに徹した。
徹したが、一度手にした心の温かさを、諦めと言う方法で手放せるほど、健太は器用ではなかった。
だって、あの場所にいるだけで暖かかった。
いつだって欲しかった家庭という体験を、あの店で、あの店主、家族から得ていたから。
そんな時、健太の電話が鳴った。
呼び出されてまんぷく屋の前に着くと、常連の八さんが健太を待っていた。
「ああ、健太くん、良かった。来てくれて。」
いつも陽気な八さんがおどおど困った表情で話し出した。
「どう言うことですか?良恵さんがおかしいって」
健太は慌てて駆けつけたので息が切れていた。
「なんかさ、ずっとお店に篭ったきり出てこないんだよ。佐都ちゃんも困っちゃって。実はさ、まんぷく屋、借金があるんだよね。だからもしかしたら良からぬ事考えてるんじゃ…そう思ったらさ、止めなきゃって思ったんだけど、俺1人じゃどうも頼りなくて」
「まさか…」
良からぬ事。そんな事はないはずだと言い聞かせながら、あの夫婦の絆の強さを思ったら、それもあるんじゃないかと2人で覚悟を決めて店の扉を開けた。
「こんにちは…」
主を亡くした店内は薄暗く、人を寄せ付けない雰囲気があった。
良恵は、店の一番奥のテーブルに1人座っていた。
「良恵さん?」
そう言って近づくと、良恵は泣いていた。
手には包丁を持っていて、身体は震えていた。
八さんと健太は顔を見合わせて慌てて包丁を良恵から奪い取る。
「良恵ちゃん、だめだよ!気持ちはわかるけど、これじゃあなんの解決にもならない!佐都ちゃん1人にしちゃいけないって!」
八さんが泣き叫ぶような声で良恵に訴える。
そんな声が聞こえたのか、奥から佐都が出てきた。
健太の手に握られている包丁、泣く母親。その隣で泣き叫ぶ八さんを見て、一瞬にして悟った彼女は絶句していた。
「良恵さん、桜ってどうして日本で人気があるか知ってますか?」
健太がその場の動揺を宥めるように静かに問いかけた。
「きれい…だから?」
良恵がぼんやりとしながら答える。
「そうですね。綺麗ですね。でも、それだけじゃなくて、散り際が美しいからって、言われています。昔から、日本人には散り際の美学というものがあって、去るものに対する美を昔から作り上げてきたんです」
「散り際?武士の切腹とか?」
佐都が健太に伺うように応える。
「そう。そのイメージありますよね。でも、日本で見る桜ってソメイヨシノが主流で、しかも、ソメイヨシノって、明治に入ってから広まったものが殆どです。
だから、武士のように、潔く死ぬことを良しとしない。命を大切にする時代の幕開けと共に、このソメイヨシノは日本中に広まって、その姿に自分達を投影するようになったと俺は勝手に思ってて。
桜って自分では散ろうとしない。風まかせです。でも、風が吹いても実は、しがみつくんです。散らすまいと、終わらせまいと。それでも散っていく姿に儚さと強さ、潔さを感じるんじゃないでしょうか」
健太はそう言って、良恵の正面に座り込み、顔を覗くような姿勢になった。
「何が言いたいのかって言うと、その散り際の美学からいくと、死に際を自分で決めるのは、美しくないんです。もがいてしがみつく、その姿が根底にないと、美しくないんですよ。
ここのモツ煮は美しいです。それを作り出してきた良恵さんや達郎さんは美しいです。もがいてしがみついて作り上げた味、店だから。
だから、いなくならないで下さい。俺の前から、姿、消さないで下さい」
健太はそう言いながら、涙を流していた。
必死だった。
大好きな店主の達郎さんが亡くなってしまって、後を追うように良恵さんまで亡くなるなんて考えられなかった。考えたくなかった。
もう、失いたくない。諦めたくない。
なかったことになんてしたくない。
ここは、自分にとってとても大切な場所だから!!
「あったかい物食べよう!ね。良恵ちゃん。あったかいもん食べれば、変な考えも飛んでいくから!」
八さんが突然そう宣言し、飛ぶように一度家に帰り、おでんを持ってきた。
「ほら、健太食べろよ。卵あったかくて美味しいぞ 」
「え?俺?卵?」
良恵さんに食べさせるんじゃないのか?
そう思った瞬間、卵が健太の口の中に放り込まれる。
「あっっっつ!!!!!!」
突然の出来事に驚いたのと、あまりの熱さに本能的に卵を勢いよく吐き出してしまった。
その吐き出した卵が八さんのおでこに勢いよく当たり、健太と八さんは2人でおでんの熱さに悶絶した。
「ふ、ふふふ。やだー!もう、2人とも何やってるの!おでんが勿体無いー!」
そんな2人の姿を見て、良恵が思わず笑いだした。
「それでさ、なんか勘違いしてるみたいだけど、私死のうとしてないよ?」
良恵はケロッとしていた。
「え??」
3人が同時に声をあげる。
「だって包丁……」
「身体震わして泣いてたから…」
「ごめんなさいね。その前に包丁持ったまま、机の足に小指ぶつけちゃって、痛くて泣いてたの」
「え?????」
3人がまた同時に声をあげる。
「私がこの店置いて、死ぬわけないじゃない」
「よかった…」
佐都が崩れるように座り込む。
健太はやっと息を吐いた。
八さんは、おでんを食べていた。
「なんでおでん食べてるんですかw」
健太が思わず突っ込む。
やっとその場にいた全員が笑った。
「実はね、モツ煮がうまくいかなくて…ずっとお父さんみたいなモツ煮作りたいんだけど、どうもうまくいかなくて」
「それでずっとお店に篭ってたの?」
「そうよ。だって美味しいの出したいじゃない」
「って事は、お店、続けるんですか?」
「当たり前。だって、お父さんが残してくれたお店だし、健太君みたいな常連さんいてくれるしね」
そう言って良恵は健太の肩をぽんぽん、と叩いて立ち上がる。
本当は死のうとしていた。
夫が急に亡くなってしまった今、このお店と借金。どうにかしなければと考えれば考えるほど、夫のモツ煮から遠ざかってしまい、どうして良いかわからなくなってしまって、手が自然に包丁を持って首元を突きつけていた。でも、その先の動きができず、へたり込んでいた所に、八さんと健太君がやってきて、私を止めてくれた。
そうか。
美しくない、か。
私は考えるばかりで、まだまだもがいてなかったな。
良恵は憑き物が落ちたような気分になっていた。
「健太君、八さん。ありがとう」
良恵は、笑顔で頭を下げた。
八さんはまた泣いて、うん、うん、と頷いていた。
「こっちこそありがとうございます。
変な話、俺にとってまんぷく屋はやっとできた家族みたいなんです。おかえりって言ってもらえる場所だから。だから、ここが守れるんなら、俺、なんでも協力します。モツも煮ます!だから、このお店、残してください。俺に居場所、ください!」
健太は頭を下げた。
「嫌ねえ。お客さんがモツ煮作っちゃったら商売にならないじゃない」
良恵が呆れたように健太に言う。
「本当だ」
その場にいた全員が大きな声で笑った。
その笑い声が、お店を包んだ。
主を亡くした店に、前とは違う灯りが点いた瞬間だった。
その灯りを点ける1人になれたんだと健太は嬉しくなった。
もう逃げない。簡単に諦めない。
健太は今まで諦めてばかりいた自分を振り返り、欲しいものは自分でちゃんと掴まないとダメだと決心した。
決心したら、小さい頃に茶碗が割れて泣いていた自分自身を抱きしめる事ができたような気がした。
小さい健太が、少し笑っていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?