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御前百までわしゃ九十九まで

線香の煙が自分の目を刺激する。
線香の煙が原因だろう、俺は涙を流していた。

線香を墓前にそっと置き、アイツが好きだったチョコ菓子を供え、墓前に座り手を合わせた。
涙はそのまま流れていたが、今は、そのままでいいと思った。

「アオイ、俺、再婚するんだ。」

アオイと俺は、職場の同僚というよくあるパターンで付き合い出し、そのまま結婚した。
子供も2人生まれ、色々あるがごく平凡な家族だったと思う。
お互い仕事をしていたので、話をする時間もあまりなかったが、たまに夜に2人で何気なく話をするときは、子供のことでも仕事のことでもなく、どうでも良い話をよくした。今思い出しても、何を話したのかさえ覚えていない、そんな会話を良くした。
お互いの誕生日には、自分が食べたいお菓子を贈るようにしていた。ただ、ルールとしてメッセージを欠かさなかった。

「御前百までわしゃ九十九まで」
と俺はしたためた。
本来、御前は女性側の言葉だが、それを承知であえて自分に置き換えて使った。

「共に白髪の生える迄」
とアオイが俺の誕生日に返してくれるのも、当たり前のように受け取っていた。

俺よりも長生きしてくれよ。
そう当たり前のように願っていたのに、アオイは先に行ってしまった。白髪もまだ目立たないうちに。

突然にアオイを、妻を、家族を奪われた俺は抜け殻のようになった。
子供たちはその当時まだ小さく、俺よりもケアが必要だったのに、俺はそんな事もお構いなしに自分の殻に閉じこもった。
閉じこもり、アオイを呪った。
俺を1人残したアオイを恨み続けた。

俺が別世界の住民のようになってそんな世界線を1人うろうろしている時、長男が空に向かって話しているのを見かけた。

「お母さん。
僕、今日先生に褒められたんだよ。字が上手だって。お母さんが教えてくれたおかげだね。」

そう言って長男は笑っていた。
空は、曇り空でとても晴々しいとは言えない天気だったのに、長男はとびきりの笑顔だった。

「お母さんと話ししてるの?」
俺は不意に話しかけた。

長男は俺の方を向いて、見つかった!と言う顔をした。

その顔を見て、俺は雷に打たれたように罪悪感に襲われた。

俺は1人アオイを恨み続け、その結果子供たちは隠れるように母親に話しかけるようになってしまったのか。

俺はアオイの夫であり、家族であった。家族は息子たちもいる。
なのに、どうして自分1人だけと思えていたのか。

「空のお母さん、返事してくれた?」
「…ううん。」
長男は小さく首を振る。
「でも、僕はお母さんと話をしたいから、こうやって話しかけているんだ。
だって、お母さんが生きてた時も、学校であった事こうやって報告してたから。」

俺の思いなんて全く関係なかった。
彼は日常を送っていただけなのだ。

目の前に母親はいなくても、自分の思いを伝えることをやめなかった。
そこに母親が不在になってしまったと言う恨みはない。

しまった!と言う顔をしたのも、母親との時間を邪魔されてびっくりしただけなのだ。

なんだよ。

俺1人、アオイを恨んで馬鹿みたいだ。

息子の中のアオイは、今も変わらず日常の中に存在し続けているのに。

御前百までわしゃ九十九まで

それを守ってくれなかっただけで、俺はここまで拗ねていたのか。
自分の器の小ささに笑えてきた。

一度笑ったら、何故だか笑いが止まらなくなり、長男を抱きしめながら笑い続け、そのままその場でゴロゴロ2人で転げ回った。

「イタタタ、お父さん、いたーい。あははは。」
長男も笑い出す。
その笑い声につられて、長女も顔を出し、俺たちにのしかかってきた。
「私も混ぜてー。」
俺は2人を抱きしめ、ゴロゴロ転がった。目が回るくらい転げ回った。

「目が回るうーー。」
3人で川の字になって寝転び笑っていた。

「なあ、お前たち、お母さんの事好き?」

何当たり前のこといってるの?と言う顔をしながら頷く。

「お母さんがいなくて寂しい?」

2人は顔を見合わせて、オドオドするように小さく頷く。

俺は、2人の頭をグジャグジャに撫でた。
「俺もだよ。
でも、寂しいのは、好きだからだよな。」

2人は、ハッとしたような顔をして、ほぼ同時に泣き出した。

俺は2人を抱きしめた。

「うん。そうだよな。
お父さんも寂しい。お母さんいなくて、こんなに寂しい事ない。大好きだもん。お母さんの事、大好きだもん。
だからさ、3人で泣こう。お母さん大好きだよって言いながら、泣こう。」

3人でワンワン泣いた。ずっとずっと、泣き続けた。多分、と言うか絶対、俺が1番泣いていたと思う。

俺が、アオイのいない世界で父親になった最初の日の出来事だった。

それから15年
子供たちはそれぞれ大学生になり、家を出ていた。
俺は、1人の女性との出会いがあり、その人と再婚することを決めた。
子供たちは2人とも、お父さんが幸せならそれで良いに決まってる。と言ってくれた。
ただ、今更お母さんとは呼べないなあと笑っていた。


墓前で手を合わせ、泣いている俺の髪には、白髪が目立つようになっていた。
「あー、線香目にしみたな。」
そんな独り言を呟きながら立ち上がり、涙を拭いて空を見上げた。
空は、雲が広がり微妙な天気だった。
でも、そんな空でも自分には充分だった。

俺は曇り空を背に、歩き出した。
「明日は晴れるかな。」
そう呟きながら、歩いた。



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