つよがり
はじめに
これは、松下洸平さんの再デビュー曲「つよがり」に触発されて作った、妄想小説です。
長いキスの後のため息。
まただ。
お互いこの人に近づきたい一心で近づくが、近づいたあとに現実が押し寄せてくるのだろう。
僕は、この人を幸せに出来ない。
こんなにも
愛しているのに。
でも、離れることもできない。
それを繰り返すうちに、僕は、彼女のため息さえも呑み込めるようになっていった。
彼女、中村さんは、僕、谷口の上司だった。
いつも明るく、僕の部署をまとめ上げてくれていて、安心して働くことができていた。
中村さんには、ご主人とお子さんがいる事も知っていた。
「毎日子供の迎えと、家事で、家族の奴隷よー」
そう言いながらも、幸せそうに笑っていた。
そんな彼女に、仕事も家庭も上手くいっていて、なんだか羨ましいな。
そんな嫉妬にも似た感情を持っていた。それくらい、会社では笑顔しか見たことがなく、「順風満帆」という言葉が一番似合う人だと思っていた。
ある日、部署内でミスが見つかり、僕と中村さんはその対応に追われた。
その対応中にまた、僕がミスをしてしまい、ドツボのような状態になってしまったが、そんな時も「谷口くん、大丈夫、間に合うよ。今は、原因を考えてる暇はないから、先に進もう」そう言って、僕のミスを責めることなく仕事をしてくれた。
何とか仕事に目処がついた時は、中村さんがいつもなら帰宅している時間をとうに越していた。
「わあ、こんな時間!」
中村さんは慌ててフロアを出る。
僕も一息つこうとフロアを出ると、大きな背もたれのないソファで電話をする中村さんがいた。
中村さんは、旦那さんに電話しているらしく、しきりに謝っていた。遅くなってしまうこと、子供の迎えにいけないこと。旦那さんは怒っているらしかった。
電話を切った後、手を後ろについて、天井を見つめながら、
「はあ…」
中村さんは大きなため息をついた。
そのため息を聞いた瞬間、僕は中村さんを近くに感じた。彼女も、色んなことに悩みながら生活しているんだ。それくらい、彼女の笑顔しか見たことがなかった。
そう思ったら、いつも仕事を頑張っている中村さんが1人の女性に見えて、急に愛おしくなった。
僕は天井を見つめる中村さんに近づき、上からそっとキスをし、すぐ離れた。
中村さんは、しばらくその姿勢のまま固まり、
「え?」
とだけ呟いた。
僕は咄嗟の行動を振り返り、急に慌てた。
「えっと、あの、その」
手足をバタバタさせながら、言葉を絞り出していた。
「お、お疲れ様です。」
やっと出た言葉が、これだった。
「お疲れ様?お疲れ様でキスってするの?挨拶?
ここは外国なの?」
そう言って中村さんはケラケラ笑い出した。
僕もつられるように笑った。今起きた事を吹き飛ばすように彼女は、笑った。
「さあ、ねぎらいももらったから、帰ろう!」
そう言って僕に笑いかけてくれた。
僕は、この瞬間、彼女に忠誠を誓った。
この笑顔を守ろう。そう強く思った。
それからの僕らは、何事もなかったように部下と上司として過ごした。
僕は、中村さんの笑顔を守るために仕事に没頭した。
すると、不思議と中村さんと2人で仕事をする機会が増えていった。
今まで話すことがなかったお互いのことを少しずつ話すようになり、僕が冗談を言うと、彼女は溢れるような顔で笑ってくれた。
それだけで僕は、その日の仕事がうまくいく。それくらいの幸せを感じていた。
ある日、僕が外出先から帰るともうみんなは帰っていて、中村さんだけが残っていた。
「お疲れ様です」
「あ、おかえりー。ありがとうね。」
僕は、中村さんが上の空で答えているのがわかった。
「何かあったんですか?」
「ああ、うん。いいの、大丈夫。ごめんね。」
「大丈夫じゃないですよね?」
「ははは、本当に大丈夫だよ。さて、これで仕事終わりでしょ?帰りなよ。」
僕は、彼女のそばに椅子を持っていってしっかり座った。
「はい。話を聞いたら、帰ります。」
「はは…まいったな。
……さっき、部長に呼ばれてね。今やってる企画あるでしょ?あれ、無しになったんだ。」
それは僕らの部署が総力を上げて取り組んでいる企画だった。
「え?どうして?もう、GO出てましたよね?」
「理由はよくわからない。
でも、どうでも良いんだって。大した企画じゃなかったろ?って。」
「大した…ことない?」
「…それ言われたらさ、はい。って言うしかなくて。
なんかね、悔しくて。
私がもっとしっかりした上司なら、そこで上手いこと交渉して企画が続行したかもしれない。
みんなに申し訳なくて。
ごめんね。一生懸命やってくれたのに。」
中村さんは僕に向かって頭を下げた。そんな姿がいじらしくて、どうにか助けたくなった。
「企画が無くなった事は残念ですけど、中村さんが上司で僕らは常にありがたいと思ってますよ。いつも、その笑顔に救われてるんです。力もらってるんです。そのままでいいんです!」
中村さんは、俯いたまま、動かなかった。
「やめてよー。優しくしないでよー。おばちゃん泣いちゃう。」
「僕は優しくしますよ。」
僕は、中村さんを見つめた。
中村さんは僕を見てくれなかった。
僕は立ち上がり、中村さんに近付いた。
「やめて」
「やめませんよ。だって、中村さんが悪い訳じゃない。それを、自分の力不足みたいに言うから、僕は、中村さんのせいじゃないって全力で言います。」
「ありがとう、でもやめて。だめだよ、近づかないで。ダメだよ。ダメなんだよ。」
「何がダメなんですか?」
「ダメなものはだめ。さて、私帰るね。お疲れ様。谷口くんも早く帰ってね。」
中村さんが立ち上がろうとした所を、僕は咄嗟に彼女の手を掴んだ。
彼女が息を呑んだ音が聞こえた。
「もう!やめてって言ったのに!一生懸命距離取ってたのに何で近づいてきちゃうの!」
一瞬の沈黙の後、そう言って、中村さんは振り返り、僕にキスをした。
しばらくキスをした後、彼女は身体を翻した。
「やっぱりダメ!
私、あなたの上司!私、旦那さんも子供もいる!別に今の生活に不満はない!何やってるの!」
中村さんは、自分に言い聞かせるように俯いて叫んでいた。
「僕は、家族を大事にしてる中村さんが好きです。何に対しても一生懸命な中村さんが好きなんです。つまり、全部好きなんです。」
そう言って今度は僕からキスをして、彼女を抱きしめた。
「その笑顔を向けてくれる一つに、僕を入れてくれませんか?」
「…良いのかな………」
中村さんはゆっくり、ためらうように僕の胸に顔を埋めてくれた。
中村さんは思っていたよりも小さく、華奢だった。守ってあげたい、本気でそう思った。
僕は再び忠誠を誓った。
それから僕らは、わずかな時間を見つけては、一緒に過ごすようになった。たとえ30分でもいろんな話をした。その中で僕は、努めて中村さんの家族の話も聞くようにした。
家族の話をする中村さんの表情が好きだったし、自分の現在地をしっかり確認するためでもあった。
彼女の本拠地は家庭にある。
それが前提だからだ。
「私、欲張りだよね。
家族が大事。でも、谷口くんも大事。
ごめんね。
でも、それが本当なんだ。」
これが彼女の口癖だった。
それでも、僕らは止まらなかった。
止められない、そう思うことが反対に僕らに火をつけていた。
「谷口くんのキスが好き。」
そう中村さんはいつも言ってくれた。
あの笑顔で誤魔化した最初のキスから何回重ねたろう。
彼女は次第に、キスの後にため息をつくようになった。
「何そのため息。」
「あ、ごめん。幸せで怖くて…。
幸せの次に、罪悪感が襲ってくるの。」
僕は、中村さんがそう言った時は必ずおどけてみせた。
中村さんは、「くだらないなあ」と言いながら、笑ってくれ、僕の手を握ってくれた。
だが、次第にそのため息の回数が多くなっていった。
僕は、彼女のため息を飲み込むようにした。
彼女の罪悪感も呑み込めることを信じて。
そこまで、彼女にのめり込んでいたのだ。
だが、
その日は突然やってきた。
いつもの長いキスの後、彼女は笑顔で言った。
「今日を最後にしたい。」
僕は、ついにこの日が来たと思った。
彼女と時間を共にした時から、分かってはいた。彼女も、僕も幸せにはなれない。
でも、近づくのを止められなかった。彼女を手に入れたかった。僕に笑顔を向けて欲しかった。
「私、家族が大事なの。でも、このままだと、あなたから抜け出せなくなる。今なら、いまだったら、まだ引き返せる。」
中村さんは決心した顔でそう言った。
「嫌だって言ったら?」
僕はキスをした。中村さんはいつものように返してくれた。
だけど、ため息をついてくれなかった。
僕は、中村さんの決心を感じ取った。
かっこいいな。
そう思った。
そう思った瞬間、ずるいな、そうも思った。
今日を最後にすると勝手に決めてしまった。僕の意思など関係なく。
僕は、彼女に笑顔で別れを告げることにした。
でも、サヨナラとはいえなかった。
だって僕の中では終わってない。ひとつも終わってない。納得などできるはずはない。
必死に笑顔を装って、彼女を抱きしめた。
僕が泣く代わりに、中村さんが泣いていた。ごめんね、ごめんね、と泣いていた。
「最初に言ったでしょ?僕は、家族を大事にする中村さんが大好きだって。」
言葉を発したら、僕は耐え切れず、嗚咽をあげてしまった。
僕は全身全霊をかけて中村さんを愛していた。
家族を愛する中村さんが好きだった。でも、そんな彼女を僕一人で独り占めする覚悟はなかった。
最後の恋だと思っていたのに。
最後の最後で、僕の覚悟が足りなかった。
それに気づいたら、嗚咽が止まらなかった。
今度は、中村さんが僕をしっかり抱きしめた。
頭をポンポンしながら、その手を僕の頬に持ってきた。
「私、谷口くんの笑顔が好きなんだ。」
「僕は、それよりももっと、中村さんの笑顔が好き。その笑顔を守りたいって、本気で思ってる。」
「じゃあ、1番最初のキスの時みたいに笑おっか。」
2人でおでこをくっつけて、見つめあった。
ふふふ
笑顔は漏れたが、あの時のように笑い合うことは出来なかった。
ああ、終わるんだ。
僕は実感した。
それからの僕らは、また努めて上司と部下に戻った。
だが、彼女の笑顔を守る、と言う僕の忠誠はまだ守られている。
それが、
僕のつよがりだ。
あとがき
推しの再デビュー曲、「つよがり」を聞いて、冒頭の歌詞に持ってかれて、妄想が爆発しました。
つよがりってなんだろう。
そう考えながら、書いてみました。
冒頭の文章のきっかけは、Twitterでの呟きがきっかけでした。聖さん、いつもありがとうございます。妄想爆発しました。
今回も、読んでいただき、ありがとうございました。なお、これは歌詞を元にした二次創作であり、原曲とは全く関係ありませんので。あしからずです。
最後に、彼女側のエピソードもひとつ
彼に近づきたい一心だった。
自分の立場を考えたら道徳に違反しているし、職場の立場的にもあってはならない。
なのに、この想いは止められなかった。
わたしの中にいろんなわたしがいて、
妻のわたし、母のわたし、仕事のわたし、
それぞれがそれぞれに動いていて人格を持っている。
そこに抑え込まれていた
女のわたし
が顔をだした。
久しぶりすぎる女のわたしに、自分自身が狼狽えた。
狼狽えた先に見えたのは、彼の笑顔だった。彼の笑顔が好きだった。
でも、最近の彼は心から笑ってくれていなかった。私の狼狽えをも、呑み込んでくれていたから。
私は、彼の笑顔を守りたかった。
自分を守りたかった。
今日の夜を最後にしよう。
そう決心した。
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