夏の魔法5〜写真集「体温」より〜
ひよりちゃんへの想いは、ひと夏の熱に浮かされただけだ。そう思うようにしたが、空を見上げ太陽や月を見るだけで、彼女はどうしているんだろうか。島で笑えているんだろうか。そんな事を考えては、胸が締め付けられる毎日だった。
なんであそこでしっかり思いを告げなかったのか。
後悔もするだけして、冬の訪れを感じるようになったある日、俺は待ち合わせ場所でソワソワしていた。
波照間の友人から連絡が来て、ひよりちゃんが東京に行くから、ぜひ会いたいと言っている。
とのことだった。
仕事帰りの夜の街、指定された場所で待つ間、俺はこの東京の景色の中で、ひよりちゃんを見つけられるだろうか。
もうあの海の波の音を思い出せないくらいになっているのに。
そんな不安を抱えながら待っていた。
すると、前方から女性が歩いてきた。
100m位離れているだろう。
それでも俺はそれがひよりちゃんだとわかった。
服装は全然違うし、周りの景色も違う。
でも、島の笑顔を纏ったひよりちゃんが歩いてくるのが、わかった。
ひよりちゃんも俺に気づいたらしく、手を振りながら小走りで近づいてきた。
「久しぶり!」
弾けるような笑顔でそう言うひよりちゃんは、そこだけ夏のようだった。
その笑顔だけで、俺はまた魔法にかけられて、俺も笑顔になる。
「よく1人でこれたね」
「今は、便利なものがありますから。でもね、自分で向かいたかったの。それが今私に出来ることだと思ったから」
俺たちは、近所にあるカフェに入った。
座るなり、ひよりちゃんが笑い出す。
「どうしたの?」
「だって、東京って本当に星が見えないんだもん。びっくりしちゃって。改めて私ってすごい空の下で暮らしてるんだなあって思って」
座って話す事がまずそれ?とも思ったが、そんなひよりちゃんが愛おしかった。
それからご飯を食べながら、どうでもいい話をした。この東京でも、2人で話すことは変わりがなかった。
俺はそれが嬉しかった。
「それでね」
ひよりちゃんがバッグから何かを取り出す。
俺が描いた波照間のデッサン画だった。
「これをね、仕上げてもらいたくて、持ってきたんだ」
「仕上げ?」
「うん。色がないでしょ?せっかく波照間の事描いてくれたんだから、色が欲しくなって」
「え?それだけのために、こっちに来たの?」
「違うよ」
そう言ってひよりちゃんは俺をまっすぐ見つめた。
「私、八代さんが好きなんだ。その思いを伝えたくて、来た」
俺は今、椅子から飛び上がったんじゃないか?その位驚いていたが、声にならなかった。
「誰にも頼らず行こうって思ったのは、自分の意思で、波照間から八代さんを探しに来たかったから。お母さんを探すときは、実は不安しかなかったの。でも今回は違う。私の思いを伝えたかったし、絵を完成させてほしいって言う希望もあった。だからね、ここまでの道中、ワクワクしかなかったよ。星の見えない空もワクワクした」
「俺もね…」
そう言って、バッグを探る。
手が震えているのがわかった。なんとも情けないとは思ったが、仕方ない。大人だからこそ、震えるんだ。そう言い聞かせた。
「これをね、ひよりちゃんにあげたかったの」
取り出したのは、チャームだった。
「あ、シーグラス」
あの、ゴミを集めた時に拾ったシーグラスをこっちに帰ってきてから、チャームに加工してもらったのだ。
「実はね、俺も持ってるんだ」
そう言って部屋の鍵を取り出す。シーグラスのチャームが付いていた。
「帰る日の朝に、浜辺に行って拾ったんだよ。ほら、お揃い」
同じ浜辺から拾ってきた、ゴミだけど宝石のようなシーグラス。
俺や、ひよりちゃんだなと思っていた。
「それって、どう言う事?」
俺は唾を飲み込んで心を決めた。
「俺も、ひよりちゃんが好きだって事。本当は島にいる時から好きだった。でも、俺は島を離れる人だから、中途半端な事が出来なくて、何も言えなかったんだ。俺が諦めればいい。そう思ったから。
でもね、帰ってきても、思い出すのは、ひよりちゃんのことばかり。参ったよ、いい大人が振り回されちゃって。だから、こんなものまで作っちゃった」
俺は言いたい事を言い切って、肩を下ろすように息を吐いた。
「八代さんってロマンチストだったんだね」
「そうだよ。俺はロマンチストだったんだよ。この歳になって気づいた」
2人でふふふ、と照れながら笑い合った。
「これからの事、どうするかは色々考える必要あるけど…」
「それなんだけど」
ひよりちゃんが少し大きな声で宣言するように言った。
「私ね、児童心理学を勉強したくて、学校に通うことにしたの。その見学もあって、今回東京に来たの」
「え?学校?こっち来るの?」
「うん。今まで、波照間を離れる事がどうしてもできなかったんだけど、やっと飛び立つ勇気が出たの。もちろん島は好きだから、これからも島のことは愛していくし、帰る気持ちもある。でも、やりたい事が自分にも見つかったんだ。だから、春からは、東京の人になる予定です!」
キラキラしていた。
今まで、島の笑顔だと思ってたけど、今は、ひよりちゃんの笑顔になっていた。
「なんだよ、俺に会いに来たのが目的じゃないじゃん」
そう笑いながら、机の上に置かれたデッサンの 画を手に取る。
「この絵、どんな色をつけようか」
2人一緒に、波照間の風景を思い浮かべた。
デッサン画から、夏の日差しの色が、見えていた。