短編小説:くらげ〜いちばんすきな花・君を想うより〜
クラゲは自分で泳ぐことができる。
できるけども、波の力に打ち勝つ事はできず、結局ゆらゆら波に揺られて漂っている様に見える。
でも、実は必死に泳いでいるのだ。
そう見えないだけで。
俺と純恋のようだ。
俺と純恋はトモダチだ。
思い出しても何の話をしたか思い出せないような話をしたりする事ができるし、自分の恋人にも言えないような事を言えたり言われたりする。
もちろんそれで喧嘩したりもするけど、いつの間にかまた元に戻って、何の話をしたか思い出せないような話をする。
だから俺たちは、いつでも隣り合っていても波に揺られるようにゆらゆらと気持ちよく泳ぎ、漂い、喧嘩をしてもいつの間にか戻って前の関係を再生できていた。
そういう存在だった。
だけども、そんな俺たちは今、クラゲのようにゆらゆら一緒に揺れていたのに、海流の激しい流れに流されて、別々の方向に飛ばされてしまっている。
そう、あの時から。
なぜあの時俺は、純恋を引き寄せてしまったのか。知ることのなかった肌の温もり、熱さ、声を、吐息を知ってしまったのか。
考えれば考えるほど、わからなくなっていた。
俺たちは波に流されるように一緒にゆらゆらと心地よく泳いでいたと思っていたけど、俺は、純恋に寄り添うように、離れないように、必死に泳いでいただけなのかもしれない。
それが今、別々の方向に飛ばされた俺は、なす術もなく、ただただ、泳ぐしかなかった。
真っ暗な海の中を。
今の俺の感情が、なんの感情なのかさえもわからない。
ただ、この気持ちを純恋に伝えてしまったら、俺たちの波に漂う関係は、必ず終わりを告げるだろう。
ベニクラゲは危険を感じると自ら若返り、クローンを作り、再生を繰り返す。
いわゆる、不老不死と言われている。
だが、ベニクラゲの数が増えることは無い。
何故なら彼らは、常に捕食されてしまう、弱い立場だから。
不老不死なのに、増えないのだ。
俺の感情と同じだ。
俺の気持ちには答えがない。
だから、純恋に近づくことも、離れることもできない。
俺は1人で水族館に来ていた。
ここの水族館の漂っているように見えるクラゲたちが、実は必死に泳いでいるなんて、考えただけでもいじらしくなる。
だから、少し自分を落ち着かせたいときは、1人でよく水族館に来るのだ。
水槽でふわふわを泳ぐクラゲをみてボーっとしていると、水槽の向こう側に見慣れた人物が現れた。
「あ」
純恋だった。
「やっぱりここにいた。最近おかしいなあと思ってたから、そういう時は、森永くん、絶対ここだと思ったんだよ」
「そんなにわかりやすい?俺」
あまりの突然の純恋の登場に、俺は動けなくなっていた。
そんな俺をみて、純恋がくくく、と笑いだす。
「ねえ、よく考えたらさ、似てるね。私たち」
「え?」
「どく」
「どく?」
「そう、どく」
何のことかさっぱりわからなかった。
「私、トリカブト。あなた、クラゲ。ほら、どっちも毒を持ってる。クセ、強いねえー」
そう言って純恋は再び笑い出した。
シンとした水族館に純恋の笑い声が響いて、俺は恥ずかしさと面白さで我に返った。
「その毒かよ」
俺もつられて笑い出した。
「なあ、トリカブトちゃん」
「なによ、クラゲくん」
そう言って再び笑いだす。
俺たちだから、笑い合える。こんな存在、他にいない。
「俺、純恋が好きだわ」
「私も森永くん、好きだよ」
そうだな、両思いだ。
この「好き」が何の好きなのかは、まだ答えがわからない。
でも、俺にとって純恋が『大切な人』ということは、それだけはハッキリとした。
クラゲは自分で泳ぐことができる。
できるけども、波の力に打ち勝つ事はできず、結局ゆらゆら波に揺られて漂っている様に見える。
いつか、俺たちが交わることができるように、俺は俺なりに泳いでいこう。
俺は、明かりの見える方向に泳ぎ出す。
そこに純恋がいるのかどうかはわからない。
でも、泳いで行くんだ。
そう決意すると、水槽のクラゲが方向転換して動き出していた。
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