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蕾が開く時(1)

はじめに
これは、朝ドラスカーレットのサイドストーリーです。
今回は八郎さんの物語です。


蕾は硬くて強い。

硬い蕾を突き破って初めて美しい花を咲かせることができる。
その為、つぼみになる為にエネルギーを、溜めて溜めて溜め込む必要がある。エネルギーを溜め込みすぎると、蕾が開いてしまうかもしれない。なので、蕾は硬くて頑丈な方がいい。

なので、硬い殻を破ることができた花芽だけが、美しい花になることができる。
だから、花は誰をも魅了してやまない。
色、形の美しさはもちろんのこと、そのエネルギーに心奪われるのだ。

「今年もあかんかったなあ」

そう落胆しながら、八郎は花芽のついていない盆梅の枝先を丁寧に触った。
何年も丁寧に世話をしている盆栽の梅の木が、ここ数年花を咲かせなくなったのだ。

まるで自分の心を表しているようだ。
八郎はそう思っていた。

花を咲かせなくなったのは、武志の病気が発覚してからだった。

息子の武志の白血病という病気は、治ることがない不治の病だ。どうあがいても年々命が削られていく武志の姿を、八郎はどうすることもできず、ただ受け入れるしかなかった。

この盆梅は、長浜の盆梅展を幼い武志を連れて観に行ったときに、武志が気に入って購入したものだった。それから毎年、武志と世話を続け、武志の元を離れてからも、八郎が手元に置いてずっと管理してきた。

花を咲かせない年なんてなかったのに、武志の病気が発覚してからピタリと蕾をつけなくなった。

それはまるで、この世で一番大切な息子のことなのに、どんなに努力をしても武志の命を救うことはできない。自分は無力な存在であることを、まざまざと突きつけられているようだった。

次第に八郎は、この梅の花を咲かせることが出来れば、武志の容態も好転するのでは?そう思うようになった。

梅の花に希望を見出してからは、ありとあらゆる方法を試した。剪定の方法、時期を見直したり、肥料や堆肥、日の当て方など考えられる方法を試してみたが、残念ながら、今年も蕾はつかなかった。

「少し、放っておいた方がええのかもしれませんよ?」

そう教えてくれたのは、会社で盆栽が上手だと言われている社員に相談した時に言われた一言だった。

「梅だって元々は山に生えている野生の木ですからね。自分で生きる力を持っているんです。
それを美しい形にしたい、美しい花を咲かせたい。そうこちらが思うから手を加える訳で。
花芽をつけるって、ものすごいエネルギーを必要とするんですよ。だって、あんな硬い蕾を突き破って花を咲かせる為には、いろんな力が必要ですからね。
でも、そのエネルギーは梅の木が自分で溜め込むしかない。
八郎さんが梅を咲かせたいと必死になればなるだけ、手を加えれば加える分だけ、花芽をつける自分の力を、梅が溜め込むことが出来ないのかもしれませんよ?八郎さんの梅の木は枯れた訳じゃないんでしょ?
なので、しばらく梅を信じて放っておくのもええのかもしれませんね」

そうか。
自分は武志のことを思って、焦って梅と接してしまっていたのか。
花を咲かせてほしい、蕾をつけてほしい。
武志を助けてほしい。
その願いが、梅の力を削ぎ落としていたのか。

まるで自分の武志への接し方だな、そう思った。

八郎は武志の事を心配するあまり、過保護になりすぎることがあり、よく喜美子に怒られていた。

武志は作陶に命を燃やしていた。
ある日体調が悪いのに作陶を続けていて、目から出血してしまったことがある。
目から血を流す異様な光景の我が子を見て、八郎は動転してしまい、慌てて作陶を辞めさせた。でも、武志は少し休んだだけでまた作陶を再開した。
再び辞めさせようとした八郎を、喜美子が止めた。

「なんでや!武志、あない具合悪そうやのに!」

八郎は思わず喜美子を叱りつけた。

「武志は今、作陶に命燃やしとるんよ。それを止めるのは無粋やで」

喜美子は静かに力強く、八郎に言った。

なんでそんな事を言うのやろう。自分は命を縮めて作陶に臨む武志を見ているのが辛かった。喜美子は武志の体調が心配やないのか?

そう思っていたが、喜美子は武志の力を、作陶に向かう熱情を、陶芸家の川原喜美子として、陶芸家の川原武志を信じていたのか。

今、それに気づいた。
それと同時に、自分にとっての陶芸とはなんなのか。
再び考えるようになった。

一度は手を離した陶芸の道。

それでも手放したくないと、釉薬の道に進んだ。
その選択が間違ってるとは思わないが、自分にとっての陶芸、作陶とはなんなのか。
そう考えながら、時々、信楽の工房にこもって土をいじることもしたが、昔のように胸が熱くなるような感覚はなかった。

そんな自分と向き合う時間を多く持つようになっていたので、反対に梅の木には自然と距離を取るようになっていた。

気がつくと、10月になっていた。
いつもの朝、盆栽に水をやろうとすると、花芽がしっかりついていることがわかった。

「わ!花芽や!」

その日、会社で例の男性に花芽がついた事を報告した。

「ああ、今まで剪定した時期が早かっただけなのかもしれませんね。これで、剪定すればきっと花芽に栄養が行って花を咲かせることができるかもしれませんよ。でも、あくまでも花を咲かせるのは梅の木ですからね?よく、梅の木と相談しながらお世話してください」

それから梅の木と向かい合った。
この梅はどこに枝を伸ばしたいのか。どこに花を咲かせたいと思っているのか。
そんな事を語りかけながら見つめると、切るべき枝を見極めることが出来た。

すると武志ともそう言う距離感で語り合うことが出来た。
もちろん、体調への気遣いはあるが、陶芸家の武志との対話を良くするようになり、武志がどんな作品を目指しているのか、どんな色を作り出したいのか、どんな思いで作陶をしているのか。

それは、鏡のように八郎自身が自分自身と向き合うことにもなっていた。


あとがき
美しい日本に出会う旅、と言う番組で信楽を訪れた時、長浜の盆梅が取り上げられました。
それをみて、蕾が開く時のパワーと八郎さんを繋げてお話を作りたいと思いました。
また、少しだけ松下洸平さんの旅路という歌の歌詞も世界観に入っています。

もう少しだけ続きますので、お付き合いいただければと思います。
なお、このお話は私の完全なる妄想ですが、ヒントを下さったまめいかさん、ありがとうございます。
妄想なので、本編とは全く関係がありませんので、悪しからずです。



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