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ケイン&アベル ワタシ的解釈

ああ…『ケイン&アベル』東京公演が終わってしまった……

正直、あまり期待してなかったんです。自分自身が壮大なミュージカルがあんまり得意じゃなかったので。
もう今となっては、頭下げすぎて前転しちゃうくらいごめんなさいって感じで、どっぷりケイアベの世界に浸っています。
その中で、私なりに色々なことを解釈してみました。

【高潔すぎるケイン】
 幼い頃に尊敬する父親を亡くしたケイン。彼の中で父親は憧れのヒーローのままだった。父親が死なずにいてくれたら、尊敬する父親にも欠点はあって「なんだ、大人ってこんなものか」とそれがいいガス抜きとなってリチャードのような自由な息子でいれたのかも知れない。
ヒーローの父親しか見れていなかったから、高潔な父親を目指して、まさにその名に恥じぬように行動してきたのだが、それが仇となってしまう。
 また、彼の中での『母親の死』というのはかなり衝撃的で、ヘンリーの言う通り、公衆の面前であんなことを告発しなければ良かったのにと自分を責めただろう。だからこそ、「母親を【殺した】」
「リロイを【殺した】」「俺(アベル)を【殺す】」
と言う【殺す】と言うワードに対する拒否反応がすごく、ある意味PTSDのようだと見てて思った。
 その言葉から逃げたくて、また頑なになり、且つ高潔すぎるケインが邪魔をして、暴走する自分を止められなかったのかも知れない。

【孤独なケイン】
幼い頃に父親を亡くし、きっと寄宿舎にも入って いただろうから、家族としての愛情には飢えていたのかも知れない。
なので、マシューはケインにとって家族以上だったし、そのマシューを失ったことは、ケインにとってこの上ない喪失だっただろう。
だから戦場で死にかけたとき、まず、語りかけたのは、両親ではなく、マシューだった。
ケイトと言うかけがえのない伴侶は得たが、ソウルメイトを失った彼はどこまでも孤独で、残念なことにそれを埋める術を持っていなかった。

【人情派アベル】
 対するアベルは、かなり情に厚い人間として私は映っていた。
自分を認めてくれた伯爵のために城を取り戻そうと生き抜いたり、自分の才能を見抜き引き上げてくれたデイヴィスに対しての忠誠心…そこには必ず『命』が存在する。
 幼い頃から生死の狭間で生きぬいてきた彼だからこそ、自分に差し出された手は決して離さないと誓い、行動できるのかも知れないと思った。
 だからこそ、娘に「愚か」と言われてしまうくらいな行動をしてしまったのだが。

【ケインとアベル】
舞台上では敵なのかライバルなのかと火花を散らす2人で、ビジネスも家庭も同じ感じなのかと思ったが、比較的人は離れていかない(原作を知らない私は、いつジョージが裏切るんだろうと思ってたw)ほぼ勘当状態でも父親の悪口を自分の子供には言っていない娘達から推察して、あの2人、普段はそれほど火花を散らすような人間ではなく、ちゃんと子供達とも向き合って愛していたんだと思った。
そうでなければ、2世は大抵へっぽこなのが常なのに、フロレンティナは後に大統領になるんでしょ?(パンフより)
それだけ、あの2人、お互いのことになると異様なほどに愚かだったんだろうな。

【女性の自立】
 私はこの【女性の自立】が、このミュージカルの裏テーマだったと自分の中で感じている。
 原作は知らないが、このミュージカルは、21世紀に作られているからこその視点が満載で、まず、女性を性の対象として描かず、蔑視もしていない。なんてったって、狂言回しがフロレンティナなのだから。
 最初は「あなたならできる」と夫を励まし、だけど少しずつ強くなった彼女達は「もううんざり」と夫に怒りと自分の考えをぶつける。そして、その想いは娘ににしっかりと受け継がれ、フロレンティナが「私ならできる」と自立した女性に成長していく。

 まさに女性の自立を描いていると、強く感じた。

 ケインとアベルが結婚したのはおそらく1920年代後半。その頃の夫婦の形と言えば、良妻賢母が求められた時代だったろうし、妻であるケイトもザフィアもそのようにしてきた。だが、戦争で夫は戦地に赴き、今まで庇護してくれた夫が不在の4年の間に、彼女らは、良妻賢母だけではなく、家を守らなければならないと言う精神的な大黒柱と言う役割も果たさなければならず、その中で、少しずつ芯が強くなっていったのだろう。
 なので、マネーゲームに夢中な愚かな夫達に鬼のような形相で「もううんざり」と、怒りをぶつける。「出しゃばるな、口を出すな」夫達にそう言われても、妻達は怯まない。
彼らがマネーゲームに夢中になってよそ見をしている間に、彼女達は強くなっていたのだから。
 だからこそ、あのステージで6人が歌う『もううんざり』があのミュージカルの最高潮を迎える瞬間だったと強く感じている。

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