昭和たぬき合戦どいなか
以前、私の曾祖母が化物を「もんもん」と呼ぶことについて覚書を書いた(詳細はリンク参照)。
まさしく柳田国男が採集した民俗語彙と、その傾向に合致する一例であり、そんなものが令和の世までも生き残っている事実は、存外我々の身近にある不思議な「過去」を思い起こさせてくれる。
そんな感傷に浸りながら記事を書き終えた私は、ふと、別の事を思い出した。
よく考えれば我が曾祖母は、隣人が狸に化かされていた話さえ、私にしてくれたのである。しかも、昔語りの伝え聞きなどではなく、「隣家の娘さんが狸に化かされていたところを、多数の人間が目撃したリアルタイムの話」という体裁をとっていた。
なんということだろうか。我が曾祖母(存命)は、化け狸ネイティブ世代だったのだ。日本の田舎においては、昭和初期には公然と、狸は化けて出たらしい。
これもなかなか興味深い事例であろうから、ここに記しておく次第である。
化け狸の被害にあったのは先述のとおり、隣家のうら若き娘さんである。
その日、家のすぐ裏に用事があった娘さんは、夕方にちょっと外に出た。何か取りに行くか、ごみを捨てるか、その程度の用事だった彼女は、何気なく裏手の林に目をやった。
娘さんの証言によれば林の木々の隙間から、月が昇るのが見えたのだそうだ。折しも満月の頃合いで、盆のような月がぽっかりと、薄闇の空に浮かんでいたという。
月はじりじりと、しかし着実に昇っていく。どんどんと高く、大きくなっていく月は、娘さんのほうに迫ってくるようで、最後にはとうとう視界いちめんを覆いつくすほどになってしまった。娘さんはなぜだか月から目を離す気になれず、ぼんやりとその様を眺めていた。
ここで物語の視点は、娘さんから目撃者たちへと変わる。
娘さんの尋常でない様子を、隣人や通りすがりの何人かが目撃し、訝しく思ったという。虚空に呆けた視線を向け、人の気配に反応もしないありさまは、異常以外の何物でもなかったのだ。
ふと、ひとりが彼女の足元に注意を向けた。そこにいたのは、一匹の狸であった。娘さんは化かされているのだと直感したひとびとは、その狸を追い払った。
狸が退散するとたちまち、彼女は正気を取り戻した。林の向こうには月など出てはいなかったのだ。娘さんも目撃者たちも、その後の障りはなかったという。
狸――しばしばムジナとも呼称される――が月に化ける話は枚挙にいとまがない。多くは木に登り、尾を月にする、などと言われるが、本例では娘さんの足元で化かしを実行していたようだ。
狸が化けた月は本物より大きい、と言われることがあるが、この話でも月はどんどん大きくなる。狸の化けた話として、典型的な要素も多く含んでいることがわかる。
この話が聞き取られたのは、令和になってからの事である。
急速に変化する現代だが、まだ我々の手の届くところに、刺激と不思議に満ちた過去は佇んでいるようだ。また、何か面白い話を曾祖母から聞けたら、ご紹介しようと思う。
【参考】
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース(https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/YoukaiDB3/youkai_card.cgi?ID=0180075)
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