おばけの声と名前【読書記録:柳田國男『妖怪談義』】
いわゆる古典をつまみ食いで済ませてしまった不詳私だが、反省を込めてここ暫くは古典的名著の繙読に勤しんでいる。
新年度に入って生活リズムが変わり、今まではなかった2時間の電車通勤をするようになって、読書時間がぐんと増えたのは僥倖であった。ここぞとばかりに貪るように、ここ数年ぶんの積読を消費中だ。
その積読のひとつが、今回取り上げる柳田國男『妖怪談義』である。『古典』というには変化球気味だが、日本民俗学の黎明期を考える上で避けられない古典であることは間違いない。
私が読んだのは1977年刊行の講談社学術文庫版である。
最初に『妖怪談義』が出版されたのは1956年。様々な媒体に掲載された柳田の原稿を収録しており、個々の原稿は1940年以前に執筆されている。
本書の自序には、明確に柳田の問題意識が示されている。
このような意識のもとに収集された伝承や語彙と、それに対する柳田の考察が、多岐にわたって収められているのがこの本だ。
私の場合、民俗学は齧った程度なので、さほど深い批評や考察ができるわけでもない。「ふむふむ」と楽しんで咀嚼するのが精いっぱいである。それでも、少々面白い発見があったので、ここに書きつけておく。
『妖怪談義』には自序を除くと三十二タイトルの文章が収められているが、本記事で話題とするのは「妖怪古意――言語と民俗の関係」という一篇である。
この稿で柳田は、秋田沿海部のナマハギ(今日でいうナマハゲ)を発端に、おばけを意味する各地域の語彙を紹介し、そこから原初のおばけの「鳴き声」にせまっていく。
詳細は原典に当たっていただくとして、ここではおおよその結論を紹介しよう。柳田は化物を意味する児童語の分布を、おおまかに東日本の「モウコ・モモンガ」系と西日本の「ガゴ・ガコゼ」系に分類している。東西に大きく分けられるわけだが、実際には水戸で「ガンゴジ(ガゴ系)」の語が採集されているなど、飛び地的な分布を見せる場合もある。とはいえ、大きく東西の二系統があることは明確だ。
おばけを意味するこれらの語については、「モウコ=蒙古」、「ガコゼ=元興寺」といった字を当てて起源を探る考えもある。例えば元興寺説は江戸前期の儒学者、林羅山などの意見だが、柳田は「単なる学者の心軽い思いつきが、多数の信奉者を混乱させた例」と手厳しい。
では柳田の考える両系統の語源は何かといえば、おばけ自身の「鳴き声」である。犬を「わんわん」、猫を「にゃーにゃー」と呼ぶように、鳴き声がそのまま化物を意味する幼児語になったのだと柳田は想定するのだ。
この考え方自体は興味深い。少し日本の妖怪を離れるが、似た発想が東アジアに見られる。古代中国の地理誌『山海経』は、怪力乱神と実在の生き物が入り混じって紹介される不可解な書物なのだが、その中にしばしば登場する記述がある。
前掲文のうち「わが名をよぶ」という表現がそれである。現代語では「自分の名前を言う」と訳せるだろう。本文に即せば、「この鳥は自分の名前と同じく「ヒッポウ」と鳴く。」という意味になる。
当然ながらこれは順序が逆だ。「ヒッポウ」と鳴く鳥に、人間が「畢方」と名付けたのである。この「わが名をよぶ」化物たちは、山海経に数多くみられる。
もっと言うならば、現実世界においても「わが名をよぶ」生物は存在する。カッコウ、ミンミンゼミ、シジュウカラなどだ。鳴き声から命名する、という方法は、語源として珍しくないものと言えるだろう。
それでは問題の、日本の化物の鳴き声とは何だろうか。柳田は「モウコ・モモンガ」系と「ガゴ・ガコゼ」系が元々はひとつの言葉に由来すると仮定し、その言葉は「咬もうぞ」ではなかったか、と考える。
「ガゴ」系の語は「咬もう」のKの発音が恐ろし気なGの発音に変化して、「モウ」系の語は「咬もう」の後半部分が独り歩きして、それぞれ発生した、という推察である。
果たしてこの興味深い意見が、「単なる学者の心軽い思いつき」ではないと納得しうる傍証は、この論のなかで十分には示されていないように思える。発表されて以降相当の年月を経たこの論について、現代の民俗学の分野からはどのような批評がなされているのか、簡単に論文など探したのだが、良いものは見つからなかった。御存じの方がいらっしゃればご教授願いたい。
以上が「妖怪古意」の内容をざっと示したものである。
この論を読んだ際、ふと思い出された記憶があった。
初夏のころだったか、それとも秋口だったかもしれない。眩しい太陽は沈んだが、まだあたりはほの明るい。今風に言うならばマジックアワー、古風に言うならば逢魔ヶ時の頃合いである。
幼い私は家の庭で、遊びに夢中になっている。子供のよい目には、まだ辺りは遊ぶに十分な明るさだ。風が少し冷たくなっても、草叢に虫が鳴いても、空はまだ水色をしている。
ぽつりと、遠くの街路灯がともっている。畑の向こうの道を通る車も、ヘッドライトをつけている。
まだ空は水色をしている。
家の戸口の電気がついて、曾祖母が顔を出す。
「遊ぶのはもうおしまいだよ。暗くなるとモンモンが来るよ」
――思い起こせば私の曾祖母は、確かに「モンモン」と言っていたのだ。そしてそれは、化物、おばけ、恐ろしい何かを意味する語彙に違いなかったのである。
私の生まれは関東の辺縁部である。「モウ」系の語彙が支配的な地域に他ならない。
知らぬうちに私は、柳田が観測していた事象に触れていたのだ。
おそらくは加速的に消えゆくものの、最後のひとかけらを目撃した人間として、忘れぬうちに書き留めておく次第である。
《参考文献》
柳田国男 1977『妖怪談義』講談社
高場三良 訳 1994『山海経 古代の神話世界』平凡社
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