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昔も今も変わらない、好きなこと
子どもの頃から、自分の好きなことはずっと変わらない。
小学生のころ、社会科で郷土を調べる授業があった。地元に残る中山道の文化財を友達と一緒に探して、模造紙にまとめるあの時間が、ただただ楽しかった。
夏休みの自由研究も同じで、どうしてもやってみたくなるテーマを選んで、調べてまとめるのが楽しかった。
私は、理科の実験のような手を動かす作業よりも、あれこれ資料を読み込み、自分なりに整理していく過程が好きだったのかもしれない。
大人になっても、思考を可視化することは変わらず好きだ。
ブログを書いたり、インスタに投稿したりするのも、頭の中のあれこれを形にして整理することで、ようやく自分の思考が見えてくる。
思考整理って、子どもが散らかしたおもちゃを片付けるのと似ている。
ごちゃごちゃのままではもう何も入らない状態の棚を、きれいに整えて、また新しいものが入れられる余裕を作る。
そのすっきり感が好きで、頭の中も軽くなった気分になる。
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そんなふうに、何かを整理することは、今でも私にとってはちょっとした「遊び」だ。
だからこそ、勉強という感覚はなくて、ただの趣味のように楽しんでいた。
でも、好きなことだからといって熱中するのは「悪いこと」という意識も少しあったように思う。
いつも「もっとやりたい」という気持ちにブレーキをかけ、心の中で少しだけセーブをしていた。
今振り返ると、もっと欲に素直に動いてもよかったのかもしれない。
もしかしたら、私の中で「ゴミ」だと思っていた「屑」は、才能の「種」だったのかもしれないのだ。
まだ遅くないなら、この種を少しずつでも育てていきたい。
忙しい毎日のなかでも、少しだけ自分の好きなことに時間を割いて、のびのびと自分の世界を広げていけたら、きっと今まで見えなかった何かが見えてくる。そんな気がする、というか、そうであってほしい。
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母親になってから、自分の時間を使うことが悪いことのように感じている面もある。このnoteを書くのだって、朝の支度に紛れてコソコソ書いているのだ。
もっともっと自分のために動こう。
子供の頃に好きだったあの時間を、また私は過ごしてみたいから。