2024年9月前半
半期が終わる今頃になって、夏が終わりかけています。
長い夏。まだ油断ならないけれど、秋の兆しが感じられると
不思議と元気が出てくるのは、秋が好きだからでしょうか。
20240901 Sun.
このところの台風だか温帯低気圧のために、今日は一日雨降り。見上げた空の曇天具合も、天気予報も、どちらも雨だと言い切るので覚悟を決める。
で、気になっていた虫に対処するため彼らが集まっている食品がないか、台所を掃除し始めた。そしてそれは台所全体を掃除することになった。
コクゾウムシのようなもの、調べるとこれはシバンムシ。小麦粉などが好き。このところ毎日5~8匹くらい見ていた。だいたいの食品は封を開けていないか、封を切ったらビニール袋やジップロックに入れているんだけどな・・・と探していくと、なんと、未開封のいかすみパスタ(乾燥)にいた! いかすみパスタは黒い。そこに黒い虫。未開封だがビニール袋に穴をいくつか開けて、袋の中、パスタの間にいるようだ。あー、あー、あー、もうこれは捨てるしかない。4年前にイタリア旅行したときに買ったのか、東京駅にあるEATALYで買ったのか。でも確実に3年以上は経過している。そうしちゃいかんのだな。
それで終わりかと思ったら、そうではない。一度開けて残りをビニールで覆っていた蕎麦の乾麺にもいる。棚の収納箱を出して、プラスティック容器を洗い、ひとつひとつ物品をチェック。棚2段、もう1か所を確認したら、もう台所はカオス。封をした粉系のパスタや蕎麦は、大きなタッパーに入れた。台所の敷物を洗い、掃除機をかけ、床を拭き・・・。疲れた。
雨降りで、蒸していて、疲れる。間にduolingoやELSAをやりながら、Youtubeで聴きながら、片付けに戻る。飽きる、疲れる。離れる。この繰り返し。
寝た時点で、まだ片付け終わっていないものが放置されていた。
20240902 Mon.
友人と東京駅近くで会食。おひとりは11歳上のお姉さんの病気看取りした後。おひとりは久々の東京。後者の方が選んでくれたサバティーニ。八重洲ミッドタウンというビルの4階にあり、このビルは東京駅の真ん前、ターミナルの正面に最近出来たビルで、以前は八重洲ブックセンターなどのビルがあった敷地だ。
サバティーニはいま建て替え中の銀座ソニービルの上の階に入っていたレストラン。当時は重厚な雰囲気がしていたが、ビル4階の大きなガラス面から久々の快晴で光が沢山入ってくる。明るくシンプルな店内。
赤い眼鏡のウェイターさんが、同じビル高層階にあるブルガリホテルロビーからの景色が見事で、おススメだと熱心に教えてくれた。
ブルガリのホテルなんて縁がない。
こんなことでもなければ絶対行くことはない。3人いるから野次馬根性だ。ホテル内の要所要所にスタッフの方が立っていて、笑顔で来客者をガイドしている。素直に、景色を見に来ました・・・と展望スペースを案内してもらった。
展望した景色に目を奪われる。室内インテリアや飾ってある宝石のスケッチ、宝石がちりばめられたネックレスやハンドバッグ、ショールームのテーブルアレンジなど、眼福だった。
そのあとミーティングがあったので、八重洲から丸の内側へ移動。すると、予定していたオンラインが急遽リスケ、とのメッセージが入っていた。会食が始まったころ連絡があったのだが気づかず、予定時間まで30分を切ったところで認識。直前までキャンセル可能なレンタルスペースで良かった。
そのまま東京駅地下街をウロウロ。丸の内と八重洲を結ぶ自由通路が出来て便利になったものだ。そして八重洲地下街も変化していて、5,6年前は昔ながらのレトロカフェだった場所はスタバに変っていた。対角にはGong-Chaがある。確実にこのあたりの年齢層が下がっている。随分縮小したけれど八重洲ブックセンターのお店もあった。
あれこれ見ていると2時間くらいつぶせそう。
ふだん行かないキャラクターストリートが面白そうで、いくつかじっくり見てしまった。ミッフィー、LEGO、TV局のショップなど。
そのあとスタバに入り、しばらく時間を過ごして混んだお店を出ていくとき、カトラリーはどこに返すのかウロウロしてからお店の外に出たら、
「これ、違いますか?」
と私が席で肩にかけていた白い薄い上着を持って女性が声をかけてくれた。左隣に座っていた30代くらいの女性だ。なんて親切!
「あっ、私のです、全然気づいていませんでした、ありがとうございます!」
と受け取る。肩にかけていた薄いアウター、パソコンが入ったかばん、手元かばん、そしてスタバのカップやお皿に気を取られて、すっかりずり落ちた上着のことを忘れていた。
明るい感じの人。お店の外まで追いかけてくれてありがたい、嬉しいなぁ。
20240903 Tue.
ニュースで小耳に挟んだつくば市での自宅近くに来たライトバン(?)で投票できるしくみ。移動投票カーということか。市長選を想定して実施可能なところまで準備できているが、この秋、国政選挙と重なる可能性があり今回は取りやめたとのこと。残念。邪推だけど国政選挙もできないわけでないけれど、国側が認可しなかったのではないだろうか。
でもここで出来るという事例があれば、もう一歩進めることができるかもしれない。
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神宮外苑での樹木観察という子供向けイベントがある。呼んできた先生がいい。藤井英二郎先生。街路樹に詳しい、語り口がやわらかい。先生が子供向けに話をするとは、想像していなかった。この企画を立てた方が素晴らしい。
私は行きたい。子供向けとあっても、大人も参加していいらしい。でも日程がうまく自分の都合と合わない。
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台所の片付け、続きをやらなくてはならない。でも面倒だなぁ。
虫のことを調べるとやはりシバンムシらしい。そしてこのサイトを読んで、本当にゾッとした。
徹底的にやらないとどこに潜んでいるか、どこで繁殖しているか。そこで先日掃除をしなかったもうひとつの戸棚も全て中身を出して点検。なんと、押し麦の使いかけに入っていた! 即捨て!
未開封のものを含め乾物を入れる場所は、やはりタッパーや缶のような蓋をきっちりできるものでないとならないな。それと、棚では小さな段ボールを使っているところがあるけれど、厚紙も住みかになりやすい。ゴキブリは出ないので大丈夫かなと捉えるのは甘いらしい。いくつかある段ボール箱は、100円ショップの収納トレイに替えることにしよう。プラスティックを増やしたくなかったのだが、仕方ない。
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奄美のマングース
ハブを退治できるぞ、ということで人為的に島へ放した外来生物マングースが、結局のところハブは夜行性なので、昼間活動するマングースがハブを退治することはできず、効果がないのに天敵がいない楽園で繁殖だけ続けて、固有種のアマミノクロウサギを襲って数を減らしていたそうだ。
1978年に30匹入れて、2000年に1万匹、そこからマングースの退治に取り掛かり、2018年に一匹捕獲された後は見つかっていない、とのこと。
自然の姿を保持するということは、何か手を加えてしまったのちは相当に大変な執念がいる。そんなことを教えてくれるケース。
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小川さやかさんの講演会
先月から日比谷図書館を利用しはじめ、ここで色々な講演会が行われていると知った。そこで試しに今日の講演会へ行ってみた。
100人ほどが集まっている小さなホール。「ここでない誰か」というキーワードに惹かれて申し込んだということを思い出した。
素朴な、威圧感を与えない人で、わかりやすく話をする方だった。アフリカで文化人類学という手法で、そこで営まれる生活や慣習を研究するために、タンザニアの路上で古着を売ること約1年。20代のときに行ったその研究で博士資格を取り、その後も研究や教育をしていらっしゃる。そのような研究だから日々の生活とも遊離しない在り方で、そこも魅力。
危ないことはあったのだろうか? どうやらうまく避けられたし、よい人達に恵まれたようだ。そして、古着マーケットで観察された人々のコミュニケーションスタイルや、とある部族の結婚スタイルなど、色々な価値観や色々な慣習・制度・ルールがあることを体験したという。
小川さんが熱心に語っていたのは、同じ日常のなかでも場面設定を入れたら、色々な発見があるということだった。毎日同じように通勤路を通う時にも、別な人になりきって歩めば、いつもと違う発見があるという。別な例では、スーパーへ買い物へいくときに、貧しい生活をするなか工場の労働で得られた賃金で好みのものを買うシチュエーションとか、今日は大きな仕事をやり遂げて自分で自分を褒めたい女性管理職の気持ち、などと想像するというのだ。
つまりは、日常をいつもと違う視点で見るということ。そうすると当たり前と思っていることが、必ずしもそうである必要はない、ということになる。例えば、この駅は”ケガをして松葉づえをついているとしたら、親切でないなぁ、通えるルートがあるのだろうか?”とか、”今日はキャベツが安いので、これを使って何種類料理をしようか? 千切りの生、ちぎって炒め物、大きな葉っぱでロールキャベツスープ、ぬか漬けにしてこれも千切りで食べる、これだけあれば豪華だな”など、”達成感を感じることができたので自分で褒めたいけれど、何をしたら今の気分に合うだろう?やはり、レモン酒の話題の一本か?新製品を探してみよう”などなど。
日常に埋もれて毎日過ごすよりも、楽しいし、発見がある。さらに進めば、誰でも使いやすい駅や通勤路はどんなものか、いま当たり前とされている母親がゴハンを作るという考え方はいつもそのチョイスだけなのか?とか、現状に囚われない発想につながるという。たしかに。
参加してよかったし、面白かった。
私も学問的バックグラウンドがあったら、日々の観察趣味をこのような形でまとめられるのだろうか?
20240904 Wed.
やっと8/31のコンサートの感想がまとまった。譲っていただいたチケット、その方に読み応えがあるようにしたかったし、自分が感じたことをできるだけ余すところなく盛り込みたかった。
警察へ行く時間は午後15時、その前に移動した南千住にあるスタバでほぼ仕上げた。
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南千住警察署へ。
スカイツリーよりも東側、墨田川が流れている。JR貨物の引き込み線が広い面積を占める。地下鉄日比谷線、つくばエクスプレスの駅が近接している。
松本芭蕉像がJR駅前にあるのは、千住から「奥の細道」をスタートさせたことによるもの。この場所そのものが出発点 、というわけではないらしい。
貨物引きこみ線の大きな空間のおかげで空が広い。周囲には商業施設、昔ながらの住宅、新規開発された高層マンションが立ち並ぶ。荒川区の最東端だそうだ。
用件は、私のクレジットカード受け取り。8月下旬の旅行中に、マンションや妹のところへ、私のクレジットカードを取得したと警察から連絡が入っていた。私の家電話にもかけてくれたそうだが、不在だったので、連絡がつくわけがない。
心当たりのないクレジットカード、なぜその2か所に電話したの? と、とっても疑問に思ったのだが、連絡先の電話番号は確かに警察署の電話だから詐欺ではなさそう。電話の向こうの担当警察官は届けるともおっしゃってくださったのだが(郵送ではない)、すでに住所が明らかになっているので隠すこともないけれど来てもらうのもちょっと避けたいと思い、時間のある私は街の見学がてら行くことにした。そしてスタバスタンプも増やそう、というわけだ。
警察で担当官から聞いてわかったことは、結局は私が2月頃、映画館内で落とした映画のマイレージカード(クレジット機能付き)を拾った人が、届け出ることなく持っていて、その人がどういう事情がわからない(私には明かされない)が、所持品を警察に押収されたということだった。映画のマイレージカードは、映画館で見つからなかったため、カード停止にしたので私は実害がないし、だれも犯罪を起こすことはなかった。つまり事件性はない。だから警察としてはカードの持ち主に引き取ってもらわないといけないらしい。
説明をきいて、受領書類にサインして、家に帰ったらそのカードは鋏を入れて捨てるだけだ。いくらなんでも、帰る途上に落としたりしないよね、私!? 帰ったら即ハサミを入れると心に決めて警察署を出た。
昨年ならば、南千住から15kmくらい歩いて帰っただろうが、今日は地下鉄に乗って、罪滅ぼしに3駅分、3kmほど歩いただけ。10月に出た100kmウォークのために、ちゃんと準備していたな。
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19:30-21:30
ABDフォローアップ講座。
あまり気が乗らないし、直前に出られないということも出来るけれど、申し込んだし、何か得られるものがあるかもしれないと気を取り直して出ることにした。
ABDを開催したいけど、なかなか実現しない/対話が深まる場にしたいけどどうしたらいいか、という悩みを持って参加。結局、あまり明確な答えは得られないんじゃないかと思っていたけれど、少し方向性が見えた。嬉しい。
フォローアップに、運営側2人、参加者4人という6人が集まり、気になっているテーマをお互い出して、そのなかから3つくらいのテーマについて話していった。
人集めについては、あまり答えがないが、場に合った本か、本に対する実施者の思い入れや情熱で人を集める、そのいずれかではないかと。そして対話については、自然と深まる場もあるが、何か仕掛けを作りたかったらカードを使うこともいいのでは?と。カードに書かれたことが論点になったり、カードの言葉が刺激となり何か話したくなるというわけだ。
カードツール、やってみてもいいかもしれない。
気持ちだけで引っ張るだけでなく。(私にとって体温を感じない)ツールを使うのもひとつの手だ。実際に、どう使うのか、という最初の一歩から、使い慣れていない私には困るんだろうけれど。
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お風呂に入った時、いままで気づかなかったが、右のお尻にかすかなしこりのようなものがある。鏡で見ると大きな紫のあざ。あ、これは尻もちをついたとき出来たんだ。いままで気づかなかった。後ろ姿をあんまり見ないしなぁ。
SNSで知り合いが、オステオパシーを受けて・・・と投稿していた。突き指、折れていないことは整形外科で確認したけれど、不調は引き続き感じている。
いましばらく、手当が必要らしい。
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9月に入り、今月・来月の予定がだいたい確定した。わりと大きなイベントと、個人的な旅行がある。こうなると、その先の2ヵ月、11月・12月も早晩決まっていくなぁ、というか、決めていくことになる。年内、何を達成するかと焦るのではなく、じっくりと選択肢を挙げて選んで組み合わせていく時期だ。
瓶に大きな石と小さな石を入れる場合のこと。
大きな石を先にいれたら、小さな石は沢山入る。揺すればスキマに入っていく。
小さな石を先に入れると、それで瓶の下の方が埋まってしまい、大きな石が入りにくくなる。
それを思い出した。
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そういえば、イヤなことは意識の底におしやっている。
今日、資格試験の結果を確認した。またも不合格。
だけど、これまでのなかでまぁまぁ悪くない点だ。
予想と違うところがいくつかあるものの、結果NGは予想通り。ロールプレイの自己評価とズレていて、評価していなかったところが評価された。うーん。どれだけこのテストで遊ぶのだろう?
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モンゴルの判断。
プーチンを逮捕しなかった。でも出来ないだろうなぁ。つい先ごろまでロシア・ソ連に占領される恐れがあったのだから。いまは友好関係であってもいつ変わるかわからない。
先日観た『戦争と人間』で、中国(共産党政府、国民政府:蔣介石政権)、ロシア、モンゴルの複雑な関係のなかで日本政府や軍部、ビジネスマンがあれこれ画策していた。そういう歴史が、つい100年前にはあったのだから、そして、ロシアは数百年にわたりモンゴルに支配されていたのだから、両者の関係は、緊張感をまとっているだろう。オランダ・ハーグに本部を置くICC:国際人権委員会が昨年3月に逮捕状を出しているが拘束力は絶対ではなく、罰則はない。ロシアとモンゴルは戦争にしたくない、お互いよい関係を続けたいという事情から、逮捕するわけないとロシアは踏んでいての、この出国。
ロシアが、プーチンが、関係国を見極める力はレベルが高い。そこはいいのだけれど、動機が損をしている自分たちが周囲から隙あらば得て当然と思っているところだ。
20240905 Thu.
例の虫は新たに現れていないような気がするが、もしかしてこれは?と、箱を開いてみたら、いた!
薄いクラッカー。まだ開封していないのだが、2箱あり、片方はビニールを破って中に入っていた。もうひとつは、ビニールの外側に数匹とりついていた。もう、目をつむって全部ゴミ箱へ入れた。おいしいやつなんだけど。
結局何か所にいたんだ? これで最後なのか?
もう絶対に小麦粉類が入ったものは、缶/タッパー/ジップロックに入れよう。そのまま置いていてはいけない。
もともとそういう習慣にしている人も多いみたい。開けたパスタは冷蔵庫に入れるとか。それをしていなかった私が非常識だったともいえる。気候の変化が関係しているかもしれない。
不思議とお米は、ペットボトルに入れていて、(小麦粉につくのとは別な種類)、コクゾウムシがついたことはない。
戸棚のなかを全て出して、敷き紙を交換して、そこで使っていた段ボールの箱は捨てた。プラスティックケースを致し方なく4つ買い、それを使う。あとは持っていた缶を使う。大きなタッパーは、すでに乾物を入れて使っている。
今日で全てパッキングできたはず。
あとは、今あるものをどんどん使おう。何年もキープしないように。
潔癖症な人は私のようなことはないのだが、乾物は大丈夫でしょう、とおおらかに大雑把な私は考えていた。それはいまもあまり変化ないのだけれど、持っているものは使った方がいいに決まっていて、それを実践しようというわけ。
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実家へ。
前回に続き、気が重い。
でも普通にやって、楽しく過ごしてこよう。
夕方ついて、夕食の用意を手伝い、わりとすぐに食べる。
なんだかまだ私の口調が固いし、何を話そうか?と思ってしまう。
8月に蓼科前と行っている最中にぶつかったことが、心の中でまだ痛い。
それと私には母が現在進行形で変化していることが、老化で認知が変わっていくのではないかと恐れを感じている。そして、その私の認知も信じていいのかわからない。そもそも若くっても、認知というのはその人なりの認知であり、他人からみた認知とは違うのだから。動物の環世界ということばがあるけれど、人間ひとりひとりに環世界があるようなものだ。(言葉の使い方が正しいかどうかわからないが)
食後、お茶を飲んだりテレビを前に他愛もない会話をするときにはホッとする。
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泉代表の立候補スピーチ、冴えない。企業の部長か、高校の生徒会かって内容、いや学級委員か。
20240906 Fri.
フランスで、右派、元外相が首相就任
大統領:マクロン=独立候補 マクロン与党「共和国前進!」
直近の最大与党:国民連合=保守、国家主義、ポピュリズムを標榜するフランスの政党。旧党名は国民戦線(こくみんせんせん、フランス語: Front National)ル・ペン氏
首相:ミシェル・バルニエ=右派共和党
このようなねじれが出来て、フランスは大混乱と言われるが、ねじれを作れるのは、むしろいいことかもしれない。
日本の場合、自民党や与党であると、連合を含めた与党グループからしか大臣が任命されない現状と比較すればのことだけれど。間違った方向に一方的に進んでしまう危うさが、今の日本にはある。昭和40年代ごろの与党自民党は党内で様々な方向に意見があったらしいからだ。
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ゆうべ、オステオパシーをオンライン予約したけれど、来週ではなく、今日かこの週末にお願いしようと思い直した。
もともとは、レントゲンで異状ないことは判明し、徐々に突き指が直ってきたかなと思いつつ、気になるから行こう、というレベルだったのだが、今日は、朝一番に指の違和感、肘、肩の違和感があり、これは何か神経が良くない状態なのではと、リスクの認識レベルが上がった。
幸い、明日、予約を入れてもらえた。
オステオパシーは受けたことがないのだけれど、整形外科でカバーできないところを診てもらう。
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実家で、芝刈り機で刈り取り切れない縁の芝をバリカンで刈った。これまでいつもキッチンバサミでカットしていた面倒と比べると、バリカンの威力はすごい! 早い! でも間違って指チョンパしないように気を付けなくては。
気になっている植え込みの雑草をカマで刈って、落ち葉を掻き集め、それなりにきれいな庭に(一時的に)なった。
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台所の包丁などキッチン道具を入れてる引出が、どうもカビ臭い。前回、木へらがカビていたのを洗ったのだけど、まだ発生源があるみたい。2段分の木製類(へら、しゃもじ等)を洗い、敷き紙を変えて、どうだっ?! とりあえず今は改善されたようなので、次回帰った時に再確認しよう。
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多少風が吹くし、日陰で作業するようにしていても、やっぱり暑い。時々TVをみてサボっていた。そのTVがいい内容だった。
能登半島珠洲市に7,8年前に移住していま銭湯を運営している人達の話。
もともとは宿泊施設を運営していた人が、地元の年配の銭湯の主人から譲られたそうだ。銭湯の名前は”海浜あみだ湯”。
銭湯は、本当に大事だと思うのだが、この番組をみていてコモンズの、みんなの資産だと思った。それを苦労を厭わず、継続する姿が頼もしい。背伸びせず、実直で、町の人達の健康や安心を作っている。
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NHKの番組『72h』 パリの漫画喫茶が面白かった
ベルばらと、槙村さとる・紡木たく、時々萩尾望都くらいしか読んでいなかった。その後、有閑倶楽部とかマスターキートン、火の鳥、ブッダは読んだけど。
なると、ワンピース、進撃の巨人、鬼滅の刃、などがフランスで人気。
撮影拠点の漫画喫茶は、パリ13区にある。1階が受付、漫画販売、お菓子・カップ麺・グッズ販売。2階が書架と閲覧エリア。フランスらしく、色使いがオシャレ、ソファや椅子が並び、そこで読んでいる老若男女がみんなまたオシャレ。そしてインタビューに答えて話す内容が、結構みんな感動的だ。漫画をまじに読んでいると感じ。漫画を読んでいるときはリラックスして自分でいられる感じ。漫画を読んで、昔の自分のことを振り返っているひともいる。
自然体、清々しい、気負っていない。
とってもいい感じだった。
案外、ゴールデンカムイは一言も出てこなかったな。
それから女子の恋愛ものは、フランスではあまりウケないらしい。女性の在り方ががかなり違うから。
アメリカやフランスの漫画と違い、日本の漫画は、微妙なニュアンスや希望や努力する姿、希望が描かれているところがいいのだそうだ。うん、これはきっと日本らしさなんだろう。
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しかし、昼間見たニュースで、フランス人女性が、夫から長年10年以上虐待されていたという。睡眠薬や精神治療薬でもうろうとさせられ、夫および250人以上の男性によるレイプを動画に撮られたことを訴え、顔出しで法廷証言するということだった。娘は母は勇敢だとコメントしていた。
女性が結構強いというか、はっきり主張するイメージのあるフランスだけど、一方でDVが多いともきく。こんな極端なDVがあるとは。なぜ?
一緒にTVを観ていた母は、ラテン+カトリックということが要因では?という。ラテンだから恋愛に自由度が高い、カトリックだから結婚は絶対でその檻から出られない。そんななかで起きうるのではという。DVが多いのは事実なんだよなぁ。
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国道16号の陥没。
これは明らかに、横切っている川だった場所ゆえの影響だ。
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もし定年まで働いていたら、今日で退職して1週間だ。
これまでは、本来とは違って毎日自由だったのだけれど、
9月からは、本来と同様に毎日自由な生活となる。
なんとなく、つまらなさが、倍増してくる気がする。なんなんだ、これ?
埋没していく気がして、そのことが嫌。
毎日自由を楽しむプラクティスをこれまでやってきたのに、ここでツマラナイ埋没した感覚になるなんて。
そんな感覚に浸るのはやめよう。でも止めようとか、これじゃなくて!と力むと、変なバランスになる。どうしたらいいのだろう?
・練習してきた
・いま案外、ツマラナイ埋没した感覚になっているってことを自覚する
・この両方を感じる
それだけでいいのではないか。
そこに罪悪感とか、ふがいなさを感じるのではなくって。罪悪感とかふがいなさは、何か勝手につくった物差しと比較して、脳内製造したものでしょ?
ただ、そうあることを認めるなら、そのまま、置いておけばいいのだ。
そして、楽しもう。
いまを。生きていることを。
20240907 Sat.
オステオパシー体験。
トントン、というタッピングが特徴的。何を感知しているのだろう。
突き指が私のいまの主訴だが、それは場所を特定してテーピングする対応となった。その間、手や手首、上腕を揺らしたり捻ったりしながら確認して、むしろ3,4年前の骨折のダメージが神経に残っているということを話してくれた。
そのために、どうしたら何かできることがありますか?
と尋ねると
神経の部分は自分たちに任せてもらっていいとのこと。
この方が感知しているものを、私は自覚もしていないのだろうな。何がおきているかわからないけれど、結果良くなりますように。
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オステオパシーの近所に、包丁人気を捉えた外国人を主なお客さんとするお店があった。ここで包丁研ぎ、切り方のワークショップを行っているらしい。行ってみたい。
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投稿したコンサートの感想レポについて、チケットを譲ってくれた人から、対策で驚いた、臨場感があってすごい、とリプライしてくれた。冗長な文章ではあるが、そんなふうに反応を頂いて嬉しい。
オステオパシーの後、午後、3時間くらい寝てしまった。
夜20時過ぎ、散歩に出かけたとき足の運びが少し軽やかで、このところの腰のこわばりが薄まっているように感じた。
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例の虫、まだいた。今日は3匹。
なんだかなぁ。
卵があれば、そこから生まれてくるから、ここしばらく10日~2週間は様子を見なくちゃ。
9/1に掃除を開始し、9/3に2つめ、9/5にさらにふたつ、
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英語の発音アプリの練習文のなかに、「仕事をこえて残る人間関係をつくることは大事だ」という意味のセンテンスがあった。
そうだよね。
でも仕事を越えて、という意味で、私は退職してほとんど会社の人と付き合いがない。
いまも残っているのは、
・2007年頃の同じ職種の仕事仲間、2,3人
・割と長く接点があり、一緒に働いたこともある同じ職種の人、2人
・2015~最後までの違う職種の、カウンターパートのような人たち、2人(もうお一人いらしたが、昨年亡くなってしまった)
このくらいだ。他に、合唱つながりの違う職種の人は6~10~15人ほど、同じ会社の思い出を話すことはできる。でも仕事としては、上記箇条書きにした人達。とても少ないのだろうと思う。同期で集まるという輪にも入らなかったしね。
同じ歳で、60歳定年後も請われて次なるポジションを得て、これから5年、また活躍する人もいる。そういう人と比較すると、人間関係が乏しいことは事実。
20240908 Sun.
総裁選、党代表、ほぼ出そろってきた。
だが、都知事選のバカバカしさと同じくらいに、自民党の乱立ぶり、立憲民主党の体たらくぶりが目につく。都もダメだけど、国も同じようにダメだな、という感覚。
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『ナミビアの砂漠』
河合優美が出ているので、観にいった。
『あんのこと』は観ていない。とても熱心に観た『不適切にもほどがある』では河合優美も惹きつけられたひとつの理由だった。子供としての気持ちと、状況がよくわかっている大人の視点をそれぞれうまく表していた。
最初から最後まで、やるせない展開なのだけれど、主人公女性の一生懸命生きようとする姿に力があり引きつけられる。ナミビアの砂漠で、水たまりで水を飲む動物と、2リットルのペットボトルから直接水を飲む主人公たち。
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宮益坂での倒木。
右側の写真のような、地上50-60cmくらいのところで折れた様子。でも特段の虫食いがあるとか、わからないなぁ。
藤井先生ならわかるだろうけれど。お会いしたときに、これはどうですか?とか聞いたりするのも、周囲の人には変だと思われるのだろうか?
20240909 Mon.
朝読書会。10月に福井へ行って縄文遺跡をみようと、この読書会の延長計画がある。その打合せ。どこに行くか、宿、レンタカーなど。
今日誕生日を迎えた友人にSMSを送った。数ヶ月前は返事があったけれど、今回無いのは、何か意味があるのだろうか? 私が機種変更したのでうまく通じていないのだろうか?
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夜、都内に勤める大学時代の女性友人と落ち合い夕飯を一緒に食べる。
昨年亡くなった同窓生の一周忌が発端。彼女の仕事や家族などお喋りをした。ちょっと溜まっているストレスもあるらしいので、その解消も込めて。
ただ待ち合わせに難儀した。丸の内線の改札で、近くに成城石井があるところ、との指定。
そんなところあったっけ?と、探したけれど見つからない。東京駅最寄りの成城石井はJR京葉線側。それも構内かも? 地図でわからず、東京駅と有楽町の間を歩いて探したけれど見つからない。チャットでやりとりしていて、待ち合わせ時間間際になって ”成城石井ではなく紀伊国屋だ” と。えっ、本屋? 東京駅の本屋といえば丸善じゃないのかな、紀伊国屋なんてあったっけ?…もしや紀ノ国屋?…KINOKUNIYA? 成城石井と同じ高級路線スーパーのKINOKUNIYA? それならさっき前を通ったよ。
というわけで、無事、会うことができた。
丸の内側で会い、丸の内ビルのレストランリストを見るがどこもお高い。新丸ビルも同じ。そこでサラリーマンおっさんな私達(わたしは元だけど)は八重洲側へ移動。丸の内と八重洲を結ぶ自由通路が出来て数年たつが、これが出来て本当に助かる。
ストレスも溜まっているし、お腹もすいていたし、いきなりカレーの香りに誘われた。一応、あたりを見回して上の階もみて比較検討はしたけれど、最初惹かれたカレー店でカツカレーに決定! その後、また別なお店に入るつもり。
お喋りしながら、わしゃわしゃカツカレーを食べる。もう大学生じゃないけれど、数年ぶりのカツカレーに解放感を感じながら。
他のお店をさがす途上、通りがかったキャラクターストリート。ちょうど1週間前に私もここにきて最新のレゴだとか、ミッフィとか楽しかったんだよね~と話すと、友人はお孫さんがクレヨンしんちゃんが好きだそうで、お店を探し始めた。最初はお孫ちゃん向けをみていたのに、結局、そのお母さん(お嫁さん)とその夫(息子)と、家族全員分のキャラクターグッズを買ってご満悦。こうしてどこかへ行くたびにお土産をあげているんだろうな。
ラーメンストリートを通り抜け、八重洲地下街まで来たら、少し離れたところに見える日本酒Barに吸い寄せられた。この場所は、厳密には八重洲地下街ではなく、八重洲ミッドタウンの地下らしい。
" TASU+" というお店。女性2人とか、男女4人グループとか、カウンターと4人席がある落ち着いた店内で、カフェといっても通じる雰囲気。3種呑み比べがあったり、アンティパストのような盛り合わせがある。先ほどのカツカレーでお腹は一杯なので、飲み比べと5種盛りのおつまみをお願いした。
このお店はまた来たい。ココはおススメ。
20240910 Tue.
糸魚川へいったときに買ってきた姫川薬石を煮沸した。妹と母へのお土産。
姫川の河原にある石を販売していて、免疫を強めたり傷を癒す健康効果があるらしい。
流紋岩質凝灰岩(りゅうもんがんしつぎょうかいがん)という名称。
母、妹、自分用の石3つをひとつづつ煮沸していたら、二つ目を取り出すときにガラスポットに何かが当たったらしく、ポットが割れてしまった。10年以上使ったポットが破壊! 何かとご縁のあるものが離れていく、そんな時期なのかもしれない。
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今日は夕方にコンサートがある。
19時から初台のタケミツメモリアルホールでコンサート。
JNO、反田恭平が率いるオーケストラ、Japan National Orchestra。
初めてきくので、興味津々。
席のなかなかいいところで、我ながらよくチケットを取ったなと嬉しくなった。
反田さんは才能があるし、新しいことを新しい方法でやるガッツとアイディアがあり、人望も集めている。だからこそ出来ること。
とても充実したコンサートだったので、ひとつ記事を書いた。
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9月8日に行われた神宮外苑の観察会は面白かったようだ。さすが藤井英二郎先生。主催している方々はこの活動だけでなく、ご自身の立場で、PTAなど地元の声をまとめて都や事業者へ届けたり、訴訟原告となったり、ゴミ拾いを通じてコミュニケーションを拡げたり、見学会を開いて歴史や知見をひろげていらっしゃる。
明治神宮外苑そのもののランドスケープ案、絵画館と並木の関係など場所全体の設計図についての解説もきけばきくほど面白い。大正時代に活躍した方々の大きなビジョンを感じることができる。それをいま、儲けのために潰すのは、やはりどうしても納得がいかない。単なる回顧主義ではない。
20240911 Wed.
やばいよ、シバンムシが交尾しているところを発見してしまった。
たまたま大きめなシバンムシだな、たぶん、シバンムシなんだよね、写真撮影して確かめようと思ったら・・・なんと2匹重なっていたとは!
失礼いたしました・・・。
エサとなる乾物を捨てたつもりだが、どこかに卵があって発生していたり、パンくずとかエサがまだあるんだ。これじゃ終わらないぞ。ここまでは片付けたところをエタノールで消毒したりしたけれど、家中しないと。
10日~2週間くらい、卵が返ったりするだろうから当面注意継続!
掃除機をかける回数が少なくて、クイックルワイパーやマキタのクリーナーが多い。ちゃんと掃除機の吸引力で掃除しないとだめみたい。
そしてダニ? イエダニかな、それとも流行りのトコジラミかな。この3日、毎日刺されている。夕べは寝具を全て洗って寝たのに、今朝刺されていた。
要は不衛生ってことだ。
あるいは気温が高まってその影響で繁殖しやすいのかもしれない。
真夏の暑い時のようには、除湿せずに凌いでいたことも影響しているのかもしれない。
高温・多湿・餌がダニ繁殖の3条件が揃っている。
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午後に、12月に開催する催しのオンライン打合せ。4人。
うち1人は全く初対面、1人は一度会ったことがある、1人は何度か会っている。彼らと仕事をするのは初めて。
単純にはスピーカーと日程が決まっているので、会場とテーマを決めて、訴求を高めて人集めをし、円滑にイベントを進めればいい。
そのテーマだ。
みんなに聞いてもらいたい話だが、どのような入口をつけようか。出口でどのようなものを持ち帰ってもらいたいか、あるいは、みんなが得ていくだろうか?
それぞれが思うイメージ、行きつきたい方向性を口にして出す。今日はまとまらなかったけれど、みんなに伝わるといいなぁ。自分一人ではおそらく集客しきれないので、彼らがつくる機会に乗っかる、というか、寄せてもらう感覚。棚ぼた的。ありがたく受け止め、私も何か貢献したい。
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くやしい(笑)。
良書・面白い本を置いている書店で、入口から5mの範囲で4冊も買ってしまった。今日はここで打ち止めだ。まだまだ店内に沢山本があるのに、お店の販売戦略にまんまとひっかっかってしまった。くやしいです、とレジのバイトのお姉さんに笑いながら言ったら、ありがとうございます。またいらしてくださいと返してくれた。
元々は1冊、センスの哲学、これは借りるのではなく手元に置こうと思って買いに行ったのだ。それだけ買えばよかったのにね。
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今日は9月11日。
3年前知り合いになった人が、飛行機に乗っていたお兄さんを亡くした。
NY赴任中の妹は、トロント出張中で無事だったが帰るまで2日かかった。
私のいた会社は、役員が何人もフライトにひっかかかった。事件が起きたころ、私は帰宅途上だった。同じように帰宅した担当部署の人は、家に戻らず会社へUターンした。
高校の友人は、仕事仲間をWTCビル内で失った。
23年目。20年を越えて、あまり報道されなくなっている。
20240912 Thu.
朝読書会 ベイトソン『精神の生態学(下)』
クジラ目のイルカのコミュニケーション、人間のコミュニケーションについて語っている部分。イルカは哺乳動物で、人間と同じ方向に一旦は進化してきたが、海に戻り、言葉ではなく音を選んだ。
人間のコミュニケーションはデジタル(言葉)とそれ以外のなアナログ(ノンバーバル:声の調子、身振り・手振り)を使うようになった。
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今日も暑くてベタベタする。
夕方早めにシャワーを浴びて、すっきりしてから少し遠いスーパーまで炭酸水を買ってきた。
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神宮外苑のFacebookに書き込んだコメントが削除されていた。別な方の投稿記事にコメントをつけたのだが、その方によっぽど嫌われているってことなのかな。それを認識すべきなのだろうか。ほぼ同じ方向を向かって、少なくとも現在の開発の在り方には意義ありという立場で、それぞれが意見を持ったり、教え合ったり、情報をやりとりする場だと思っていた。でもそこに削除される対象者になっているのなら、そんな軋轢をお互い感じながら、アクションする必要はない。
私がいなくったってこの活動は続くだろう。私がいることで嫌なストレスを感じている人がいて、その人の行動で私が嫌な思いをするならば、これ以上私がアクションするのはマイナス作用の方が大きい。
もう参加しない方がいいのだろうか?
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妹の具合が悪い。流行性結膜炎、喘息がひどくて、声が出ないが家で仕事をしている。
20240913 Fri.
朝はラスキー読書会。
今日は、前回に続いて、今後の進め方をある程度決める回だったが、進行当番の方が、こういうことからこれをやりましょうという案を出してくれて、良い案に簡単に決まって良かった。ありがたい。
長大なドキュメントのなかで、これまで抜かしていたところを読むことにしたのだが、順番に読むよりも、戻ってきてこの箇所を読むことで、とても理解が進むことが実感された。
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ハンナ・アーレント 100de名著を使ったオンライン対話会。
みんなの考えていること、感じていることを、安心できる場で口にすることができる有難い場だった。
こういう会話を、スーパーで顔を合わせる人とは出来ない、という人の実感が雄弁に物語っていた。
今日話したのは、反ユダヤ主義とは?を主軸に、それはユダヤ嫌悪とどう違うのか、ということ。10人くらいがオンラインで集まり、自分なりの受けとめを言葉にする。
最近Amazon Primeに出てきてまだ観ていなかった『ヒットラーのための虐殺会議』で描かれたヴァンゼー会議において、アイヒマンは完全に全体の計画を知っている。アルゼンチンで1960年に捕まったのち、裁判にかけられたアイヒマンは自分は官僚として働いただけで、実際に人を殺していないし、彼らが殺されるとか自分とは関係ないことだったと証言した。ユダヤ人問題の最終的解決について、知っていたにも関わらず。
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まいったな
その1
高校同窓会の会費入金を締切日までひっぱっていたら、午前中にリマインドメールをもらってしまった。私だけだったのかもしれない。余計なお手数をおかけしてしまった。
その2
夕方になって、会費の10倍が振り込まれていたので、差額を返金するから口座を知らせてという、とても丁寧なメールが届いた。なんたるポンコツぶり。
こういう振込額の間違いは、いままでしたことがない。60歳早々に失態をやらかして、これから大丈夫なのだろうか? 最初で最後にしたい。
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明日の読書会のために、このシリーズで一番熱心に読んだ。『万物の黎明』
20240914 Sat.
妹の具合が悪く、外出できないので野菜のリクエストを受けた。近くのスーパーで買ってもいいのだが、よい野菜があるとは限らないので(その可能性は低いので)、阿佐ヶ谷商店街へ行くことにした。
行きは電車、帰りはバス。夕方少し気温が落ち着いたころに、ということで、15時過ぎに出かけて16-17時に買い物、18時過ぎにかえってきた。
少しだけ買おうと思って限ったつもりだが、結構買ったぞ。ぶどうが普段見るより安いので、2房づつ買ったし、いちぢく500円も魅力的だった。水菜、小松菜、アスパラガス、ニラなど。
妹のために、ということで焼き鳥、さつま揚げも購入。さつま揚げのお店では、なぜかところ天も売っていて(海産物という共通点か)、ひとつ150円という。固めたところてんをその場で押し出して細い蕎麦のような形状にしてくれる。ごぼうなどのさつま揚げも自分にも購入。
阿佐ヶ谷商店街はやっぱり楽しいなぁ。疲れたのでお茶でもしようかと何店か覗くが満席だったり、あまり気が乗らず、ペットボトルのお茶を買ってバスに乗った。
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読書会『万物の黎明』終章
次回は、高校同窓会がある日の朝イチ。この日は3つ用事が重なっていて、テンション高くなりそうだ。
20240915 Sun.
昨日仕入れた野菜を料理。
その前に買ってあった豚肉を使って、
・いちじくとヨーグルト
・レトルトのグリーンカレーにピーマンとエリンギを加えてアレンジ
・にらと卵のスクランブルエッグ
・沢山の昆布、切り干し大根、ごぼう、人参の煮物(これは在庫で)
まだピーマン、エリンギが残っているし、小松菜と水菜が手つかず。キャベツもあるから、20日長野へ行く前に何とかしなくては。
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“振り売り“ という言葉を初めて知った。むかし天秤棒を担いで、売り歩いたことから名づけられたらしい。京都で野菜の“振り売り”をしている女性、角谷さんにスポットを当てた京都のTV番組を見た。
生産者である農家10数軒から直接品物を仕入れて、パッケージに入れるものは自分のところで軽量してパックを作り、POPには生産者さんの名前、野菜の名前、美味しい使い方などを書き入れてお客さんに見てもらう。軽トラ?ライトバンに載せて、1日30カ所くらい回って売り歩く。週に2日くらいは、ふだん仕分けなどしている場所で店頭販売する。
京都は、京都で採れる野菜があり、伝統野菜をつくる農家さん、最近就農した小規模農家さんが沢山いて、10数軒から仕入れると、通年で旬のものを取り揃えられるという。10年位前から葡萄も作っているところがあるのだと。
そうすると、スーパーなど大量流通とは異なる珍しい野菜や果物も手に入るし、収穫してから間もない鮮度の高いものをお客さんに手渡せる。そのときに、野菜の使い方・料理の仕方など、ご自身が得た知識を一緒に伝えることでお客さんにとっても、楽しい買い物になる。さらにすごいと思ったのは、山菜や様々な野草の使い方を、料理人に伝えるワークショップ、農家の野菜料理を教える料理ワークショップなども行っているという。
振り売りというのは、私もやりたいと思ったことだなぁ。世田谷は広いので、なかなか農家の軒先販売を回ることはできない。自転車で周れば、それはそれで楽しいレクレーションになるが、誰もができるわけでない。直売所も場所が限られている。角谷さんは色々な人に頼りにされている、買い手のおきゃくさん、売り手の農家、買い手というかプロの使い手の料理人。
クルマに載せて、あちこち回る、旬の野菜は一軒からだけでなく複数の農家から集める。そんなことができたらいいなと、漠然と思っていた。でもそれは元夫は反対で、そんなの意味ないといい、いくつかあった私達の間の好みのアイディアがそれぞれ異なるもののひとつだった。
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昨日と今日、金王神社例大祭、秋のお祭りで渋谷道玄坂あたりが賑やかになる。金王神社には各地を循環して、夜お宮に戻ってくる。
オンラインで注文したものを受け取りに、渋谷の街へ出るので時間を合わせて東急(109)前あたりでの各町会がかつぐお神輿を観てきた。
14時から道玄坂を巡行する前に、109前で挨拶があり、宮司さんのお言葉があり、動き出す町会から順に拍子木を打って、三々七拍子を揃って鳴らし出発する。どなたかがおっしゃっていたけれど、何より天気で、そしてコロナを経て、3年・5年ぶりの(それぞれに意味があるらしいがよくわからなかった)大きな祭りになり、とても晴れがましい様子だった。
町会ごとにひとつづつお神輿があり、十はある。1か所で沢山見られるとは豪華。敬老神輿という企画、60歳以上の人が担ぎ手になるお神輿もあった。はぁ、60歳で区切るのか。
法被を着た担ぎ手には、外国人の男性もいる。日本人女性はごく少ないけれど、いる。男性だけの担ぎ手の町会もある。ま、とりあえず、どこも和気あいあい。
道玄坂を登っていくところを見た。先頭は神社、金王神社の宮司さんが、人力車に乗っている。もしかして最近足が少し悪いようだったので、元々は歩くところを人力車にしたのかな?
写真を撮りながら見ていて気付いた。担ぎ手は確かに大変そうで神経集中しているが、他にもお神輿の先頭で、ペースを調整したり、担ぎ手が足りない部分を見つけて「真ん中入って~」と調整するひとがいたり、周囲を取り巻いて掛け声を出して盛り上げる人達もいる。たぶん1/3か1/4くらいが担いでいて、それ以外の人は別な役割、あるいはそこに居るだけという役割を果たしている。どんどん担ぎ手は抜け替わっていく。
まぁサッカーの試合でも、みんながボールを追いかけているわけでない。その比率が、そんなもんなんだ、案外、実働している人が半分以下なんだなと、面白く観察した。
周囲の観客は、たぶん昔よりも拍手したり声をかける人が少ないのではないだろうか。私含めて、カメラを構えている人が多い。わっしょい、わっしょい、などと声を挙げるひともあまりいない。TVを見るように、見ている、その場で同じ空気のなかにいて楽しんでいるのは確かなのだけれど、声を出さず観ている、これが以前と違うことなんじゃないかなと思った。
各町会へお神輿が戻っていき還御を行う。神社に行ってみると、宝物庫にお神輿を入れて(どうやって入れたのだろう? どこに隠し扉があるのだろう?)、そこから御霊をお出しして、本殿へお連れする一連の儀式に間に合った。
「おー、おー、おー」と声を上げながら、白い布で四方を囲って、御霊を本殿へお連れする。宝物殿に戻したお神輿から、外を通って10mほど離れた本殿に正面から入り、本殿奥のいつもいる場所へ。宮司が白い四方の布の中に入って御霊を持って行くのだが、そこは神社のお祭りデフォルトで誰も見てはならない。
声を上げるということは、何か尋常でないことを現わす素朴で効果的な方法・・・なんだということを昔話を読むような感覚で思い出した。
町会は15あった。
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夕方の還御に行く前に、一旦どこかでお茶でも飲みたかったがどこも混雑。高いお金を出して居心地の悪いところも行きたいくないしな、と思いながら歩いていたら、渋谷キャストの前で、素敵なギターの音色が。
椅子を置いて、前に箱を置いて演奏している。ちょうど流線形のベンチは日陰になっている。ここがいいかも、と、近くで飲み物を買ってきてしばらく30分くらいそこに居た。最初はバッハの曲をイージーリスニングにアレンジした曲など、ややクラシック寄りだったが、子供が関心を寄せると、アニメの曲になった。アンパンマン? 数曲、その子たちのために演奏。子供は正直だな。惹かれると素直にそれを現わす。ギター奏者のおじさんも嬉しそう。両親がその子にお金を入れるよう渡して投げ銭をしていた。
子供達がいなくなると、曲想が変わり、様子をみつつニューシネマパラダイスとか、ルイ・アームストロングとかに変わった。私の他にも、女性3人の家族連れ、男性、などなど。心地よいから、ここに座っている人が多い。お喋りしていたり、スマホ見ていたり。私はさっき撮影したお神輿の写真を選んだり、これからの予定やメモ書きを手帳に書いて過ごした。すてきな音楽と一緒だと幸せだな。
私もわずかながらの投げ銭をしてその場を離れた。お互い笑顔を交わしてそれも気持ち良かった。
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昼間ひさびさにVIRONへも寄ってパン4つ、エクレア1つを購入。で、すごい値段。。。でも美味しい。やっぱりここは年に1回来られるかどうかだなぁ。東急本店が閉店した後も、人が途絶えることはないみたい。
エクレアを紙袋で素敵に包んでくれた。ここは絶対にプラスティックパックを使わない。紙で包んでくれる。この方法は、フランスから直伝なのだろうか? 今度お客さんが少ない時に聞いてみよう。(また行く口実ができた)
読んでくださりありがとうございました。
暑さが一段落しつつあるこの時期、少し頭が動き始めてきただろうか、と思うなか、かなりポンコツな時もありました。私は何かを生み出すより、感じることに重きがあるような気がします。
意味ある時間と思える過ごし方をして、同じ時代に生きている人と分かち合うことができたら、嬉しい。そういうことをこれからもやっていけるだろうか? いや、不安に思ったりするのでなく、日々重ねていくんだ、それが大事だという声も自分のなかにあります。
それと年齢を理由にしないことでしょうか。この半月、たっぷりあちこちで年齢を気にしたのは事実。でも私という人間は昔も今も同じと思うことが通常状態。年齢は自然と現れているものと考えて、自分でどうこうしない。
これから秋が深まっていく。しっかり生きて行きたいと思ってます。