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2024年9月後半
旅するシーズン?
今月・来月は精力的なスケジュールになってきた。
縄文時代、人々はかなりの距離を移動していたらしい。本拠地と各地を行ったり来たり。それと同じかなぁと正当化してみる。
いや、なんで正当化するの? その必要ある?
単にその瞬間瞬間、日々を楽しんで生きればいいじゃない…
20240916 Mon.
昨日のつづきで、今日もあれこれ料理。
20日から数日出かけるので、調理しておきたい。
■
真田広之 アメリカでつくった「SHO-GUN」が大きな賞、2つめを取ったと。
これはすごいことじゃない?
最近日本の映画やドラマに出なくてどうしているのだろう?と思っていたところ。
昨日つくって、まだ食べていなかったのに、一晩おいたらグリーンカレーの上の方が傷んでいた。なんと…早すぎる。濃い味のカレーでも腐った!
気温が高いだけでなく、長時間料理した熱や湿気もあったのだろう。夕べ、一度火を入れておけばよかった。がっかり、でも捨てるしかない。
■
夕方実家へ。
前回来た時に、台所で、カビ臭さの元を探して対処したはずなのに、今日は鍋を入れている引出しがカビ臭い。探してみると木製のすりこぎにカビが生えていた。ザルは大丈夫だ。すりこぎをしっかり乾かさないうちに入れてしまったのかな。洗ってガス台の上に吊り下げておいた。
家についたのは18時過ぎ。母は疲れているようで、まだ何も夕飯の準備をしていないという。適当に私がやるからいいよと伝えて準備を始めたら、母はモッコウバラの枝を切り始めた。なんと? 夕方、もう暗くなっている。暑さを避けてこの時間ということなのか?
疲れるから明日にすれば、と思うけれど、もう放っておく。
やりたいようにやれば。
こっちは、残り野菜を探して卵スープを作成。
疲れたというのに30分以上やっている。一体なんなんだ?
ギコギコとのこぎりの音さえする。興に乗っているのだろう。
やめろ、やめろといわれるのも嫌だろうし、放っておく。
まだやってるのかな。スープ出来たよ。おかず並べたよ…。
ついに終わった。
あたりは切り落とした枝が山になっている。
2階のベランダ柵に這わせた太いツル性の枝を切って駐車スペースに落としたから。重なって枝が絡んでタワーのようになっているので、せめて腰高まで山を均した。
そばを通った人はギョッしそうだが、明日束ねよう。
ごはんは、卵スープを私が作っただけで、あとは煮物、漬物など。
また忘れ去られてタッパーのなかで腐っていたモロッコいんげんは捨てて、だいぶ傷み始めた長ネギは救出できる部分を卵スープに入れた。
食後はテレビを観たりして、早めにお風呂に入って~と促して早めに就寝。
20240917 Tue.
今日は昼前に墓参りへ行く。いつもの私の予定はそのまま入っているので、
朝読書会、朝ごはん、YeLL6人目さんを経て墓参り、駅でオンラインミーティング。
母は朝ごはん、生協受取り、墓参り。
■
母、テンション高まっているのか、人が来ると調子が狂うのか。
8:10頃、概ね私が準備して、朝ごはんもう食べられる? 食べようね、といった先から、これだけはゴミを捨てたいとか(外まで行って)、果物を剥こうとするので、もうパンも焼けたし今は食べようとハッキリ言ったら、(ゴミについて)この後生協が来るから場所を開けたいの!と大きな声で言った。いま8:10、生協が来るのは9時頃でしょ、食べよう!と私はひるまず返す。
今日は昼前に出かけるから首尾よくやりたいのはわかる。私も今日はとくに首尾よくやりたい。で、個々の瞬間に判断がズレるんだよな。
「このイチジクのパン、美味しいね。ここは原材料の高騰は商品価格に反映して、中身を変えない。値上がりしたけど美味しい」
などと話しながら、徐々に穏やかな朝ごはんの雰囲気に。
■
食べ終わると、私は母が夕べ沢山切り落としたモッコウバラの枝を50cmくらいの長さに揃えて縛る。そのうちに、生協の配達が来た。母はその対応、そして興に乗ってまたモッコウバラの枝を切っている。10時過ぎに私は引き上げて10:30からのオンライン。11:00近くまで母はモッコウバラを切っていた。自分で束を2つ作りご満悦だが、疲れたみたい。
■
YeLL6人目さんの最終回(6回目)
若干婉曲的に表現する方なので、具体的に何を指しているのか、確認する必要がある。確認すると具体的かつ意義ある話が出てくる。このことに気づけたのが5回目。それまでは上っ面を撫でていた、今思えば。
とても素敵な人柄の方であることが、話しぶりから伝わってくる。そういう人と話すと、こちらも背筋が伸びるというか自分も頑張りたくなってくる。
そういう人とも話をできてよかった。
ここで行うメリットは、自分だけでは出会えない人と出会えること。
■
そして墓参り。
今日は暑いから歩いていくのは止めて、駅までバスで行ってそこから歩く? あと30分でバスに乗れる? 乗ろう!などと言いながら準備を進めているが、10分前になってもまだ出かけられる状態ではない。
母がバスに間に合わないわ、タクシーを呼ぼうという。えっ? わたしにはない発想。母の案は、歩いていくルート上の、車で入れるところまで連れていってもらう案。確かにそれなら炎天下日陰の少ないところを歩かないで済む。いい案だね。
バス+歩きでは、いつもの反対方向から坂を登ってお墓に向かうことになる。それはキツイもんね。
そういえば祖母も、ふだんあまり思いつかないのに、時々ずいぶんうまい解決策を(誰かの援助を得る)見出だしていた。それと同じだな。
源氏山までタクシーで行き、そこからお墓まで歩き、祖父母と父のお墓を掃除して、お花を供えて、山を下って鎌倉の街まで来たのが13:30ごろ。暑くて、暑くて、とりあえず納言で宇治金時。半分くらい食べたところで、やっと体温が落ち着いた感覚がした。
この夏、私は2回目だけれど、母は初回。ルーティーンを達成できて良かったと喜んでいる。
そこからどこでお昼を食べようか?と相談。中華料理か、近くのうなぎ屋か・・・。安直に近い方、うなぎ屋さんへ。この店は母が好きなタイプで香ばしくあっさりしている。
宇治金時とうなぎ。食べ合わせはどうなのかわからないけれど、夏らしい2軒に母と行けて良かった。
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■
16時からオンラインには、鎌倉駅のカフェからアクセス。
今日はコンセプトやテーマを言葉にまとめたい日。
しかし昼前に講演料がメッセンジャーで共有され、結構これは足かせだなという数字だった。
ミーティングにつなぐと(というか、1,2分前に指定のURLをクリックするとすでに7-8人、人がいてビックリした。集まっていた方はもっと驚いたというか、乱入されて困惑したことだろう、前のミーティングと同じURLだったようだ)、少し遅れて再度入り直すと、講演料が重い、という話になっていた。これが軽くなるなら実施できる可能性はあるが、全体としては難しいという方向。実現へ向けた話は全くない。
オンラインの先の3人はやりたいのか、やめたいのか?
無理してはやりたくない、ということみたいだった。
それはわかる。無理してやってもいいことない、というか。
この神宮外苑の件、よっぽど私には縁がないのかな。全くないというよりは、深く入ることは出来ないというか。色々な出来事がこれ以上近寄るなということに見える。
5分で済んだところ、質問した私が場を引っ張った形になり15分ほど話して終了。2時間ほど確保していたが、有料ブースを借りていなくて良かった。このくらい軽いトーンで、今はサクサクやっていくのね。
■
今日は中秋の名月
20240918 Wed.
悶々と過ごす。1日曇りということも影響しているのかもしれない、夜暗くなってから雷と強雨、21時頃まで。
残っている野菜を料理し、まだ終わらない片付け。片付けは退屈するので、耳から情報を集めるコンテンツを流して、頭のなかのモヤモヤを情報で押しやる。実入りのない時間の過ごし方にイライラしながら。
気分転換に数独。確か昨年秋ぐらいからやり始めて、だいぶ慣れてきた。中程度に難しいものも時間をかければ何と解ける。しかし設定されている22分とか短い時間に一気に解くことが出来ない。
今月に入ってから感じている、空白のつまらない時間をどう埋めるか、という不毛な感覚が湧き上がってくる。
これまではふんだんにある時間をどのように有意義にしていくか、自分なりにそれができるという自信があり、意義を感じていたのだが。
消化感覚になっているということかもしれない。
■
雨があがりかけたときに、無鉄砲にコンビニへ出かけ、それも2軒、お菓子の類、別な店でアイスの類を買った。電子マネーで支払う。だいたい1000円くらい買ってしまったなと思ったら、確認すると1500円くらい買っていた。なんなんだ。イライラ浪費。
ガリガリ君1本、わなげスナックを平らげた。
食事に気をつけなきゃといいつつ、夜中にこれだ。
なにか不安定に、行き所なくなっている。
20240919 Thu.
ゆうべ寝落ちした。体重は理想より750g多い。この3日でこれだけ増えた。今日は、厳しくしたほうがいいね。
■
朝読書会 ベイトソン『精神の生態学(下)』
イルカの話、今日で終わる。
先週、デジタルとアナログで面白かったところのつづきで、今後ベイトソンがどのように研究を発展させようかと計画をまとめたところと、それを受けてイルカ飼育員とイルカ研究者と3人で会話している場面。
まずはベイトソンがどのように問題を切り分け、どうアプローチしようかとした点を話してる。素人にはすごいなと思える。そして数学原理に源流のある認識論をきちんと理解しないと積み上げられない領域だともわかって手足が出ない感覚になる。
・介護領域でのデジタル・アナログのコミュニケーションの使い分けは、先週私達が理解した通りだということだった。つまり対象者からの情報読み取りはアナログに。介護担当者同士の仕事上コミュニケーションはデジタルに。介護者同士がやりとり際は、生死がかかっているから、あいまい・グレーを排して明確にするとのこと。
これは重い。OKかNGか。プラスかマイナスか。生きる方向か死ぬ方向か。
・ミューファンクションという言葉が前回から出ている。猫の同じミャーという言葉にも、ニュアンスが乗っているということをミューファンクションという言葉で表している。
・私が飼っていた犬は、デジタルの言葉は理解しなくても、ミューファンクションというかアナログ情報には反応していた。つまり、「ペロ、ばかだねぇ」と優しく言えば喜び、「ペロ、いい子だね」と厳しく言えば嫌がった。
・ミューファンクションは、日本の文化に沢山入っている。平安時代は、それを香や和歌などで示し、現代は言葉選びや、そこに載せるニュアンスで伝えている。絵文字もそのひとつかもしれない。
一方で、わかりやすいコミュニケーションということも重視されていて、表面上、短い単語で誤解が生じないような簡略化がなされている。これは西洋文化に合わせて、ローコンテクストにするということである。
そのような現状のなかで、ミューファンクションが消えているかというとそうではない。仲間内、LINEのなかに込められているのではないか。
・ミューファンクションのようなものを上手く乗っけたコンテンツ、それは日本の漫画ではないか? 外国の漫画とは違う日本の漫画の面白いところ、それは文字だけで描けないディテール、心情のような微細なものを現わしているからだ。きっと。
・(そこから脱線して)ベイトソンは日本に来たことがあるのだろうか? そして温泉に入ったことがあるだろうか? できるなら今ベイトソンに入って、コメントを聞いてみたい。温泉にもミューファンクションのようなものがある。単に清潔さを保つ方法でなく、単に身体を温める手段でなく。そこに体内の様々な反応、身体から精神におよぶ影響、温泉で交わされるコミュニケーション文化、温泉を中心とした文化などがある。それが生活における健康と社会基盤、転地して健康を取り戻す文化になっている。
イルカの話はここまでで、来週からルールがテーマとなる新しい章へ。
昨日は一日頭が痛かったと伝えていたので、対話参加者が気を使ってくれたのだろうか、私のコメントを拾ってくれたり反応してくれることが手厚く感じられた。昨日は満月だったので、自分は新月・満月に頭が痛いことがよくあると伝えてくれた人もいた。そういうことなのだろうか?
■
スタバで、私が使っているミニサイズのカードを、レジ担当してくれた若い人が自分も使っている、月に1回くらい見る、と教えてくれた。これまで反応があるときはいつも「珍しいですね」だったので、ちょっと嬉しい。
ってか、こういう会話が嬉しい。
■
この半月記、書くのが追いつかないというか、いまの印象を書きとめ、過去のことも思い返すことが、間に合わないというか、まどろこっしいというか、ブレーキをかけているような気がしてきている。
20240920 Fri.
夕べ放映された『スカイキャッスル』を観る。なんだ、急に殊勝ないい人になっている松下奈緒。なんだなんだ?
■
13時発の特急あずさで新宿から茅野まで。
今回は妹が行けなくなり、母と二人だけで5日間。母は出発最寄り駅でお気に入りのサバ寿司と助六をひとつづつ買ってきて、特急に座るやいなや食べる気満々でいる。
「発車前に食べたっていいんじゃない?」
といってみると、にやりと嬉しそう。
結局、出発とともに食べ始めた。
茅野駅に着くと、新宿よりマシだが少し蒸している。
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20240921 Sat.
茅野は今日は一日ずっと曇り。能登のほうは大雨、土砂崩れ、川の氾濫で大変な様子だ。金沢に住む友人が炊き出しおにぎりを作ったりしている。
気温も穏やかだし、歩きたいので蓼科湖まで母を連れ出す。
湖畔にあるドイツソーセージのお店へ。ホットドッグなど出していたような気がして、軽いお昼を頂こうと思ったら、いまはやっていないという。
「ソーセージを温めることはできますよ」
と教えてくれて、真空パックごとボイルし楊枝を刺して手渡してくれた。おお、これで十分! 店と湖畔をつなぐスペースにあるテーブルと椅子を使わせてもらう。
湖畔を歩く家族連れが、このお店の親子ヤギを触りに来る。触っても、ヤギは一向にお構いなく草をもぐもぐ食べている。邪魔するなってこともなく、熱心に食べている。なかなか子供は相手をしてもらえないのだが、たまに手から草を食べてくれると、親子共々お喜びである。微笑ましい。
見ているうちに、お母さんヤギはお腹がいっぱいになったのか、私達のいるお店側に戻ってきて、ジャーッとおしっこ。あら。。。そしてデッキに座って休憩らしい。あれっ? あくび!!! そして寝る。
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歩き足りなくて、戻ってから小一時間近くを歩く。すっかり山の中は秋。栗やどんぐりが沢山落ちている。ときおり風の一団が過ぎていく。
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昨日と今日では空気が違う。
今日は秋の入口?
20240922 Sun.
今日は終日雨。強くなったり、弱くなったり。
長野の降雨量はどのくらいなのだろう?
夜中ザーザー雨が降っても、山が水分を沢山蓄えてくれる。だから流出があまりない。これだけの雨が降ってもビクともしない。山とか樹木とかが蓄えているのだ。
同じように降ったら、コンクリートで固められた都会はすぐにあふれる。
この違い!
■
夕方ほんの1,2時間雨が上がったので、30分余り母と散歩した。
もう夏には戻らない、という秋の風情だ。
名実ともに秋分の日。
20日、夏の終わり
21日、秋の入口
22日、すっかり秋
こんなふうに、1日ごと変わっていく体験って、初めてじゃないかな?
■
今回持ってきた本は『センスの哲学』、そしてパソコンのフォルダ・データ整理。そして日々のduolingoとELSAでトレーニング。
私自身あらゆることが、再構築、再整理の状況にある。
明らかにそうだ。だれもそう説明してくれるわけでないけれど。この状態を別なふうに解釈することもできるので、“再構築、再整理の状況にある”と捉えるのは解釈のひとつにすぎない。でもその解釈がプラスのベクトルになっている。
数日前に、時間の消化感覚と書いた。
これまで5年はいかに充実させるかと熱心だったが、いま急に消費感覚というか、消化するような感覚になったと。
これは勿体ないよね。
なんだか、消火試合みたいで人生に失礼だ。
20240923 Mon.
晴れた。
茅野(長野県)にいるときは、気持ちの上で雨がデフォルトと思うようにしている。あまりがっかりしないための防衛策だが、やはり晴れると嬉しい。
昨日の夕方曇り空のもとではカラスが鳴くばかりだったが、今朝は小さな鳥がさえずり忙しそうに木々の間を飛びかっている。木漏れ日のもと外で本を読んでいると、持って出たコーヒーが冷めていく。そういえば、朝、お皿にのっけたオムレツがすぐに冷めてきたな。
■
何年も茅野市に来ているけれど、今日は発見があった。
岳麗公園。農地のなかにある広い区画。遊具エリア、木立ち、池、多目的グラウンドなどがあり、テーブルと椅子で景色を見ながらお弁当を食べることもできる。遠くに蓼科山。
たまたま新しい道を通っているうちに看板が見えて寄ってみたら、素晴らしいところだったわけ。こういう発見は嬉しいもんですね。
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■
10月最初の土曜日、高校の学年同窓会がある。同じクラスだった人は半分くらい出席するそうだ。名前リストが共有されて、どんな人達、どんな雰囲気になるのかイメージが湧いてきた。あまり居心地のよくなさそうだれど、色々な人に会うチャンス、自分なりに楽しんでこよう。
幹事さんたちが頑張って会場と交渉し、規定以上の人数で着席パーティをしてくれるそうだ。ご無沙汰していて挨拶しないといけない義理のある人、単に会いたい人、会ってこんな話ができたらなと思う人、色々だ。
きっと疲れるだろうけれど、楽しいことをひとつでも多く持ち帰りたい。
自分を飾らず、卑下せず、せっかくのチャンスだから色々話したり聞けたりできたらいいなぁ。
20240924 Tue.
蓼科から無事に帰ってきた。母と2人だけだけど、あまりテンションが上がることもなく過ごせてよかった。ただ、妹と3人でいるときより笑いが少ない。大笑いはなかった。ちょっとした笑いはあったけれど。やっぱり私は真面目なんだろうか?
前回発見してごひいきになった“そば工房 尚” また行って今回はキノコつけそば。
温かいキノコ汁にザルにあげた蕎麦をつけて食べる。
寒くなり始めた昨日今日にぴったり。とても美味しかった。
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■
家に戻り、久々、何か新鮮な感じがした。
新たな目に見られるというか。
だから荷物を解く前に、少し片づけた。テーブル・乾いた洗濯物・水切りにおいてあった食器など。
それから荷解き。
それも片付けながら、少しづつ部屋をキレイにしたい。
キレイにするのと、乱雑になるのと、勢いはいつも後者が激しい。
でも何とかしたい。
新鮮に感じられたことが、少し嬉しかった。
20240925 Wed.
『光の君へ』を視聴。
彰子に男の子が生まれた。一条天皇の姿が美しいなぁ。
前回の"ファイト一発リポビタンD"なシーンほどに印象的なものはないが、今回は調子にのった道長、歌のやりとりにみんなの注目が集まる回だった。1月に始まってここまで3/4まできたところで、歌詠みに視聴者の関心が行くとは。みんなも影響を受けているなぁ。
■
深圳の小学生が殺された事件。
えぐるようなナイフで、内蔵を引出すような刺し方だったらしい。
たまたま、個人、といった点で発生した問題でなく、これは線になっている問題。
これまでの2年ほどの間に、アメリカ人が刺されたり、日本人が拘束されたり、理不尽に逮捕されたりしている。子供が襲われたのも初めてではない。
特定のたまたま、かわった個人が起こした事件ではなく、中国社会のなかに巣くう何かがそうさせている事件。脈絡があってこうなっている、という意味で、線になっている。
事件が起きたのは9/18。中国にとって抗日の日。柳条湖事件をきっかけに満州事変へと発展した発端の日。 2000年前後、中国展開する日本企業が増えた時に研修などで注意喚起している日だ。
犯人は逃げることなく、その場に立っていたそうだ。してやったり、やったぞという誇示する意味で。
この数日、
ロシア戦闘機に、自衛隊がフレアを発したり、中国が領海侵犯した。
このロシアと中国が侵犯していること。
これは中ソがひとつの方向で日本に仕掛けているものとみていい。
(個別案件を相談して同じタイミングに実施したということではなく、ここまでやっていいぞ、やってみいよう、というお互いの方向性を確認していると察せられる)
その流れのなかで、深圳の事件は、うやむやに流していい話ではない。もちろん戦争をしかけたり、相手のメンツをつぶすことは適切ではない。毅然と、誤解の余地のないように感受しないことを伝えるべきだ。
20240926 Thu.
色々と遅延させていた件。
気づくと日比谷図書館の本を1週間も延滞させていた。返しに行こう!
督促状がなぜ?と思ったら国保3期目の督促状だった。10期まで納めた!
■
そして
東京写真美術館へ“にっぽんの里山”を観にいった。今年会員になったので、行かなくては。先日長野でみた風景、これまで日本で観た風景があるかもしれない。まだ見ぬ、見たい景色があるかもしれないと期待。
自然写真家・今森光彦による「にっぽんの里山」
里山について、今森さんの定義はこうだった。人が自然(山川)のなかで生活を営み、そこに生物も息づく場。手つかずの自然ではない。そこに何らか人の手が入り、動植物と調和がとれている世界、ということのようだった。
なるほど~、里山という言葉は、人によって定義が揺れている新しい言葉なのか。
その風景をとって写真としてのクオリティが高いことがまずあって、そのなかで、人の喜び、人がそこで感じる何か、
気になった写真
熊本菊池市の風景・・・と青森県奥入瀬の写真がなぜかちょっと似ていた
加賀はやはり小さな水路が沢山あるみたい
山が背景に見える写真はやはり素敵 白馬の田植え、
山がつらなる景色はやはり素敵
■
スタバで休憩してから、日比谷図書館へ。
延滞してしまった本を返して、後藤新平に関する本を2冊借りた。
■
帰りは月に1回のKINOKUNIYAで買い物。
JR資本が入ってからの紀ノ国屋は、元のお店からどんどん変わってしまっている。だから、以前ほどの感動はなく、成城石井とどこが違うのか、などと思ってしまう。
今回は買わなかったけれど、レタスとセロリはいいんだよなぁ。オリジナルでつくっているパンも。だけどパンはだいぶオリジナルが減ってきてつまらない。
■
『虎に翼』、最終回のひとつ前を観る。
『100分で名著 ウェンズリーが英訳した源氏物語』最終回に、和訳した人達が加わった回。面白かった。役を繰り返すうちに世の中も進化していて、らせん訳、スパイラルアップしているというのだ。
変わらないようでいて、変わっている。
20240927 Fri.
ラスキー読書会
弁証法を使う思考形態について話をしていて、過去の黒い記憶がよみがえった。
システム思考のひとつの形として、2つの異なるシステムが、それぞれ変容して新たなシステムになるパターンがある。
AでもなくBでもなくCというやつの、システム版だ。
仕事をしているとき、私の仕事のなかでは、最も苦労した仕事、成果も大きかった仕事。Aは私、Bは仕事の相棒、この二人が生み出した仕事の進め方がC、とする。
その成果を評価するときに、散々上司から”それは私の成果なのか、相棒の成果なのか””誰が考えて、誰が実行したのか”問われた。問われるというか、むしろ尋問に近いくらい、1時間くらいの評価面談を2回行った。
どちらがやったということでなく、それぞれの主な役割はあったが、どちらが頭でどちらが手足と分離できないほど、お互い話し合い、適宜分担しあい、周囲の人の協力を引出して出した成果だと説明した。何度も。例を出して。
でもそれは、会社の評価システムには当てはまる答えではなかった。かならず成果は分解できるもの、分離できるものであるという前提があるから。
その発想が通じる場合もあるけれど、そうでない有機的に絡む場合もあるのだとはどうしても理解してもらえなかった。それは会社の評価システムに当てはめられないからだろう。
当時も感じたことだが、今日、この場で話してみて、やはりそうだったと明瞭に理解できた。何にぶつかっていたのかが明確になった。
いまは上司と私が前提としていることの差異を説明できそうだ。だけど、上司だったひとが今それを聞いて理解できるとは思えない。たぶん理解の外にあるから。
■
7:30に読書会を終えて洗髪して9:30にヘアカットへ。
小雨が降り始め多少蒸している空気の中、急いで歩いて行ったので汗ばんでいる。扇子でパタパタしていたら、カットする美容師さんがドライヤー冷風を背中に当てて、これが一番早いでしょと。笑。
本当にこの人にカットしてもらって良かった。3ヵ月経過してもカッコいい。カットが崩れない。これは技術的にすごいことだと思う。
今日は散々そんな話をしたり、このヘアスタイルでは席を譲られないという話をしたら、喜んでいらっしゃるようだった。
昨年12月にカットしてもらったときに、まとめて予約した今日の日。その昨年12月の予定は、そのさらに前年11月に予約したもの。笑える。
来年の予定を入れ始めたそうで、いまのうちにと来年1年間の予定を入れましょうかと先方から提案してくれた。さらにまた1年、これで大丈夫との安心を得た。
■
終わったら、オンライン開催中のハンナ・アーレント対話会に耳だけ参加。『100分で名著 ハンナ・アーレント』をベースに、今日は第2回全体主義がテーマ。
・帝国主義・モノ(資源、食料など)確保
・同一民族、血の純粋さを判断規準にする
・そこから必然的に発生する差別
・閣議決定・緊急事態条項
などのワードが出た。
昨日借りてきた後藤新平が案をつくった演劇『平和』を読むと、今日の話と重なる。
■
後藤新平、かっこいいぞ。
明治のいかついマスキュリンな感じを脇へどけると、お洒落でスッキリした人物に見える。
昨日夕方に日比谷図書館で新たに借りたのは、後藤新平に関する2冊。
『時代の先覚者・後藤新平: 1857-1929』
『劇曲「平和」』
なんだか色々なことが劣化しているんだよなぁ。
・街路樹の剪定方法が下手 そのために育成不良、木の弱体化、ひいては風雨や病害虫の影響を受けた倒木が起きる
・都市計画がへたっぴで、複合的・複層的に都市機能と人間的な居心地を両立できない
・衣服の作り方がへたっぴで、質の悪い服が増えている。1980年代90年代までの方が、縫製も生地も質が高い。
・鉄道や道路インフラの整備、致し方ない部分とへたっぴな部分が混在している。その分離さえ出来ていないのでは?
・ちょっとした声かけで解決できることが、孤立化がゆきすぎて一人で困る状況が頻発している
■
明日30km余り歩く練習会の予定がある。しかし雨模様になりそう。曇っている時間がどのくらいあるか? 雨の中歩きたくない。そのような練習をする必要性はあまりないから無理に歩かなくていい。友達に会うチャンスではある。どうしようかな。
■
次の予定まで時間があり、根津美術館へ久々に行ってみた。
企画展
夏と秋の美学
鈴木其一と伊年印の優品とともに
2024年9月14日(土)~10月20日(日)
夏から秋を、もっと細かく、初夏・盛夏・晩夏・初秋・秋の深まり・晩秋と移り行く風情を、おもに植物を描いた屏風や掛け軸、陶器を展示していた。
先日みた写真展『にっぽんの里山』でも春夏秋冬にわけて展示をしていたなぁ。四季を味わうことは日本の魅力を味わうことだ。
曇っていて、庭の彩りはイマイチ映えないが、作りこまれた日本庭園、"ししおどし"がポカっと鳴る音など、普段味わえない空間。
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急に庭園に音が一瞬鳴り、外国人の方など、はっとされます
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■
オステオパシー2回目。根津美術館から5分ほど。
その後、腰からの神経が痛くなっている。何とか改善できないだろうか?
そう思いながら今回2回目に行った。
何か作用しているような気はするが、いまいちつかめない。
施術する人は、そのような私の反応に説得にかかるでもないし、ニュートラルでいてくれていいのだが、半面、やりたくないのかな、という気もしてくる。
■
どうしよう。
夜20時から月島で行われる浴恩園の勉強会へ行くかどうか?
WESTのシュークリームを買うかどうか?
WESTのシュークリームは売り切れていた。1個につき50円を能登に寄付するという企画中。だからか。
浴恩園に行く元気はなかった。
明日朝早いのに、夜中過ぎてもまだ眠っていない。気が乗らない部分もあるが、体重コントロールのため、運動能力のために歩くのだ!
20240928 Sat.
イスラエルはヒズボラ攻撃のためレバノンを爆撃した。各国リーダーは、世界全体の平和をどう考えているのだろう?
仮に各国がイスラエルに爆弾を1発づつ投げ込んだら、イスラエルは各国と戦うつもりなのだろうか? ヒズボラ攻撃は世界を敵に回しているように見える。
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8時集合で小田原から江ノ島まで歩いた。34キロ。かなりかなり疲れたが歩けてよかった。総勢8人。それだけいたから歩けた。
小田原駅で集合し、この秋の100kmウォークスタート会場となっている小田原城へ行き、春に参加した人がスタート場所やトイレの場所を新しく参加する人に情報共有。ああだ、こうだと話しているとなかなかスタートしない。お喋りが止まないメンバー。
スタート時点で、みんなのフット写真を撮り、8:30頃スタート。
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東京エクストリームウォークは、毎回ちょっとづつコースや運営方法が変化している。進化している。
今回は第2チェックポイントが以前より手前、公園と駐車場があるスペースに変わった。前回までは砂地を2-300m歩かないとたどり着かない場所がチェックポイントになっていて、おまけに通り抜けではなく、同じ砂地を戻るコース設定だった。この砂地は歩みをさっさと進められず、一歩づつ大げさに言えば滑って後戻りするようで、結構辛いものがある。参加者アンケートで不評が入ったのかもしれない。
昨年10月に参加した私は、第3チェックポイントの制限時間が21:30であることが明記されていないこと、第2チェックポイントでもその案内が全くされないので、参加者に不親切だとガリガリ書いた。
次の大会、今年5月は第3チェックポイントの制限時間が22:00になった。そして今度10月は22:30だ。そして制限時間について、ホームページ上で赤字で明記されていた。
徐々にわかりやすいコース設定、アナウンスになってきている。
今年5月からは5つのチェックポイント全てで、バーコード読み取りをしているらしい。昨年10月は、第2,第5,最後だけだったような?(記憶はあいまいだが、全ての箇所では行っていなかったことだけは確か)。運営側が頑張っていることが伝わってくる。
企画だけでなく、運営面での整合性、地元自治体等との施設利用に関する調整もやってくれているからのことだろう。
さらに今年は、平塚~茅ヶ崎~江ノ島まで、海岸沿いのサイクリングロードを歩くか、国道沿いの歩道を歩くか、選択肢ができた。これも運営側の進化。さらに今回歩いて感動したのは、茅ヶ崎から藤沢にかけて、藤沢土木事務所が、サイクリングロードの幅拡張を進めてくれている! これはすごい!
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嵐や風の状況で自然と砂は動くので、管理しようとすると大変だ
今年5月までは、資金のある茅ヶ崎は砂整備がされていたが、おそらく資金不足な藤沢市では砂が積もって、実質あるける場所が狭まって、行き来する歩行者・ランニング者・自転車が重なってしまうことが頻発していた。
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ありがとうございます!
江ノ島手前のサーフスポットに到着したのは、もう拠点閉店後の17時半過ぎ。ほぼみんな同時に、離れても数分以内だった。
外にあるテーブル付きベンチに全員集って、残っていたお菓子や果物をシェアして、またお喋り。江ノ島のキャンドルライトが点灯し、島へ渡る橋の照明がだんだん強くなってくる。すっかり夜景のできあがり。
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小田急線江ノ島駅まで、そこから10分。
19時過ぎ、古久家で焼きそばを、歩いたうちの3人と一緒に食べた。
2027年までビルは残るそうだ。それが最新情報。
レトロな昭和のインテリアと、味、店員さんが魅力なお店。本当はこの雰囲気で続いてほしい。どうなるのだろう?
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ハハハ、大会に出ないのに、熱心にイベントをフォローしている私。昨年7月までは全く参加する気もなかったのにいまや熱心に語っている。我ながらおかしい。
20240929 Sun.
午前中は、休養しながらボツボツ準備する。
今回はちょっと筋肉痛がある。身体全体に膨満感、だるい。
午後、もう夕方になってから宿とレンタカー、そして夕方出かけがてらにJRチケットパス購入。明日からの旅行の準備が進んだ。そして友人と会食後、一緒に杉並公会堂でのコンサートへ。
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友人コンサートは、アマチュアオケの第20回定期演奏会。友人はそのなかの最終プログラム、第九を歌う。
第20回定期演奏会、結成20年目。
大学卒業して社会人になってから始まった、大きな節目ということになる。
L.v.ベートーヴェン 《レオノーレ》序曲第3番 Op.72b
Ludwig van Beethoven Ouvertüre Nr.3 zu Oper “Leonore” Op.72b
L.v.ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調 Op.125《合唱》
Ludwig van Beethoven Sinfonie Nr.9 d-moll Op.125 “Choral”
ソプラノ:沖田 文子
メゾソプラノ:奥野 恵子
テノール:西山 広大
バリトン:岩美 陽大
合唱指揮:今井 祐之
合唱:フェストコーア・ジュピター
指揮:安藤亮
オーケストラ:アンサンブル・ジュピター
ベートーベン、第九は今年で初演から200周年だそうだ。
第二楽章、ちょっと危うかった。
第三楽章、きっちり演奏する指揮者の意図が一貫して感じ取れるのだが、ここではオケ団員の力量がちょっと足りない様子で、間延びしてしまい、退屈だし崩れそうだった。でも第一バイオリンとビオラ、そしてチェロのトップが弦パートをけん引して、フレーズを作り流れを保った。
金管もイマイチだけど、木管がちょっとなぁ。
第四楽章、普通は第三楽章からほぼ続けて演奏するが、ここではしっかり間を取っていた。奏者も指揮者も汗をぬぐっている。
バリトンから始まる歌パート、なかなか見事だった。
合唱は経験者を集めた様子、そして合唱指揮者がなかなか有能な人らしい。上手に基本的に歌っている、声はいい。だけど、子音をそろえたり、メリハリをつけるポイントはちょっとぼやけていたような感じに聞こえた。
第九の最後で、一旦指揮棒が止まり、すぐ演奏し直した。
こんなの初めて。ここで止めるか?
うー、指揮者はどういう気持ちだろうか、がっかりするのか、これがよいと思えるのか?
演奏終了までとても落ち着けない気持ちになったが、カーテンコールでの壇上の面々は満足だったようで、やりとげた雰囲気が伝わってきた。
会食したおりに、鎌倉でとても美味しい料理と寿司を出してくれたお店の主人が亡くなったと聞いた。二度しかいけなかったけれど、心に残こる料理だった。
20240930 Mon.
朝読書会が8-9時。
荷物は殆ど出来ているが、今日中に出したい転居通知はがきが出来ていない。その準備も内職しながら…。
11時前に家を出てコピーなどして、11:56発の新青森行き新幹線に乗車。
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15時過ぎに新青森駅で新幹線下車。そこで転居通知を仕上げて新青森で投函。
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最寄りの郵便局はローソンでの扱いだった
奥羽本線で弘前に18時前に到着。
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仕事時代、疲れたときのご褒美、当時160円だったかな。
新幹線の中で、通路側に座っていた私はきっと変な人だった。ハサミを忘れたので、プリントしたA4用紙を折って、指でしごいて、ゆっくり割いて小片を作る。それを葉書にノリで張りつける。そしてスマホを観ながら宛先を書いてから切手を貼る。
やっていることを理解した人には、明日から郵便料金があがる前の駆け込み投函であることがバレバレだろう。なにしているかわからない人には、単なるちまちま作業している人だろう。ハサミを忘れたけれど、新幹線でハサミを取り出すほうが危険なのかもしれない。
泊まる場所は、あまり吟味する時間もなく、駅前の東横INNにてまず2泊。
初めてではないが、ずいぶんお久しぶりに宿泊する。チェックインは機械にて、アメニティグッズや飲み物はフロントのサーバーから持っていくスタイル。パジャマもそこから持ち出すとは知らず、寝る段になって気づいた。部屋にはタオル(バスタオル、フェイスタオル、フットタオル)がある。
かなーり効率化。
7100円。青森では1泊1万円を下らないから、良心的なのかな。3階角部屋で大きめの窓からホームの端っこが見える。
さて、明日からいつ何をするのか、予定を詰めなくては。ここまでノープランで来ることも珍しいのでは? 前にもあったかな?
4日目(10/3)に帰るか、5日目(10/4)まで粘るか。10/5には高校同窓会があるから、旅行疲れをとってから行きたい。となるとやはり、10/3に帰るほうがいいだろうな。
明日は、まずは岩木山へ行こう。それだけは決めてきた。
車で上の方まで登れるという。
どんな景色だろう? 紅葉・黄葉はどんな風情だろう?
冬に弘前に来たことはある、桜の季節に弘前城へ来たことはある、だけど岩木山はどの季節もまだ行ったことがない。楽しみ。
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これらでプランニング
秋になりました。
まだ暑い日差しもありますが、季節は完全に秋でしょう。
長野で、1日ごとに夏から秋へと明瞭に変化した体験はとても劇的でした。
何か成したいとか、役立ちたいとか、そんなことが吹き飛ぶような、これらを知覚し感じとる、存分に体感することこそが、わたしのすることだ、と感じたこの半月。それだけでいい、それしかできない。
それが本当かどうかはわかりませんが、私には大切なものであるようです。
読んでくださりありがとうございます。
みなさんにとって、どんな時間が流れているでしょう。
どうぞよい一日を!