働かざるもの

働くという行為を、考える。
一般的には労働のことで、頭脳・肉体に関わらず、何かしら人々(あるいは社会)に対して貢献する事で、生活の対価となる金銭を得ることが出来る。
だからたとえばアルバイトをして、生活費や遊ぶお金を稼ぐ。これも正当に、労働と呼べるだろう。
だがそういう労働基準監督署とかが絡んできそうな話ではなく、単純に働くという行為そのものを考えてみた。
最近、よく「働き方改革」なんて言葉が叫ばれるようになった。時間外労働とか、パワハラや意味の無い飲み会、給与の低さなんかが問題に挙げられていた。
だが、そもそも「働き方」に対する改革なら、働いている最中に焦点を当てるべきではなかろうか。
ボクも会社勤めが大嫌いで、社会の歯車になるのは死んでも嫌だった。だが現実はいつも限界で、家族を養うためにも、自分の趣味を貫く為にも、とかく人間社会は金が要る。
生活の為働いて、じゃないけど、お金を欲するとき会社勤めは絶対となってしまう。それは現代のせいではなく、かつて働くという行為を定めた者の責任だ。だから時代のせいもあり、誰に責任を取らせる事も出来ない。
だが今は2020年。平成も終わり、中くらいの大陸から流れてきたウィルスの影響もあって、会社勤めは絶対ではなくなってきた。
そもそもの在宅ワークや、Web会議なんかも働き方改革の一つだ。だが、世の中には改革や新しい事に対応出来ず、何故か古い風習を混ぜ入れたがる輩がたくさんいる。
実際にあった話なのだが、ウィルスが蔓延し始めたばかりの頃、当然現場への参入は拒否された。ならばと対策を練るのは理解出来るし、Webを通じて働き掛けるならまだ協力もしようと思う。
だが当時勤めていた会社が選んだのは、特に必要ではないWebカメラを繋いでの在宅ワークの監視と、一日を費やして何も生み出さない中身の無いWeb会議だった。
そもそも仕事が出来ないから、やる事も何も無い。にも関わらず、「在宅ワークをきちんとしているかを監視する為にWebカメラ前で八時間動くな」という監禁のような意味不明な指示。
翌月、先輩と会社に相談、業務から抜け出すよう手配してもらって事無きを得た。
だがしかし、結局世の中はまだまだこんなモンだ。いまだに外回り営業で一軒一軒アタックする営業マンはいなくならないし、ゲームイベントなんかでキャッチすれば利益が上がると本気で信じているおめでたい連中はなかなか絶滅しない。
外回りもイベントスタッフもやった身としては、正直これらはあまり収穫が無い。マンパワーだとか、営業精神を鍛える場だとか色々言い訳は聞くが、全てはまやかしに過ぎない。
だって、それで収益が上がるなら、それこそ毎日なんかしらイベント企画をして、どう考えても要らない小物をプレゼントだと銘打って押し付け、客から代わりに契約をもらえば良い。
散々悪態を突いたが、要するに働き方が古い営業では、もうモノは売れないという話だ。
確かに、一時的にイベント事は盛り上がりを見せるし、たまに集中して客が来れば売り上げは上がる。タイミングさえ合えば、それで「イベントをやったから収益が上がった」と錯覚させられる。うむ、かなり小狡い詐欺師だ。
働き方改革に話を戻すなら、まずは利益を追求するならそこまでの過程を明確にするべきだ。なんだかわからないけど、ゲームや景品で良い気分にさせて契約をしてもらう。これは完全に詐欺だし、後から不要だと気付いたときには、時既に遅し。クーリングオフ期間内である事を祈るのみだ。
関係ない話をして惑わせ、モノを買わせるのは詐欺師の常套手段だ。これは昔から今に至るまで、ずっと使われている手法だ。まずは得をしたような気分にさせる。これは本筋の商談とは関係無くても良いし、むしろその方が相手を混乱させられる。簡単な例を挙げるなら、猿でも出来るゲームに参加させる→見事!プレゼントGET!などと言いながら景品譲渡→良い気分の客に上手く誤魔化して商品を買わせる。最も良く見られる手法で、今尚無くならない詐欺行為の一つだ。
働き方の改革に必要なのは、このような詐欺と変わらない手法を用いた錯覚ビジネスの根絶にあるとボクは思う。ビジネス界隈の有名人ホリエモンが、著書の中で営業はいずれ無くなると言っていた。Amazonみたいな、客のプロフィールや購入履歴からオススメ商品を勧めてくれるサービスの向上により、人間の手を介した営業は無くなるという話だった。まさにホリエモン、とても的を得た意見だ。そこにもし、ボクももちろん賛同してさらに一つだけ意見させていただくなら、「人間の営業は不要なモノを売り付けてくるから」という事を是非追加させていただきたい。
営業職を経験した身として正直に告白するが、実際仕事だからとお客様に不要なサービスや物品を売ってしまった事は、それこそ数え切れないくらいある。そして、いつしか感覚はマヒし、要らないモノを客に売り付けるのが当たり前となる。最終的には自身が信じていた営業とは違う、ただただ会社の為に言われるがままモノを売るマシーンになってしまう。どうせマシーンからモノを買うなら、自分の興味や趣味を反映して商品を選んでくれるAmazonマシーンの方が遥かに好感が持てる。推しに弱い人などは営業マシーンの話を断り切れず、結果不要なモノを不要だと知りながら買ってしまう。不幸を売り付ける、まさに悪魔の営業だ。
だから今、もしも働き方に悩んでいる方がコレを読んでくれたなら。是非、自分が何をしたいのかを念頭に、悪魔の営業マシーンにならない道を選んで欲しい。
もちろん、ボク自身営業を全否定はしない。真に良いモノを推めてくれる営業マンもいるし、新規開拓にはまだまだ人の手が要る部分も少なくはない。
ただ、出来る限り働く環境も、働き掛ける先も、実際に働く人のストレスにならないのが最善だ。
会社も、人も、働く人と受け取る側に歓びを与えられる。そんな清々しい社会になって欲しいなと思う。名古屋港水族館太郎、歯車ポータンでした。

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