こだわりを捨てろ
人生において壁として立ちはだかる就活。私も相当に心を崩した。大学4年の11月まで内定が決まらず、酒に浸り、彼女にも振られ、親にも急かされ、精神が極限に追い詰められた時、無意識に自己催眠を行い就活の存在を無意識の内に放り込んだ。
私は卒業に必要な単位も取得しており、家で腐り空虚な毎日を過ごしていた。しかし生活を営む上で識閾下にある就活は嫌でも表層に現れて来た。周りの全てを恨み辛み、怒りを原動力にし、それ以外の感情を心に残さずひたすらにエントリーをした。
その甲斐あってか、何とか一社、内定を貰うことができた。万々歳。私は安堵した。
が、ここからが本当の地獄だった。早速に言うと、5月半ばに、つまり1か月半で退職したのである。言わずもがなブラック企業であったのだ。
またもや心が折れた。絶望に打ちひしがれ、多摩川に赴き揺れる水面につられ涙が零れた。私は何という愚かな人間なのだ。いや、私が愚かなのか、またはこの社会が愚かなのか。自己保身のための社会への責任転嫁。今に思えばつくづく愚かなのは私だった。
それから、養ってもらっているという身は辛いもので、どうにも扶養者には逆らえない。転活をせざるを得ないのだ。
さて、長々と語るも一興だが、読者諸君はこの愚かな人間のそれからをパパっと知りたいであろうこと請け合いなので手短にお話させて頂く。
その後の私は合計5回に及ぶ転職を経験した。どれも短期離職で、長くておよそ半年。現在は、流れに身を任せ転活中からやっていたアルバイト先で社員にしてもらったが。
社会不適合者を自覚しつつも、私がこれまでやってこれたのは、もはや全てがどうでもよい境地に至ったからだ。人生も未来も何もかも。そこで、その境地に至った事から学んだモノは表題通り、『こだわりを捨てる』事だった。
契約社員は嫌だとか、この職種は嫌だとか、勤務地はどこがいいだとか。私のような社会不適合者にとって、「こだわり」こそが諸悪の根源であり、最も憎むべき敵である事がわかった。
賢明なる読者諸君においても、壁を這い上がろうとあがきにあがき、あがいた故に疲れきった時は「こだわり」を捨ててみると良いだろう。