17歳の夏の私
17歳の高校3年の夏休み、ただ「好き」というだけの動機で、私は汽車に飛び乗ったことがあります。
10代の前半から同級生よりも「先生」に恋をする傾向にありました。
同級生の男子にも恋をしたことはありますけども。
先生というのは品行方正で、人としてのお手本のような生き方をしているから、どんなに私が押しても引いても何も起きない。
それがたまらなくよかった。
自分のものにならないのを知っていて。
今思えば恋に恋していたお子様なのだなと。
ヒロインになりたかっただけなんだろうな。
好きになった人に好きになってもらえない私、可哀想って。
迷惑な小娘だったろうに、どの先生も嫌な顔を一つしないで
「大人になったらね」
だの
「ありがとう」
だの
「生徒は一生生徒!」
と言ってはことごとく私を振り続けてくれました、どの先生も。
時々、理性ぶっ飛んで生徒に手を出した先生をニュースで見かけますが、少なくとも私が恋焦がれた先生たちには1人もいません(単に『私には』手を出していなかっただけかもしれせんけど。)
でも。
一人だけ、結局何だったのか分からない先生がいます。
私片想いだったのか、両思いだったのか…20年以上経っても謎のまま。
出会い
私が高校2年の秋、アイツがやってきた。
私たちが高校生になった頃、若い先生は半年間民間企業へ出されて「一般的な社会を知る」という研修が創設されたのですよ。
前半は、丸顔のとっても可愛いYちゃんという可愛い女の先生。
私は色々あって英語がとても嫌いで。
中学の時にとある大会で優勝してしまっていたので、国際教養科という英語などに力を入れる科のある母校では嫌でも目立っておりました入学当時だけですけど。
何故か普通科に入った子として。
大好きなYちゃんが研修に出てしまい、凹む私たちの前に現れたのは、20代には到底見えない猫背のやたら視線の合わない、モゴモゴ喋る、全くイケてない、ラクダ色のジャケットを羽織ったコッシーだった。
(サイアク)
よくある王道のアレですね。
初対面最悪のアレ。
少女漫画かよ!ってくらいベタな出会いで。
大好きなYちゃんを取り上げられて、代わりに据えられた、このもっさい男にこれから英語を学べと?!
恋に落ちる音がした時
私は腐っておりました。
男性の英語の教師が嫌いすぎてゲーが出るくらい嫌だっから。
だから、コッシーの授業は窓際なのを良いことにカーテンで自分を囲って外だけ見て過ごしていました。
何と態度の悪い生徒だろうか。
「おい、春山。嫌なら聞かなくても良いけど、顔くらいは見せておけよ」
コッシーは純粋な土佐人なのに、何故か標準語だった。
コッシーの弟さんと大人になってからお仕事でご一緒したのだけれど、彼はゴリゴリの土佐弁使いだった。
顔はそっくりなのに、体格はゴリゴリ。
声もそっくりで、思わず笑ってしまったほど。
「お兄さんに似ぃてますね」
って言ったら、教え子であることに驚かれたのは懐かしい話。
脱線したから、話を戻そうかな。
私がコッシーを意識したのは、文化祭の後私の書いた脚本が援助交際を題材にしたものだったことで生徒指導の怖い先生にお呼び出しを受けた時だった。
「西岡はそんなことするような子じゃないですよ。僕の授業もちゃんと聞いてくれてますし、部活も真面目にしてますし、乱れた生活しているように見えません」
と生徒指導室で一番若くて一番力も影響力もなかろうコッシーが、授業もちゃんと聞かない私を「真面目」と言ってくれたのだ。
恋に落ちる音がした。
聞こえたの、あの時。
コツン
「ここここここ、コッシーのくせに!!!私庇うとか意味わからんし!!!それに私の本は山ちゃん(顧問)が添削したもんやき!!!!詳しいとか言われても知らんわ!!!山ちゃんを疑えばいいやんか!!!」
多分、あの日のあの時の私は、真っ赤だったよなー。
生まれたての赤ん坊より赤かったんじゃないかな。
生徒指導室から程近い演劇部の部室に走り帰った私に後輩がザワザワしたのは、生徒指導室へ呼ばれた先輩が何故か真っ赤な顔で帰ってきたからだと思う、多分。
好きだと分かってから
それから、直ぐには恋をしたことを認めたくなくて、部室の鍵を返しに行かなきゃいけないのに返却場所である生徒指導室へ行けなかった。
コッシーの授業なんて、またカーテンの向こうで聞くようになったし、それを見て後ろの席の男子が
「よっぽど嫌いながやね、コッシーのこと」
って言ってきたけど、心の中で
(逆やき、ばーか!)
って言い返すのに精一杯だった。
ただ、女子は皆知っていた。
カースト上位のMちゃんに
「西岡さんってぇ、コッシーのこと好きやお?」
って言われた時、
「ちちちちちちちち、違うき!!!」
って返してしまい、光の速さでみんなの知るところに。
でもみんな、誰ひとりとして、やめちょきや!とも、どこがえいが?!とも言わなかった。
「頑張れー!」
と応援してくれて。
でも。
本当は多分面白がっていただけだろうなー。
生徒と教師の恋が叶わないことを知っていたから。
大人たち
大人は全力で止めにきた。
私が数学ができなさすぎて職員室で泣かせてしまったY先生。
藤原紀香さんに似たお顔立ちで不二子ちゃんみたいにツナギを着てバイクで颯爽と学校に来ていた、私がお姉さんのように慕っていた先生なのだが、正座して
「やめちょき、ホントに。他のどの先生でも止めん、でも、アレだけはホントに、何の冗談でもない、やめちょきなさい」
って目を見て真剣に諭してくれた。
放課後に顔を出すことのあったYちゃんが心配そうな顔で駆けてきて
「西岡ぁ…えいかえ。やめちょき、ホンマに…ホンマにいかん」
と何度も何度も諭してくれた。
Y&Yコンビがが二人してやってきて
「ホンマにやめちょきって!絶対あんたが泣かされる!」
と諭してきたパターンもあった。
でも、諭されれば諭されるほど、好きになっていってしまって、止められなかった。
消火しにきたはずなのに、燃料を投下されてしまったのだ。
いつの間にか
いつからか、部活終わりにコッシーの隣に座って他愛もない話ができるようになっていた。
部室の鍵を返しに生徒指導室に行くと、毎日毎日一人で何かをしていた。
誰にも邪魔されそうにないから、ちょっと近づきたくなったんじゃないかな、多分。
「何で先生って、そんなにいっつもキョロキョロするが?視線が合わんとこっちは授業中不安になる」
「んー、対人恐怖症なんだよね」
垂れ目のコッシーが笑うともっと垂れ目になって目がなくなる。
それがたまらなく好きだった。
「じゃ。私と見つめ合えばいいやん!」
対人恐怖症のコッシーは目もわせられなくて、それを揶揄うのが日課だったのに、だんだん慣れてきてしまって、私の方が死ぬほど恥ずかしくなった。
そんな日を過ごしていたら私は2月のある日、17歳になった。
誕生日にももちろん当たり前のようにコッシーの隣へ座って、口から心臓出そうなくらいドキドキしながら
「私、今日が誕生日ながって!17歳になったがー!!プレゼントちょうだい!」
「…ない」
「けちぃ」
そりゃそうだ。
ここで、それじゃって何が気の利いたことをしてくれるような人ではないです。
ムームーしながらコッシーを見ると、swatchの黄緑の文字盤が素敵な腕時計。
「これちょーだい!」
「あげませんー。第一、ブカブカだろうが!」
そういうコッシーから腕時計を、借りて制服とカーディガンの上から着けて
「ぴったり!」
「あげません、後で返せよ」
「けちぃ」
そんなことを言っていたら、珍しく他の先生が入ってきて
「こりゃ!西岡っ!早う帰らんか!」
「まだ時間ありますぅ!!!」
「部活が済んだら帰れ!」
「あーもー、帰りまーす!!せんせー、さよーならー!!」
そう、返すのを忘れて帰ってしまったんです。
ホントに、わざとじゃなく、いつもなら誰も来ないから気を抜いてコッシーにくっついていたのもあって、ヤバイ!って逃げたんです。
家に帰った時に持ってきてしまったことに気付いて…。
翌日、コッシーの授業があって。
腕を見たら別の時計。
まぁ、時計ないと困るもんね。
部活終わり、いつものようにコッシーのところへ行くと
「あれから怒られたよ」
と。
私がくっついているのに注意しなかったから、だらしがないと怒られたと。
「ごめん」
「別に、やましいとこはしてませんって言ったらなんかごにょごにょ言いながら帰ったし」
と。
「あ、あとこれも…ごめんで」
時計を差し出したら、笑いながら
「あぁ…それは誕生日プレゼントにあげるわ。大事にしろよ」
17歳の私には刺激が強すぎて。
「大事にする、一生大事にする、宝物にする!今日はもう帰る!」
何しに行ったのか分からんほどの速さで帰りました。
それからその時計は私の宝物でした。
ホントに、卒業するまで毎日大事に使っていました。
20歳をとうに超えてた大人になっても、捨てることができませんでした。
でも、そんな幸せな時間は長くは続かないもので…。
別れと告白
コッシーはあっさりと高知県の端っこ、室戸市へと異動になったのです。
好きな人と離れ離れになるのがこんなに辛いなんて知らなかったし、どうしていいか分からず愕然とする私にコッシーは言いました。
「お前、俺に言わなきゃいけないことがあるんじゃない?」
え…っと…あります…ね。
でも、明日にします!とその日は逃げ帰りました。
翌日、コッシーと学校の周りを延々小一時間ほど歩いて言おうと言おうとしたの。
でもね、声が出ないの。
どんなに頑張っても「す」の声が出ない。
学校沿いだと誰かに見られるしと一本別の道を延々歩いて…。
「俺さ、今から住むところ探しに行かないといけないし、引っ越しもしなきゃいけないから、時間ないんだよ」
そんなこと言われましても、声が出ないんだもん。
それから暫し歩いてふっと前を向いた時、コッシーが後ろ手に組んでた手が手が私の方にヒラヒラしていて、その手を握ってやっと出た
「わたし、コッシーが好きだよ!」
「知ってた」
「知っちゅうなら!言わせんでよかったがやない?!」
「いや、ちゃんと聞きたかったから」
別に、皆さんの期待するような展開ないですよ。
俺もだのとかないです。
握ってたその指さえも
「誰かに見られたらどうする」
と振り解かれる始末。
「住所だけは教えて!」
「ハイハイ、わかったわかった」
それから数日後、顧問の山ちゃんが
「お前という子は…」
と言いながら紙切れを渡してくれたのです。
山ちゃんが?私に紙切れ?なんじゃお?
「あの男はやめちょいたらマシで」
山ちゃんまでもが…そんなこと…。
そこにあったのはコッシーの住所と電話番号。
「ここここここ、これどうしたが?!」
「お前に渡してくれって頼まれた」
言葉にならぬ私を見ながら
「椿、えいかや、アレは食えんぞ。おまんが思うような男やない、一人の大人として言うぞ。やめちょけ」
「別にかまん…泣いてもえい、傷ついてもえい」
離れてから
大人たちのやめちょけをよそに、いなくなったコッシーに毎週のように手紙を書いて。
演劇の大会があればチケットも添えて。
でも、ただの一度返事は来ませんでした。
元気だよとも、忙しいとも。
舞台も一度も観には来てくれませんでした。
ただ、一度…後輩に
「あれは多分絶対そうでした!早く行って下さい!」
と言われたことがありますが…その時実際には会ってないので真相やいかに。
半ベソをかきながら、返事が来るのを毎日毎日ただ毎日待ち続けました。
でも、一度も来なかった。
気がつくと1学期は終わり、私の気持ちもだんだん折れ始めたのです。
待つのに疲れた高3の夏休み。
私は汽車に飛び乗って、バスに乗り換え室戸まで揺られました。
今は何とか大丈夫になりましたが、酔い止めを飲んでも大リバースするほど乗り物全般に弱い私が、そんなのを我慢して長距離移動できたのは奇跡だなと。
でも、大リバーズを起こさない奇跡を起こしたからでしょうか。
コッシーの書いてくれた住所のメモを握りしめて、交番で道を聞いて、やっと見つけたのに…どんなにノックしてもコッシーは出てこなくて。
入れ違いに実家へ帰ったとかやろうな。
ギリギリまで待ったけど結局会えませんでした。
会えなかった悲しさと、またあの長距離移動するのかという辛さとつらさで、ワンワン泣く私の横を誰も通らんかったのは幸いなことでした(笑)
帰りの汽車は、みんなどこか楽しそうで。
でも私一人が悲しみのどん底で。
家を出る時には
「部活に顔出して気分転換してくる!」
って出て行ったのにビックリするほど落ち込んだ私を見て母は多分何かを悟ったんでしょうが、何も言いませんでした。
「おかえり、ご飯食べなさいや」
それだけでした。
そこから数日、辛すぎてどう過ごしたのかも覚えていません。
そして私は決断したのです。
もう諦めようって。
もう諦めますって手紙を書いて、ポストに投函した時から、好きって気持ちに蓋をしました。
ポストカード
悲しみの境地にいた私に、夏休みもあと数日の頃に母が
「アンタにハガキが届いちゅうよ、キレイやね」
ハガキ?
後数日で夏休みも終わるようなこんなタイミングで?残暑見舞いにしちゃ遅くない?
そこにあったのは青い青い海に島が浮かぶポストカード。
「おおおおおお、お母さん…ここここここ、これ誰から…?」
母は
「英語やったよ」
ひっくり返すとそこに書かれてあったのはコッシーの名前。
生まれて初めてのエアメール。
震える手でそのハガキを読むと…。
彼は学生さんの引率で1ヶ月前からオーストラリアに行っていたそうで…そりゃ会えんわ。
【ずっと返事する暇もないくらい忙しくて、でも全部ちゃんと読んでるから】
遅いわぁああああ!!!!!
なぜもっと早く言ってくれないのおおお!!!!
しまった!!!手紙もう出しちゃった!!
その後
まぁ、その後、私は受験モードに切り替えてもうホントに諦めようってがむしゃらにコッシーのことを考えないようにしました。
最後の方で別の先生に恋をした気がするんですが、その先生に
「お前、俺が好きなんちゃうで。同じ英語の教師っていうだけで好きって思い込んどんねん。俺にも失礼やし、あちらの先生にも失礼やろ。ちゃんと自分の気持ちを見つめ直してみ?好きならもう一回伝えたらええねん、お前卒業したやないか。あ、俺は無理な、生徒は一生生徒や!」
って言われて、見つめ直したんです。
好きだったんです、やっぱり。
そして、あの日の
神様は見ていたのか、コッシーは私の家の近くの学校へ異動になりまして。
たまたま仕事帰りにバッタリ会ってしまって、ちゃんと伝え直してみたところ、思いがけない答えが返ってきました。
「だってお前、俺のところに会いに来なかったじゃないか」
ふぇ?!
「本気ならついて来られただろ」
えぇ?!
「手紙だけだったし。本気かどうか分からなかった」
でぇぇぇえ?!
「今彼女いるけど、別れてもいいよ。もう飽きたし」
もう、なーんにも言えなくなりました。
なるほど。
Y&Yコンビの先生や顧問の先生や、その他諸々、色んな大人が辞めておけと何度も何度も私に言ったのはこういうことか。
「じゅ、17の私に、高校辞めてついて来いって…そんなの出来るわけがないやん!ついて来いって言うならまだしも、全部投げ出して行けるわけないやん!それに何?彼女さんのこと飽きたしって!可哀想やん!もういい!コッシーなんか好きにならんかった、良かった!」
もう何にも言わなくなったコッシーを一人にして帰りました。
振り返ることもしないで。
たらればの話
こんなに最悪な男なのに、あの時コッシーに会えていたら?って思うことがあります。
夏休みじゃなく、もっと早くに
「来ちゃった!」
って会いに行ってたら、何か変わっていたかな?って。
まぁ、迷惑だったとは思うんですけど、行ったところで。
でも、何か変わったのかなって。
少なくとも、初めてを捧げていれば何か違ったのかなって。
どうでもいい話ですが、私の初体験はこのコッシーに怒りをぶつけた3日後に勢いだけで付き合うことにした人とでした。
ヤケでした、はい。
だから余計に思うんですよね、あの時しおらしく寂しかった、会いたかったよ!って言えていたらなって。
会いに行ったけど、コッシーはオーストラリアに行ってて会えなかったんだよって、なんで言えなかったんだろうって。
彼女さんと別れてくれるの?恋人にしてくれる?ってウルウルした目で言えば、こんな後悔はしていなかったのかなって。
何にせよ、好きって気持ちだけで室戸まで行けたあの日の私の行動力だけは、今でも大変よかったなって思っております。
結果は残念だったけれど。
あんな恋は、あの後一度もできなかったな。
多分あれが私の初恋だったんじゃないかな…多分。