捨てたい
高知県民は実はあまり桂浜水族館に行かない。
と思うんだけど、どうかしら。
かくいう私も高知県民であった頃、足を運んだのは30年生きて、たった2回だけ。
幼き頃の保育園の遠足と。
大人になってからは、恋愛関係を持たぬのに男女関係は持った彼の手を引いて何となく行った、その2回だけ。
当たり前にあって、当たり前過ぎて行く機会がほとんどない桂浜。
砂浜を踏みたかったら、花街道やトリム公園の方が便利なわけで。
そんな近すぎて行かなかった桂浜が、本物の遠い場所になった時から、私にとっては一番行きたいところに様変わりした。
高知へ帰ると、二人の弟が
「おねぇ、どこ行きたい?」
と聞いてくる。
その度に、馬鹿の一つ覚えみたいに
「桂浜水族館」
しか言わん私に苦笑いしながら
「おねぇはホンマに桂浜水族館、好きやにゃあ」
と言いながら、車を走らせて連れていってくれる。
弟には感謝しかない。
何があるわけでもない。
でも、何もないわけでもない。
なさそうでありそうで、足りてそうで足りてないような、不思議な場所が桂浜水族館。
建物の外観やなんかは、東京にあるような水族館には勝てないと思う。
でも、東京の水族館にはない、生き物との距離がここにはある。
限りなく、いきものたちのその命に近づける展示方法がされていて、いつ行っても感動する。
ともすればプールに引き摺り込まれてしまいそうになる、ウミガメの餌やり。
ウミガメにこんな力が?!って、知らない人の方が多い。
ペンギンさんたちも負けてない。
ここへ餌を投げ込むと熾烈な戦いが見られる。
おらんくの池の魚たちもなかなかに激しい。
私はコロナ禍、桂浜水族館のツイートに救われてきた。
帰れなかった時間、帰りたかった時間、ずっとずっと私の高知愛を枯渇せぬように保てたのは桂浜水族館のおかげ。
私の大好きな盛田のおんちゃんがおって、おとどちゃんがおって。個性豊かな飼育員の皆さんが、いつもいつも
(俺らぁはここにおるきにゃ)
って言うてくれるような、そんなツイートが毎日毎日流れてきた。
帰りたい。
でも、いち医療従事者として簡単に帰るわけにはいかなかった。
会いたい、家族に友達に、高知の何気ないあの景色に。
でも、帰れん。
私の勤務先は、最も制約が大きかった時には電車移動どころか、駅ビルなんかへの入館さえ制限されていた。
23区へ行くな、最寄駅以外は使うな、近所のスーパーぐらいにしとけ。
可能なら自転車やバス、自家用車の通勤に。
時差通勤も検討しなさい。
マスクだけじゃない、目には見えない息苦しさに縛られていたあの頃、桂浜水族館の生き物や飼育員さんやおとどちゃんが私に息をさせてくれていた。
桂浜水族館は、私に生きちゅうかえ?って呼びかけてくれる、4年間はずっとそんな存在で。
向き合え、私。
みんなが苦しみを乗り越えて、COVID-19がこの春ようやく5種になったけれどやっぱり私の職場ではあまり遠出を歓迎はされなかった。
「行ってもいいけど、会食は禁止ね。行ってもいいけど、不特定多数の人と会うの禁止ね。ちゃんと守りなさいよ?!分かってる?!」
っていう旨の掲示も割と長くされていた。
何なら今でも職場の食堂にはアクリル板が残っている。食堂の入り口には今でも「黙食」の2文字が貼られたままだ。
そんなだから、私は母校の閉校イベントには行けませんでした。
私は今年の春閉校した南高校の10期生です。
閉校のイベントで、どうしても会いたい人が2人いた。
担任の黒岩先生と、もう一人。
まぁ、もう一人は…参加してなかったと思われるけど…42年生きてきて、いちばんの後悔の相手です。
ちゃんと、謝りたかった。
過去にした自分のことをきちんと。
許されなくても謝りたかったし、あの時言えなかった真実をちゃんと自分の口で伝えたかった。
自分が言ったことを守れなかっただけなのに。
私の方が被害者みたいな顔をして、あの人に酷い言葉を投げてしまったことを。
最初から、相手は何の約束もしてくれなかった。だから、私が初志貫徹できなかっただけ。
言ったことを守れなかったことが、ずっと心の奥に引っかかって…取れない魚骨のように、もう誰かに取ってもらうしかなかったんだと思う。
あのイベントの後から、毎日毎日、あの人に最後に会ったあの日の夢を、気が狂いそうになるほど繰り返して。
決まって同じシーンから始まるその夢は、一度も幸せな終わり方をしなくて。
いつも、毎回…あの人が一方的に、私にできなかったことを羅列して
「…だから、本気じゃなかったんだろ」
と私をどん底へ叩きつける。
夢だから、私の頭の中ははっきりと動いているのに、言葉が出ない。
私の話は、何の一言も聞いてもらえず、ただただ
(ナニヲイッテイルノコノヒトハ…?)
と、その横顔を眺めるだけで。
本当は中退して着いて行くと泣いて喚いたことも。
本当は何度も電話をかけたことも。
本当は、汽車に飛び乗って夏休みに会いに行ったことも。
何一つ私の話は聞いてくれなくて。
突然「男性」の顔になってしまったことを、18歳の私は受け止められなくて。
私が最後にあの言葉を吐き捨てるように搾り出して現実に戻される。
毎朝、泣いて目覚めて。
最後の言葉を叫んで現実に引き戻されたりもした。
苦しくて、息ができなかった。
あの最後の夢じゃない日には、元高知競馬場の広い広い校舎を走り回って探しまわると言う、雨の日の筋トレメニューかよみたいな夢に苦しんだ。
どうしていいのか、分からなかった。
分からなくて、42にもなって泣きながら自分に自問自答した。
後悔の伝え方
今更?どうしろと?
伝えようもない、あなたへの懺悔と。
伝えようもない、伝えたかった事実を。
伝えたとして、ただただ迷惑でしょう?
伝えたとして、あの人はきっと何とも思わないでしょう?
香水の歌詞ではないけど、同じことの繰り返しだろうな。
また私が、一方的に迷惑だと喚かれて呆然とするんだろう。
何度も自問自答して、悩みの海にハマる私に
「居場所は分かるんでしょう?なら、手紙にしたらいい。それに返事をしようが、無視しようがそれは相手の勝手。でも、君の聞いてもらえなかった、伝えられなかった事実は伝わる。そうすれば、17の夏の君と、18の夏の君の二人とも納得するんじゃない?」
と天の声。
手紙…?
17歳の春から懲りもせず毎週のように書いてたな。
手紙か。
数年ぶりに、あの人に手紙を書くためだけに、大きめの文具店へ行った。
(レターセットを選ぶの、楽しかったな…)
同じような柄じゃないのにしようとか。
季節に沿ったものにしようとか。
今回は可愛いのにしようかな、いや大人っぽいのにしようとか。
そんな事を思い出しながら、1時間ほど悩んでやっと選んだのは黄色のレターセット。
でも…。
私はその手紙の書き出しが書き出せなくて、2週間も悩んだ。
高校時代、脚本家もしていたし。
いくつかのコンテストで大きめの賞だってもらった私が、書き出せなかった。
伝えたかった内容は割と簡単にまとめられた。
でも、どうしても書き出せなかった。
拝啓…いやなんか身構えてる感じがするよなぁ。
あまりにライトなのも違うし。
身構えさせるような書き出しは読むの嫌になるだろうし。
なるべく、スッと入っていけそうな書き出しはないものか。
毎日、夜中まで悩んでも筆は進まなかった。
目の下のクマもいよいよ濃くなってきた頃、諦めたように出た言葉が
「こうして手紙を書くのは…」
だった。
これだけなのに、何で出なかったんだろうと思いながら、残りはあの頃、息をするように生み出せた脚本のように仕上げて、翌日仕事の帰りに出すことにした。
一応、相手を気遣って外は茶封筒にして。
私の後輩の中でとびきり上手な字の、大変優秀な後輩が、震える手で宛名書きしようとする私の隣に座って、黙って代筆してくれた。
「大丈夫ですよ、ちゃんと気持ちは伝わりますって。だって、先輩の大切な人なんでしょう?信じて送りましょ?」
そう言って私の書いた手紙を中に入れて封緘してくれた。
苦しくて
配達記録だから、届いたことは分かった。
でも、それを読むのかどうかはあちらの勝手だから。
読んでくれさえすれば、伝わるだろうけれど…。
誰にも分からない。
本人以外、開けたのかどうかは分からない。
普通ね、そういうお手紙を貰えば…大なり小なりお返事はするものだろうと思うの、まともな大人なら。
でも、3日経っても1週間経っても、1ヶ月が経っても無反応。
こんなことある?
まともな大人がこんなことする?と困惑する私に力になりたいと申し出てくれた人がいた。
「聞いてあげるよ、ちゃんと読んだのか。返事しないのか。」
快くこんな嫌な役回りを引き受けてくれた彼には感謝しかない。
だって、相手からすれば誰???だし。
読もうが捨てようが勝手でしょ?って言われたら、間に入る彼も少なからず嫌な思いだってするわけで。
最初は1ヶ月経った時に。
「どう返事をしていいのか…でもちゃんと返事はします」
そう、言ってたよ、もう少し待ってあげようよ。
やっぱり重いものを投げつけてしまったなと思いながら、返事が来るのをただただ待った。
でもやっぱり何の反応もなくて。
2度目はそれから2週間ほどして。
「電話だと…何を話したらいいのか分からなくて」
と言っていたそう。
彼が何とか説得して、メールでもしたらどうですか?と提案してくれて
「メールします」
と言っていたよと。
もうすぐ返事が来ると思うよと。
来ませんでした、何にも。
そしていよいよ私が高知へ帰る日が来てしまったけれど、やっぱり何にも反応はないまま。
ご迷惑をおかけしたので、彼にお土産を持ってお礼を伝えに行った時に
「返事を聞きたかったら、会いに行くしかないがかもね。」
「それしがないがやおかね…お互い嫌な思いするかもしれんのにね…。」
そんな話をして、
「また高知へもんてきいよ」
とバイバイした翌日、再度連絡をしてくれていました。
ただいま高知、もんてきたよ。
私が高知で一番最後にできた、少しお姉さんの友達と桂浜で美味しいカレーを食べていたときだった。
「連絡しといたからね」
詳細を送ってくれて、私はそれを読みながら友達と海を眺めていた。
「どうしたのー、眉間に皺寄せてぇ」
隣でニコニコ笑う彼女に
「ちょっと…昔々のことと向き合いゆうが…」
と苦笑いしながら、友達とカレーを食べたけど気が気じゃなくて。
連絡くるのかな?
電話?メール?
いつ?今?もっと後?
ソワソワと落ち着かなくて、どうにも気がそぞろに。
そんな私を見守ってくれる彼女と、階段を駆け上がって目の前に広がるのは桂浜。
「久々やー!」
彼女がとびきりの笑顔でそう言うから、私の肩からも力が抜けて、ふわっとしたまま、桂浜水族館へ一直線。
(ただいま高知、もんてきたきよ。)
そんな気持ちで友達の分のチケットも買って中へ入る。
入り口を潜った刹那に、いろんな気持ちが吹き飛んだ。
帰りたくて帰れなかったあの日々。
高知が遠くて、 2度と帰れないのかもしれないと怯えた日々。
何度も繰り返し見たあの夢のことも。
そして、いつ連絡が来るの?ってソワソワしたその感情も。
本当に全部吹き飛んで。
入り口から私の目の前に大好きな桂浜水族館が、そんなが全部入り口へ捨てていき!っていうみたいに広がっていた。
人はいない。
だがそれがいい。
人がいなくて
「閑古鳥鳴いてる」
ってツイートされるぐらいの桂浜水族館がちょうどえいが。
少しばかり帰省でテンションの上がる私と、久々に桂浜水族館へ来てテンションの上がる友達と。
私たちを咎めるものはない。
思いっきり全部忘れて楽しんだ。
餌やりコーナーはぜーんぶ2人でキャッキャしながらあげた。
「魚めっちゃくるやん!」
「亀ぇえええ!!こわいい!!!!」
と子どものように2人で楽しんだ。
全部の水槽を覗き込んで2人で写真を撮って。
最近オープンしたあきらの部屋はまだ準備中やったけど、飼育員さんが出たり入ったりしていた。
2人であちこち見て、久々に大笑いして、全部頭の中からなくなって、全力で桂浜水族館を楽しんだ。
最後にこれもやってみよ!とドクターフィッシュに友達が手を入れていた時だった。
動画を撮る私のスマホに飛び込んできたのはメール通知。
通知されたその文章の始まりに、一瞬で現実に引き戻された。
「久しぶり」でも「元気?」でもなかった。
公文書の始まりのような書き出しのメールに涙が溢れそうになった。
「どうしたぁ?」
ドクターフィッシュから手を離し、すでに手を洗い始めてくれていた。
「メールが…来て…」
意気消沈する私に
「とりあえず落ちつこう」
私はこの大好きな桂浜水族館を、苦い思い出の場所には絶対にしたくなくて、売店で欲しかったものをババっと買って外へ出た。
何で?何でこんな書き出しのメール?
そんなに私と普通の会話したくないが?
ねぇ、散々待たせてこの書き出しはどういう意味?
グルグルと負の感情に巻き込まれていく私の手を引いて
「ねぇ、あそこ行ったことある?」
と、少し先へ連れて行ってくれた。
小さな神社があるのを初めて知った。
「おみくじあるで!引いてみん?」
友達はずっとニコニコしていた。
おみくじか…。
おみくじを読んだ後、ため息をつく私に
「スマホ、貸して?」
うん?
「私が代わりに読んじゃお。」
あの書き出しに絶望して、読む気にもならない私は彼女にメールを開いて渡した。
数秒黙って、出てきた言葉が
「コイツ、君のこと下に見てるね。読む価値ないで。」
とメールを閉じて返してくれた。
菩薩様のようにいつもどんな時でも微笑みを湛える彼女が、険しい顔になって
「会えません、来てくれるな。それだけ。」
書き出しからして、向き合う姿勢ではないなと思ってはいたけれど…。
普通の人なら「返事が遅くなってごめん」とか「今かまん?」とかそういうところかは入るよな…グルグルと負の感情に飲み込まれる私。
返事、しなくていいかな?行きませんってっていう私に、また怖い顔になって
「返事?せんでえい!こんなもんに返事する意味も価値もない。」
私の手を引いて、アイスクリンを買いに連れて行ってくれて、お土産見よう!と私をずっと励ましてくれた。
「あなたは何にも悪くない。悪いのは相手だから!」
私はあまり他人に怒らない。
怒り方が分からないので、いつも1人沈んでいくタイプなんです。
やっぱり私が返事を我慢して待っていれば良かった。
返事しますはあの人がただただ自分保身で言うた言葉だろうとは思いたくなかった。
相手をまともな『大人』と思いたかった。
私の尊敬したあの人は、もう影も形もない。
そんなの、18のあの夏に痛いほど分かっていたはずなのに。
それでも、あの人にも人として「まともな部分がある」と期待した私が悪い。
「桂浜に刻んで捨てたらえいわ。」
「捨てれたらえいのに。」
「捨ててしまい…って言うたち、優しいきようせんよね。」
「優しいわけではないがやけど。」
2人で浜辺を歩きながら、龍馬さんの前まで戻った。
「また、もんて来てよ?あんな男のせいで高知へ戻ってこんなったりしなよ?」
友達は困ったような顔で私に言った。
「それはそれ、これはこれ…また戻るよ。」
2人で笑い合って、少しの間桂浜の風に当たった。
大好きな桂浜水族館を苦い思い出の場所にすることがなくて本当に良かったなと思いながら、彼女の車へと戻った。
靴の中には少々の砂がお土産のように入り込んでいて、2人でまた笑った。
彼女は最後まで私が沈まないように話し続けてくれて、私が泣かないように笑わせてくれた。
ホテルに戻ってぼんやりスマホを眺めたけど、どうしても届いたメールを自分で読む気にならなかった。
信じたいけど捨てたい。
あれから3ヶ月経った今も同じ、私は今でもあの日届いたメールを自分では読んでいない。
私以外の何人かが代わりに読んでいるけど、全員
「コイツ…頭大丈夫?」
という反応をしていて面白いなと。
年代も違うし、性別も違うのに皆同じ反応って、なかなかないはずなのに。
そして未だ…相手からはあのメールで止まっています。
逃げているのか。
本当にまだどう返事をどうしようかと思い悩んでいるのか。
メールはしたから、いいでしょなのか。
仕事が忙しくてそれどころじゃないのなのか。
心に病を抱えていて敢えて触れない方向なのか。
どれなのかは分からないけど「お返事」とやらは私のところには届いておりません。
これが、答え。
待つだけ無駄なのだろう。
でも、まだ「あの時私が見ていた尊敬できるあの人」の像を捨てきれない私がいて。
まだグジグジとその部分が膿んでいる。
本当はここまで膿んでしまったらデブリードマン(麻酔をかけて膿んだところをザリザリと削る処置)しなきゃなとは思うけど、できない自分がいる。
信じたい自分と、もう捨ててしまいたい自分と。
せめぎ合う私の中の私。
17歳の私は信じたい。
18歳の私は捨ててしまいたい。
42歳の私は真ん中でどうしたもんかと悩むだけ。
そんなグジグジの私に今日も桂浜水族館のツイートが飛び込んでくる。
それに加えて、今はたくさんの高知のフォロワーさんが、私のグジグジとしたツイートを、何も言わずにただ静かにいいねを押して見守ってくれている。
膿んだままでも、生きちょりゃそれでえいやん言われてるような気持ちになる。
私のエンジンは桂浜水族館。
私の原動力は高知。
この二つがあるから、私は東京でも頑張れる。
おとどちゃんがいて、素敵な飼育員さんがいて、生き物たちがいて、温かい人たちがいて。
豪快で切り口のハッキリした姉さんたちと、少々セクハラめいたことを投げてくる明るいおんちゃんたち、それに、物言わぬけど確かにそこで息をして命を燃やす生き物たち。
こんなことに思い悩むのはホンマにアホらしいと思う。
思うけど手放すことも放り出すこともできんのは、あの日私が「約束を守れなかった」ことと「思ってもいなかったことを吐き出して投げつけてしまった」罪悪感なんだと思う。
本当に自分にも落ち度があると思うのなら、とっくの昔に解決していると思う。
第三者に入られてもなお解決させようともしないのを見ても、あの人は私にしたことも言ったことも何一つ何も思わずに生きて来たんだろうなと。
捨てたい。
もう、このモヤモヤしたもの、捨てたい。
捨てたいけど、きちんと処理してから捨てたい。
再発させたくない。
もうえい!って逃げると、また絶対再発するのを私は知っているから。
18歳の私はそうやって考えることをやめて。
ぶつかることを諦めて、相手のせいにして逃げた。
逃げてしまったから、この歳になって再発させたと思うから。
きっかけがあってももう再発しないように、綺麗に全部捨てたい。
県教委のニュースに時々あの人が映り込んでいて、胸の奥がグッと重く苦しくなる。
返事を待っても来ないのなら…と、この数日前に思い切ってこちらからメールをしてみた。
まだ返事はない。