首すじの匂いがパンのよう
中前結花さんの『好きよ、トウモロコシ。』を読んで
ひとつすっきりしたことがあった。
なんとも惹かれるタイトルと素敵な装丁に思わず手に取ったこの本。
上京したときの家探しエピソード、新幹線の中で出会った女性との話、お母さんとのあたたかく切ないエピソードや、自身の結婚について。
どれもこれも好きな話ばかりだったけれど、特にがしっと心を掴まれてしまったのが「宇宙のカレ」だ。
この中では星野源さんの「恋」の歌詞について書かれていて、そんな風に歌詞について深く考える人間がまさにここにもいますよ、と声を大にして言いたい。
わたしも小学生の頃からレンタルしたCDの歌詞カードを自分でノートに書き写していたクチなのである。
恋をしてはaikoを聞いて、失恋してもaikoを聞いた。
高校生も終わりかけの頃、好きだった人がミスチルのファンで、影響を受けてCDを貸してもらったりしていて
曲のことはもちろんながら、あの歌詞が良い、あの言い回しがすごい、あそこが色っぽい、などとやたらと歌詞についてメールを何十通もやり取りしたものだ。
ピンクのガラケーの受信箱は誇らしげな鍵のマークであふれかえった。
なんなら歌詞になぞらえてあなたが好きよ、という想いをお互いに伝えていたのかもしれない。
そんな甘ずっぱい思い出が蘇って、頭のてっぺんから足の先まで浸りたい気持ちになった。
もうその人に会うことは二度とないけれど、私もどこかで生きる彼のことをずっとずっと応援するのだろう。
この話の中で中前さんは星野源さんの「恋」の歌詞の意味がわからなかったと書いている。
美しい指先、ではなく指の混ざり。
髪の香り、ではなく頬の香り。
そして中前さんなりの答えが、これはなるほどなぁと思うものだった。
ただ、この答えはきっと「恋」の話だけではない。自分の中ですべてがしっくりきた。
社会人1年目の頃、星野源さんの「くだらないの中に」という歌が好きでよく聞いていた。
その中にずっと気になっている歌詞があった。
「首すじの匂いがパンのよう」
当時は首がパンの匂い…?一体どういう状況なのか…と不思議に思ったものだけど、
今この歳になってわかる、1日かけてそこで育てられた匂いというものは確かにパンのように少し香ばしいな、と。
「髪の毛の匂いを嗅ぎあって くさいなあってふざけあったり
くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる」
心地のよい匂いとは、いい匂いだけではないし
美しいものだけが愛とは限らない。
「くだらないの中に」は「恋」で始まったふたりの、続きの物語なのかもしれないな、
このエピソードを読んでそんなことを考えた。
そして好きな歌詞について一晩中だって語り合えるような、そんな人に今も昔も出会えたことに、幸せだなぁと心の底から思うのだった。