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CCCreation舞台「白蟻」レポ②

こんにちは。ぽろんと申します。またの名を雛田みかんです。役者の端くれで観劇オタクです。

先日、観劇した舞台「白蟻」のレポを書きました。今回はその続きになります。

前回はストーリーの解説だけでもかなりの文字数になったため、後半では自分なりの解釈や考察、キャラクターへの印象などを書いていきます。
よろしければお付き合いいただければ幸いです。

ネタバレ全開です。
また、考察や感想の内容はあくまで私の主観によるものであることをご理解ください。



「伝える」ということ


初見で「すごいものを観たぞ!?」となった舞台「白蟻」。

多くのメッセージが込められていると感じたが、タイトルやあらすじから受ける「難解そう」な印象よりも、実際の内容は「分かりやすかった」と感じる。

散りばめられた伏線は全て意味があり、きちんと回収される。2回目以降の観劇・視聴で「こういうことだったのか」となる作りではあるが、初見の観劇でも「あれってつまり…」と遡って考えることは不可能ではない。

表現したいことを描いた上で、それを受け手に伝わるように届けていることに対し、作り手の誠意を感じた。

…私自身が曲がりなりにも表現活動をしている上でも思っていることがある。
こんなことを書くと怒られそうだが、私はあまりにも「伝える気がない」と感じる舞台には「自己満足じゃん」と思ってしまう。(あくまで個人の意見です)

表現なんて自己満足じゃんと言ってしまえばそれまでだし、全部を説明してしまうのも野暮だと感じるかもしれないが、最低限伝わりやすくする努力はしてほしいなと思う。
もちろん合う合わないはあるが、お客様のお金と時間をいただいていることには変わりないのだから。

「なんか分からなかったね」で終わってしまうのは勿体ないし申し訳ない。「分からなかったけどなんか良かったね」「分かりたいから調べてみよっかな」などと、心に残るものがあれば良いなと思う。そのための取っかかりを作る努力をしてほしいわけだ。

その点、この舞台は一から十まで説明しているわけではなく、受け手に考えさせ、想像する余白を残した上で伝えるべきことは伝えている。
その匙加減が上手いなと思った。というか、私にはちょうど良く感じた。

…めっちゃ生意気言ってるかもしれませんね!!すみません!!

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考察

各所に散りばめられていた伏線の考察をしていきます。(拾えた部分だけ)

・冒頭で直哉が見ていた夢

美緒が火葬路に送られていくのは、美緒が亡くなった時の直哉の記憶が再現されているように見える。
が、実際はこの後に行われるAI葬儀の予知夢でもある。

キョンさんが美緒を焼こうとするのは、「自分の父親が美緒を殺した」=「美緒を殺した咎を自分が背負おうとしている」ということなのかと。
しかし直哉はそれを許さない。美緒を焼くのは自分の仕事であり、その役目は誰にも奪われたくない。
「大切なものはいつもこの手で焼いてきた」というのが彼の信条だ。

そして、「白蟻は何故死ぬのか」「王蟻がそう命じたから」という問答。
ストーリーを最後まで見れば分かることだが、白蟻→AI、王蟻→櫛元のことだ。
「王蟻はいつまで生きる?」「36歳の誕生日まで」

2025年1月1日は、櫛元悟の36歳の誕生日だ

2025年になった瞬間、ターマイトの全人工知能は機能停止し、櫛元悟も命を落としている。
その場面は描かれていないが、自死したか、あるいは人工臓器を体に入れていたと思われる。私としては後者を推したい。

・直哉の両親

直哉の父・譲は認知症だ。
最初は昔ながらの厳しい父親、という印象だったのが、AI葬儀の後から急速にボケてしまったように見える。
が、実際には物語が始まった時点で既に認知症だった

朝早くから起床し、8時20分に出社した息子を遅刻だと叱責する。(脚本の堀越さん曰く、始業は8時30分なのだそう)
彼の中の認識は既に狂っているが周りはそれを指摘できない。だから直哉の母・智美は周りに謝るのだが、それに対し反応を返す者が一人もいない。普通なら社長の奥さんにそう言われたら「そんなことないですよ」などと返すべきだ。
なぜなら智美は既にアンドロイドだから
社員の児玉が「良くできてるなー」と言うのは、智美がまるで本物の人間のように喋っているが、あくまで「機械」として見なしているから。

智美がアンドロイドになったのはどのタイミングで?認知症疑惑が出た後?と最初は思ったのだが、直哉が「一度目は母さんを焼いた時。二度目は美緒を焼いた時」という時系列からすると整合性が取れない。しかし最初からアンドロイドだとすると、上記のことが全て納得がいく。

本物の智美は美緒が亡くなるよりも前に亡くなっている。美緒が十三回忌だから、それよりも前だ。
直哉「アンドロイドに話を聞いてもらっています」櫛元「古い方か?新しい方か?」直哉「古い方に」
古い方=ダイコクなので、智美は新しい方のアンドロイド。
おそらく智美の死を受けてなのか認知症になった譲を見かねて、ターマイトが設立してから現在までの5年以内に智美を模したアンドロイドを買ったのだろう。

その他にも、譲は新渡戸に肩の調子のことを聞くが、新渡戸が肩を壊していたのは学生時代の話。普通はそこまで昔の話を詳細に覚えていたり、最近のことのように話題にしたりしない。

智美が「飲み込んだ魚の骨が腰に刺さっちゃって」と言い、譲は智美がおかしくなったと思うが、おそらく実際にはそんなことは言っていない。おかしくなったのは譲の認知機能の方。

AI葬儀の許可を貰いに来る時、譲や直哉は「今日はまともな日だ」と言うが、「今日はまとも」なのは智美ではなく譲。
直哉は父がまともでいるうちに、意思を尊重したくて話し合いに来たわけだが、全く分かり合えず喧嘩になってしまった…と思うと切ない。

譲が機械嫌いになったのは、おそらく「妻を殺された」と思っているからではないだろうか。
美緒が亡くなった時に「機械なんかに頼るから」と言ったのはそういうことかと。
そんな譲が年越しを前に、「機械でもなんでもいい。そばにいてくれ」とアンドロイドの智美に縋るのはとても切なかった。

・機械掃討計画とは

櫛元悟はこう語る。
機械とは、白蟻だ。社会という家の軒下に潜んでは、その基礎を全て食い荒らす。駆除しなくては…我が家が崩れてしまわぬうちに…」

知らず知らずのうちに人間は機械に依存し、機械なしでは生きられなくなっている。
これは現代にも刺さるメッセージとも言えるだろう。スマホ依存という言葉もあり、こうも便利なものを知ってしまってはそれ無しでは生きていけなくなる。

それを、家の軒下に入り込み家(社会)を食い荒らす、すさまじい生命力を持った白蟻に例えた。

機械=白蟻論とは、噛み砕くとこういうことだと思う。
櫛元はそんな考えのもと機械を駆除するための計画を考えたわけだが、その手段が常人では思いつかないような発想だった。

「白蟻を最も効率良く駆除する方法は、家の建て直しだ。社会という家を建て直すために解体作業をし、世界は再生の道を歩み始める。それが「機械掃討計画」」
(要約)

頭ごなしに「機械反対運動」「反AI運動」などやっても取りあわれない。
ならば、機械に依存した社会を自分が作る
その機械が全て壊れることで、人間達は機械への不信感を抱き、「機械に頼らない世界」=「機械が掃討された世界」が作られていく。

こういうことだと解釈しました。
「長い長い掃討計画」と言っていたように、自分の死後、何十年もかけてこの世界が作られるていくことを想定しているのだろう。
自分自身は教科書に載るレベルの大罪人になるわけだが。

「故意ではなく事故だった!」と見なされれば犯罪にはならないかもしれないが、令和に作ったであろうアンドロイド達の核をわざわざS(昭和)表記で作ってるのは、言い訳がきかないような…。
あるいは、自分の思想を遺言で遺していたのだろうか。

しかし、どうなんだろう。
5年でAIアンドロイドを爆発的に普及させたとはいえ、ターマイト以外の競合他社だっているだろう。
年越しの瞬間に停電になったところを見ると、町中がターマイト製品で溢れているようだったが。
他社製品がたった5年で淘汰されたなんてこと、あるのだろうか…?(電化製品なんて10年以上使うものばっかりだし)
どんだけ革新を起こしたんだ。それだけに、その才能を純粋に世の中に役立てるために使ってればなぁ…。

事件後も他社製品は普及するだろうが、この事件を受けて人間達の中には「機械への不信感」が根付く。ターマイト製品に頼っていたために、命を落とした人も大勢いるだろう。
それにより、機械を手放すという選択ができるような社会に何十年とかけてなっていく。

…という計画なのかもしれませんが、自分はやるだけやって先に退場というのがなんとも無責任だなとは思いました。復讐なんてものは自己満足上等ですからね!

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櫛元と直哉、交互配役で受けた印象

今回、櫛元悟と勢堂直哉というメインの二人(主人公は直哉と感じる)が、平野良さんと多和田任益さんの交互配役。
Wキャストではない。交互配役。二人の俳優が両方の役を演じるというなかなか見ない形式。
台詞も段取りも二役分覚えることになるのだから(それも両方主役級)、演じる俳優さんパネェ…となる。

交互配役の妙だと思ったのが、演じる俳優と組み合わせによって受ける印象がまるで違うという点。
その点を書いていこうと思います。


勢堂直哉as多和田任益さん

多和田さんの直哉は「主人公」という感じ。
冒頭の文学的な台詞を言っている姿は容姿や声質も相まってどこか耽美

昨年の「熱海殺人事件」で大山金太郎を演じている時にも思ったが、誰かに懸想し重い感情(オタク用語における「クソデカ感情」)を抱き、激しい感情を発露してぐちゃぐちゃになっている姿が非常に似合う。

また非常に若く見える。社会人14年目の34歳という設定だが、上のポストに就いていてもせいぜい社会人3〜5年目に見えるというか…序盤、出社前にIQOSで喫煙する姿に未成年喫煙という言葉が過ぎった。(多和田さんは御歳30歳)

歩き方もフラフラと頼りなく、喋り方も「陰(いん)の者」と感じる。
(以前陰キャオタクのキャラクターを演じた時にも思ったが、ご本人はキラキラなのに"陰"を演じるのが上手すぎる…)

そして櫛元への感情の向け方がピュアな初恋に見える。
野犬掃討作戦で「僕が必要だと言ってください」と訴えるくだりは必死さが全開の懇願。おっきい子犬。

「それは僕の人生において最も甘やかで幸福な時間であった」の台詞、後述する平野氏のバージョンと印象が違う。うっとりと陶酔したような、この恋を清く尊いものだと盲目的に信じているような喜色満面の言い回し。忠犬たわ公…すみません黙ります。

一緒に下校するシーン、直哉の気持ちを知った上で見るとドキドキが伝播する。アオハルじゃん。完全に好きな人への挙動。

ともすれば気色悪く映りそうな感情が、真っ直ぐで純粋なものに見えるのは多和田さんの特徴なんだろうか。

熱海の大山金太郎(知らない人向けにお伝えすると殺人犯の役です。配役の段階で分かることなのでネタバレにはなりません)も、大山の吐露する感情や犯行動機は非常に身勝手とも捉えられマイナスに映ることもある。
けれど多和田さんがやると、純粋な悲壮感が前面に押し出され「そっか〜、辛かったんだね」と同情的な気持ちにさせられた。なかなか無い魅力だと思う。

多和田直哉の恋はレモンソーダ。ここテストに出ません。



櫛元悟as平野良さん

冒頭の演説から上手すぎる。そう、これは「演説」。
実際は5年で世の中を変えた天才発明家であり超敏腕社長なんだけども、政治家にも見える。ただし常に目は死んでいる。
カリスマ性がありながらもいざ話してみるとフランクさを醸し、親しみやすさを感じさせる。きっと彼は分かってやっている、人心掌握のプロと感じさせる役作り。

悪い男やで〜〜!!とんだ男に惚れちまったな〜〜直哉!!

…すみません発作が起きました。
なんだろうな、演説や生徒会では政治家めいているんだけど、普通に話している時には「年相応の男の人」と感じさせる。
この櫛元は人間に見える。血が通っていると感じさせるんだけど、人間の皮を被るのが上手いんだろう。

「うちの基礎はもう穴だらけだっていうのにねぇ」
こことか完全にラスボスの風格なんだよ。怖すぎる。

その後も新渡戸に真相を話すくだり、おどけて見せたりしているんだけどなんか…なんか…怖いというか生理的に受け付けないというか…(マイナスな言葉を使ってしまいすみません)
なんだろう、ゾワゾワする圧と言うべきなんだろうか。
人間を超越しているというより、この人間…怖…となる。

前半のレポは劇場で初見だった多和田さんの櫛元をベースに書いていたが、平野さんの櫛元から受けた印象として明確に違う所がある。

美緒が亡くなった時、多和田さんの櫛元は感情の処理が追いつかず泣きも怒りもせずに喋っているように見えたが、平野さんからは沸々とした怒りを感じる。
機械絶対殺す!!という怒りが原動力になっており、意志が固まっていて揺らぎようがない。
狂っているというより「正気のまま壊れてる人」。
この点は後述する多和田さんとの大きな違いだと思った。

「すまない。お前にばかり迷惑をかける」
この最後の一言が涙混じりに聞こえて、直哉への情が垣間見えてしんどい。
そうだよな。情はあったんだよな!?と最後に思わせてくれた。



勢堂直哉as平野良さん

こちらが劇場で初見だった配役。
第一印象は疲れたサラリーマン。
冒頭の台詞は多和田さんが耽美だったのに対し、平野さんは演劇的。上手いなーこの人と思わされる。
社会人14年目の34歳。取締役。分かる。納得のいく年齢設定。なんというか「リアル」。

そんなリアルな男性かと思いきや、この人普通じゃないと思うところがある。
それが、櫛元への感情の向け方
なんというか、じっとりとした熱を帯びているというか…
多和田さんの直哉の回想がキラキラした青春の思い出だったのに対し、平野さんの直哉からの矢印は生々しいというか…

「青春の淡い初恋」とかじゃない。
幼い時からずっと見ていて、成績トップを維持して同じ高校に入って…というのは逆配役だといじらしい純愛に感じたのだが、この直哉はストーカーじみてて偏愛的

「先輩には僕が必要ですか?僕がいないと困りますよね?」というくだりも、多和田さんが懇願だったのに対し、平野さんは脅迫が入っているように感じる。
だからなのか、櫛元も「………(間)僕には勢堂が必要だ」と若干の間が入るし。

美しく完璧な皆の憧れる生徒会長の秘密を自分だけが握っている、という背徳を帯びた優越感を持っているように見え、「最も甘やかで幸福な時間」の「甘やか」というワードチョイスにねっとりした質感を感じた。

死体埋めBLならぬ死体焼きBL。甘やかな秘密の共有。う〜〜〜〜〜ん美しい。

このねっとり感からか、ブロマンスというよりも同性愛の意味合いが濃く見えた。
だからこそ、初見でBL確定演出した時に「やっぱり〜〜〜〜〜!?!?だよね〜〜〜〜〜!!」という興奮があった。

(ぶっちゃけると白蟻供養で一目惚れのシーン、オタクは「多和田さん学ラン!?」とオペラグラスを構え、「かわいいね」の台詞に「わかる〜〜〜!!」と心中同意していた。お母さん(智美)が「直哉のタイプなんだ」と自然に肯定してるので、いや女の子の方か…そらそうか…となったけど、当たってたんかい)

多和田直哉の恋がレモンソーダなら、平野直哉の恋はねるねるねるね
(そこは飲み物じゃないんかいと思うけどこれ以外に的確な例えが思い浮かばない…)


櫛元悟as多和田任益さん

こちらが初見の櫛元だったんですが、一言で言えば「高嶺の花」。そして「美しい狂人」。
白スーツの着こなしがあのトンデモ頭身に似合いすぎていて、触れがたい作り物めいた完璧さを感じさせるビジュアル。髪型も直哉の時には前髪を下ろして幼さを演出していたのに対して、こちらは前髪を流してデコ出し。整ったお顔がよく見える。

年齢感はと言うと、学生時代の学ラン姿に1ミリも違和感がない
それでいて、この人歳取っても見た目変わらないんだろうなと思わされるので36歳という年齢にも違和感がない。

その立ち姿があまりにも完璧で作り物めいていたので、PSYCHO-PASSのステージ(PPVV)の2作目や3作目の役を思い出させるような無機質な人外感を感じさせる佇まい。

けれど級友たちと話していると意外にもフランクでウェットに富んでいて…?楽しそうで…?んん…?
そこでキョンさんに言われる「あいつ、明るくなったな」
…ただただ不穏。

学生時代の櫛元悟はまさに完璧な生徒会長。鉄面皮な高嶺の花。笑顔で冗談を飛ばす今の彼とは別人に見える。

感情が見える時があるとすれば、妹・美緒が絡んだ時。
新渡戸が兄の目の前で美緒を正々堂々とデートに誘うと、「その心意気や良し!」←目力。いつ時代の人間だよって台詞がこんなに違和感ないことある?
特別に30分の許可を出し、
「30分というのは…店に入ってからですか…?」
(ニコッ)「^^今からだ」
ここ大好き。

感情が表に出づらいけど全く出ないわけじゃない、実直で不器用な人なのかと思われた学生時代の櫛元。
中の人的に某プリンスオブテニスのクニミツテヅカを彷彿とさせる…油断せずに行こう…

彼がおかしくなったのは野犬掃討作戦から。
倫理観はどこにあるんだという作戦内容を、さも当然のように顔色一つ変えずに提案する。まるで機械のように。
反発して抜けるメンバーを止めることもしない。淡々と「そうか」で流す。そんな中、一人残ったのが直哉。
…ここでの直哉(平野さん)から受けた印象は前述の通り。

「先輩には僕が必要ですか?」と言われた櫛元は「…え?」と眉を顰める。
そして「………(間)僕には勢堂が必要だ」と返すわけだが、その言い方は機械的。その一瞬の間。(Loading…)の中には逡巡を感じるのだが。

さてはこいつ、これまで気付いてなかったな?

妹のことが第一で、自分に向けられる感情には無頓着。
よしんば恋愛感情(に近い何か)だと理解したとしても、「僕に何をしてほしい?具体的な要求はなんだ」とか言って要求を呑んでしまいそうで心配。(勝手な妄想です)
実際には「あなたに付き従う権利をください」という斜め上方向に気持ち悪い要求だったわけですが…

そんな櫛元は美緒の心臓のために人工知能工学を学びに、直哉を置いてアメリカに渡ってしまうのだが。
数年後、突如として帰国。

白いツナギ姿も眩しく、「勢堂ーーー!」と爽やかな笑顔で手を振る櫛元。

「僕の恋が帰国した」

こんなん「恋」の具現化じゃ〜〜〜〜〜ん!!初恋そのものじゃ〜〜〜〜〜ん!!KOI!!恋が!!帰国したぞ〜〜〜〜〜!!

と思わせるツナギ姿の破壊力でした。眩しすぎる。


終盤の考察


先ほどの見出しから続く話になるので、基本的には櫛元→多和田さん、直哉→平野さんバージョンでイメージしていただければと思います。

美緒の心臓を「間に合わなかった」とあっけらかんと笑ってみせる櫛元は、空元気を出しているのだろう。

おそらくこの「間に合わなかった」とは、研究をする中で拒否反応を起こしたケースを見聞きして「人間は機械と相容れない」(そんなものを美緒の体に入れられない)と判断したのか、あるいは実用化する前に美緒が衰弱してきたのか。

どちらにせよ美緒と一緒に過ごすために帰ってきた。美緒と離れて渡米までしたこれまでの努力や、周囲からの期待を投げ打って。
彼にとっては、美緒を救えなければこれまでの研究も努力も意味のないものだったのだろう。

壊れかけていた櫛元に最後のトドメを刺したのは美緒の死。そして、死んでもなお鼓動を続ける機械の心臓
これにより彼の中の箍が外れてしまったと思う。

「こんな辱めが…この世にあっていいんだろうか…」

この台詞。平野さんの櫛元が「怒り」だとすれば、多和田さんの櫛元は怒りはもちろんあるのだが、「悲しみ」が強く感じた。
駆除しなくては、という台詞の声の震えも、怒りもあるのだが「こんなものを許してはいけない」という嫌悪が強い。

彼は怒りを原動力にしているというよりも、自分の感情の整理がつけられていない。13年経ってもなお。
ただ整理しきれないまま美緒との繋がりに縋っている。

「今はこれだけが僕と美緒との繋がりなのだ」

と言う櫛元は哀れに思える。
彼は壊れている。壊れているのに無垢だ。
湧き出る怒りというよりも、ただ「悲しい」「許せない」という気持ちに整理をつけられないまま、こうする他に道を見つけられなかったように思える。
美緒を救えなかった今、新たに見つけた「機械掃討」という目的のために進まなければ自我を保てなかったのではないだろうか。
彼は無垢だからこそ壊れたのだろう。

そしてこれは完全なオタクの感想だが、
美しい人が壊れる姿って美しいよね。
(あたりまえのことを言うな)(日本語って難しい)

新渡戸が言ったように、これはエゴであり美緒はこんなことを望んでいないとは分かっていただろう。

「でも、これ以上に正しい行いを僕は見つけられない」 

これは悲劇だ。
彼は狂っている。
けれど理性も残っている。

だから最後に美緒のコピーを作り、自分を止めてくれることを願った。
けれど機械は完全な人間にはなれず、櫛元を止めることはできなかった。
いくら見た目が完璧でも、完全にその人になれるわけがない。ましてや自分にとって一番近しい人ならば、どうしたって違うと思うだろう。

もし万が一、アンドロイドが櫛元の思う「完璧な美緒」になれていたら、美緒から止められれば彼は作戦を中止したのだろう。
少なくとも、本物の美緒だったら止めるはずだと理解していたのだから。

(追記)
加えて、新戸部に人工腎臓の提供を断ったことも、彼の中に人間としての情や良識が残っていたと考えられる点だろう。
級友の命を奪うことは良しとしていなかったわけだから。

機械掃討作戦が決行され、櫛元は命を落とした。
これには諸説あり、櫛元が自らの命を絶った、体の一部(それこそ心臓とか)を機械化して止まるようにしていた、等々色んな捉え方があると思う。が、私は後者の説を推したい。
彼は自罰も込めて、何よりも憎む「機械」になったのではないだろうか。
どのみち彼はもうこの世にはいない。

ラストシーンの火葬の前に直哉がすれ違った幻は、制服姿の櫛元兄妹。
妹と笑っている彼は、これまでの中で一番人間らしく見えた。
彼は最後、死と弔いによって解放され、人間に戻れたんじゃないだろうか。
そう思うと、「葬儀」「弔う」という行為が「救済」として重い意味を持つ。

櫛元の中に直哉が入り込む余地はなかったのか。
櫛元を止めることはできなかったのか。
むしろ野犬掃討作戦に加担した時点で櫛元の狂気に拍車を掛けてしまったのだから、共犯だ。

「憧れとは理解から最も遠い感情だよ」とはBLEACHの藍染惣右介の名言だが、まさに直哉は櫛元に「憧れた」がために盲目的に肯定し、「理解」できなかった。

櫛元から最期の言葉をかけられた直哉の「謝らないでください。僕は先輩を」の続きを考えた時、「愛しているんです」「止められませんでした」はたまた「救うことができませんでした」などが考えられると思う。
直哉は自分の恋心を優先させて秘密を共有するという甘やかな時間に溺れたことで、櫛元を狂わせてしまったという責任を感じたのではないだろうか。

起こってしまったことは変えようがない。
ただ、前向きに捉えるなら。
共犯関係になった、秘密を共有したからこそ、櫛元は直哉に信頼を寄せ、最後に葬儀を依頼したのだろう。
そしてその行為によって櫛元を救うことができたのなら、それこそが直哉にとっての救いだろう。

火葬BL、実に美しい。

…巻き込まれて死んだであろう大勢の人たちはたまったもんじゃないけどな!!

いいんだ!!二人の関係が美しければ!!世界がどうなろうと知ったこっちゃない!!

あれ、この劇におけるブロマンスって本当にサブテーマか!?むしろ主題じゃないか!?!?

…などとのたまっていますが全てオタクの妄言です。
(※パンフレットにおいて「サブテーマ・裏テーマはブロマンス」と書かれています)

交互配役を総括すると、(※個人的な意見です)
平野櫛元×多和田直哉はしっくり来るし、平野直哉×多和田櫛元は萌える
これは完全に好みの問題で、どっちも成立しているのでどっちが正しいとかではないと思いました。

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ブロマンスとして見た本作


ブロマンスとは「Brother(ブラザー)」と「Romance(ロマンス)」を合体させて生み出された言葉。
男性同士の恋愛を指す「BL(ボーイズラブ)」と違い、「ブロマンス」は恋愛以外の幅広い関係を指し、恋愛感情とは異なると定義されている。

が、本作において直哉は明確に「恋」という表現を使っている。
しかし櫛元からの感情はというと、明確に言葉にされてはいない。

一方的な片思いならロマンス(BL)とは見なされないってことか…?うーん…?と思ったのですが、

パンフレットを読み返すと、ブロマンスと称されているのはこの2人ではなく、生徒会メンバーの4人。

…な…

なるほど〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

この4人の精神的結び付きをブロマンスと称しており、それが生徒会のモチーフにした「ライチ⭐︎光クラブ」に繋がっていると。なるほどなるほど。

キャラクターに当てはめると、ゼラ→櫛元、ジャイボ→直哉、タミヤ→新渡戸になると思う。木葦だけパッと思い浮かばないが…デンタク…?

そっか、ブロマンスなのは櫛元と直哉じゃなくて生徒会の4人なのか!!

そっかそっか!!

…ということは、

櫛元と直哉ってやっぱりBLなのでは…??

と思ったりしたのですが、ブロマンス以上ラブロマンス未満な(ラ)ブロマンスといったところがしっくり来ると思いました。(本作を布教した友人が作った造語です)

「罪の共有」という点にはどことなく「スリル・ミー」を思い起こしたりもする。
というかスリル好きな人には白蟻も刺さると思う。(私がそう)
こに彼が好きな人にはたわ櫛元も刺さるだろうな…。(観た人にしか伝わらないそれ)
超絶話逸れますが、櫛元を見て多和田さんにスリルの「彼」やってほしいと思ったの私だけ??
お芝居的には「私」も似合うだろうけど、「彼」は間違いなくハマるだろうな、と思います…。

めちゃめちゃ脱線しましたが「ブロマンス・あるいはロマンス」として本作を見た時に、AI葬儀に対して直哉の言った「多様性」という言葉も、この劇に盛り込まれたテーマの一つではあるんじゃないかと。
だから最後のシーン、世の中があんなことになってもAI葬儀を上げる人がいたんじゃないかな。

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他のキャラクターへの印象

メイン2人のことをつらつらと書きましたが、他のキャラクターにも簡単に触れていきます。

新渡戸淳(演:松島庄汰さん)
前回の記事で散々褒めちぎりましたが、さすが坊さん。倫理や道徳は彼から学ぶべき。今作の良心。
「復讐は何も産まない!」論は色んな作品で見てきたものの、「うっせーよ!他人事のくせに外野は黙っとれ!当人がムカついてるから憂さ晴らしたいんだよ!」という気持ちになったりしてイマイチ響くことが少なかったのですが、
彼の説法は自己満足のために故人を穢すなというド正論だったので今までで一番響きました。
こういう角度、見てこなかったかもしれない…天才か…?
何よりその思いのぶつけ方が非常に真っ直ぐで好感が持てました。
彼が独り身なのは美緒を引きずってなのだろう。幸せになってくれ…。

木葦恭介(演:谷戸亮太さん)
キョンさん。これまで散々メイン2人のことにばっかり触れといて説得力がないかもしれませんが。
この作品でキャラクターとして純粋に一番好きなの、キョンさんです。
いやだって、あんなのみんな好きでしょ。倫理観欠如した無表情ブラックジョークマン。おもしれー男。
常に淡々と喋るのだが決して棒読み感はなく、キャラクターとして成り立っている。本当に上手い人じゃないとこうはならないよ…。
彼は散々「倫理観が欠如している」と自分を評するが、そんなことはないように感じる。確かに若干サイコパスの気はあるものの、彼は天然というか…人への共感性がないわけではない。ただ淡々としているだけ。
何より医師としては論理的だと感じた。その結果、最後は多くの命を救っている。
父の行った手術が結果的に美緒を殺すことになったことへ罪悪感を抱いているのも、彼の「人間らしさ」ではないだろうか。

櫛元美緒(演:今村美歩さん)
今作のヒロイン。そして故人という不可侵で最強の存在。
学生時代の彼女はひたすらに明るくて「いい子」だったんだな、と短いシーンでも伝わる。
新渡戸との交際は高校から続き、死の淵でも傍らにいたのだろう。この二人の高校生の時のやり取りが本当にリアルな高校生らしくかわいらしくて、大人になってからのやり取りも見てみたかった。
生前の彼女が大人になってから喋るシーンが一切ないのは、櫛元の中では彼女の時が高校生で止まっているからではないだろうか。
アンドロイドになってからの彼女は喋り方が明確に「人間を模倣している機械」になっており、凄い表現力だった。

ダイコク(演:島田淳平さん)
すさまじい台詞量を常にAI然として喋っていた人。
あれだけすらすらと喋らなきゃいけない上、役柄上絶対噛めない。噛んだらエラーになるからね。
そのうえ声も良いし、何より身体表現がすさまじい。
JPさんこと島田さんは帝劇のジョジョミュで初めて拝見したのですが、その時も動きがおかしい人がいるぞ!?本物の吸血鬼いない!?と衝撃を受けた。
それを今作、ワンチェンお前そんな顔しとったんかワレェ!!イケメンやないかい!!となった。
(ジョジョミュの島田さん、原型ないですからね本当に)
今作はダイコクが完璧な「AI」でなければ説得力を生み出せなかったと思う。そんな重要な役を完璧に演じられていました。

勢堂譲・智美(演:山本信太郎さん、保坂エマさん)
直哉の両親。この二人の仕掛けが見事で、この記事でも割と長く書きましたが、様々な伏線が張られていた。
譲さんは厳しい父親としての顔とボケてしまっている時の顔との演じ分け、智美さんは生前とアンドロイドとの微妙に違和感を感じさせるような演じ分けが見事。
分かってから見ると納得がいく。アンドロイドの智美は「優しすぎる」「へり下っている」ように感じる。
ボケてない時はあんなに高圧的なお父さんも、奥さんのことが大好きだったんだな…と思うと非常に切なくなる。

児玉樹(演:溝畑藍さん)
樹ちゃん。勢堂葬儀の癒し枠。元気いっぱいな正直者。
彼女はダイコクと反りが合わない、と何かと突っかかっているのだが、それは心のどこかでダイコクを単なる機械ではなく擬人化して捉えていたからでは…?と思う。
ただの機械に怒ったってしょうがないわけだから。
まぁ好きな人(直哉)の周辺を常にデカい男にセコムされてたらウザいとも思うわな。でもなんか好きだった、ここのやり取り。
直哉のことはドンマイ。多分一生独身貫くと思う

八重山素子(演:内田靖子さん)
妊婦さんで直哉の元カノでAI葬儀のきっかけになった人物、と実はキーパーソン。
多分、樹ちゃん以上にAIに対する「違和感」を持っていた人。だから車も手動で運転してたんだろう。
AIとはいえ見た目は人と変わらないものを轢き殺してしまった、という不憫な人。その後罪悪感が膨らんでいく所や直哉と付き合ってたことを樹ちゃんに言う所まで、なんというか人間臭い。
前回の記事でも書いたが、彼女は年末の葬儀でああ言ったが、あれは文字通りではなくダイコクらAIに人間性を感じていたからこその言葉だろう。

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最後に

長々と書きましたが、非常に面白い舞台でした。
作・演の堀越さんは賞味期限のある題材だと仰られていましたが、なるほど確かにこれは2024年中にやりたい。来年が昭和100年になるなんて、誰も思いつかない。
そして2025年の年越しに、この作品に思いを馳せたくなる。
そんな作品でした。

ストーリーもですが、堀越さんが「韻を踏む」と仰られていた台詞のテンポやリズム感が非常に心地良く、他の作品も観たくなりました。

ぜひとも再演してほしい…けど、題材的に難しいのかなとも思ったり…。

せめて、円盤化をどうかお願いします。平に。
…と思ったら、
円盤化されるみたいです!!わーーーい!!

https://x.com/ccc202007/status/1802267265506869598?s=46&t=-7uPBTTtliijTE6TvRUL4A

先行予約分に合わせて生産とのことなので、ぜひ予約しましょう。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ではでは!

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