ひと手間加えるという事、つまり焼き肉。
なんとなーく、最近意識している事。
どうせ、わたしの豚足のようなお手々で加える手間なんぞたかがしれているクオリティではあるのだけれど、これを意識すると出来上がるものが格段に違うと感じている。そうしたひと手間で、仕事がちょっとした作品になれば、仕事のサイクルにおいて善の循環が起こるきがしている。
それは心意気の問題。たかだか、クリームパンのようなお手々で加える手間でもよいのだ、と。
そうすることで、仕事を楽しむ事ができる。
仕事を楽しむ覚悟を決めたからにはいつも全力投球が必要だ。覚悟は、疲れるのだ。一日を、朝昼晩と分けるのであれば、一週間を朝昼晩とわけたと仮定した際のディナータイムは金曜日となる。(ここでは一週間を朝昼晩にわける必要性の検討は行わない)
今日の戦場はここだ。面構えよし。毘沙門天の流れを組んでいると勝手に私が決めつけた名店 沙門 @オホーツク
いざ、尋常にまいられ〜 という掛け声に対して、ちょっとした奇襲を。
焼き肉とモツ鍋。
同時発注
からの、もつラーメン(締めない〆=味噌汁感覚)
締めのラーメンの前に具は食べてくださいね^^という言葉をあざ笑うかのように、具を食べたあとに、具とラーメンを発注。
もつらーめん。
焼き肉はうますぎて写真撮ってる場合じゃなかったので
アイス。
「おにぎりって不思議だよね。例えば2つ食べたらお腹いっぱいだとするよね。でも2つ食べながら焼き肉を食べる事もできるわけ。ってことは、おにぎりって、相方の惣菜を鑑みて満腹具合をコントロールできる未来食なわけ。これをおにぎり理論っていうんだよ。単体でもおかずありでも、消費するおにぎりの量に変化はないんだよ。不変って事だよね。これは一つの真理かもしれないね」
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