【第1話】コスプレイヤー、異世界で服をつくる
この度は「Legend of Re:poris」の先行受付にお申し込みいただき、誠にありがとうございました。
以下の内容で当選が決定いたしました。
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私はメールの文面を三度読み直してから、自分の頬をつねった。
私
「……痛い」
痛み。これすなわち、現実であるという証である。
私はたまらず、ガッツポーズをとって叫ぶ。
私
「やったーーーー!!」
私は星野推(ほしの・すい)。社会人歴……数年。
彼氏なし、喪女のままアラサーを迎え、世間様から見たらちょっぴり寂しいかも知れないけれど、毎日とても充実している。
なぜなら、私には愛すべき推しがいるから。
私
「これからも、推し事のために生きます!」
全力で髪を振り乱して喜びを体現するが、すぐ我に返る。
私
「いけないいけない。喜んでばかりもいられない」
「週末のイベントのための衣装作らなきゃ……」
私はスマホを置くと、再びもくもくとミシンで生地を縫っていく。
今私が作っているのは、推しの衣装。
というのも、実は私、ひっそりコスプレも楽しんでいるから。
私なんかが推しになりきるのは申し訳ないと思っていた時期もあったけれど……推しのことをもっともっと知りたくてはじめたコスプレが、今ではすっかり推し事の一貫となっている。
同じく強い愛を持っている仲間たちと併せ撮影をするのは、たまらなく楽しい。
最高の一枚を撮るために、こだわってこだわってこだわり抜いている瞬間は本当に私であることを忘れて世界に入り込めるから。
私
(最高の一瞬をむかえるためにも……併せ相手に迷惑かけないためにも……絶対に! 何が何でも! 今日中に仕上げないと)
(今夜も徹夜だ……!)
ここ数日睡眠時間がほとんど取れていないが、楽しむためにも絶対に妥協はできない。
気合を入れるために、栄養ドリンクを飲もうと手を伸ばしたそのとき。
抗いがたい、強烈な眠気が襲いかかってきた。
私
(駄目……今寝たら……イベントに間に合わ……な……)
必死の抵抗も虚しく、意識が混濁していく。
私
(駄目……早く……起きないと……)
ふわりとした浮遊感に包まれ、完全に私は意識を失った。
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私
「うわああああ、間に合わない!!」
ハッとして、慌てて飛び起きる。
そんな私の視界に飛び込んできたのは、見覚えのない景色だった。
私
「あれ? ここどこ? ……まさかスタジオ? 私、撮影中に寝ちゃった!?」
睡眠不足のあまり、撮影中に寝てしまったのだろうか。
もしそうだとしたら、迷惑をかけてしまったどうしようと慌てふためいている私の顔を、ひょっこりと、可愛らしい女性が覗き込んできた。
澄んだ翡翠の瞳がまっすぐに私を射抜く。
私
(おお……めっちゃ鮮やかな色の瞳だな……どこのカラコン使ってるんだろ)
キラキラと光を弾く瞳に、思わず見入ってしまう。
美しいのは、瞳だけではない。
柔らかそうな絹のような金色の髪に、毛穴の見えない陶器の肌。
思わず詩人になってしまうほど、浮世離れした美しい女性だ。
もっと言うなら作画が違う。
私
「推せる……」
無意識のうちに、つぶやいてしまった。
エラ
「オセル?」
美女は声まで可愛く、不思議そうに小首をかしげる仕草まで可愛い。
私
「いや、あの……」
適当に咳払いをしてごまかそうとすると、美女は大きな目を一層見開いた。
エラ
「あ、そうだよね! 喉乾いたよね。ちょっと待ってて」
そう言って慌ただしく走り去っていった。
静かになった部屋でゆっくりと現状を整理する。
私
(……うーん、どれだけ思い返しても、やっぱりスタジオに来た覚えがないなぁ)
(私は自分の部屋にいて、コスプレ衣装を仕上げてたはずなんだけど)
(寝てなさすぎて、記憶飛んでるのかな?)
改めて部屋を見渡した。
本格的な石造りの建物。
家具も素朴ではあるが、一つひとつ手作りの味があり、使い込んだような細かな傷や経年劣化のあとが見えた。
今、私が座っているベッドも、おそらく手作りなのだろう。
身じろぎをするたびに、ギシギシと悲鳴をあげる。
どれもこれもセットとは思えない、リアルなつくりのものばかり。
私
(初めてのスタジオだから自信ないけど……)
(なんか、ホームページの写真とだいぶ印象違うなぁ)
(いや、むしろリアルでめっちゃいいんだけど)
私がうんうんと悩んでいると、すぐ彼女は戻ってきた。
その手にあるのは、水とスープをのせたお盆。
私
(スープ? なんで……?)
エラ
「お待たせ」
私
「あ、えっと、ありがとうございます」
不思議に思いながらも、私は促されるままに水を飲む。
口に含んだ瞬間、いかに自分の身体が水分を求めていたかを思い知る。
私は、コップになみなみと注がれていた水をあっという間に飲み干した。
エラ
「……すごい飲みっぷりね」
「まぁそれもそうよね。あなた丸一日寝ていたのよ」
私
「丸一日ですか!?」
想像もしていなかった言葉に、私は驚きを隠せなかった。
私
(え? え? どういうこと?)
(私、スタジオで丸一日寝てたってこと?)
(いや、でも、スタジオで丸一日も意識失ってたら、たぶん病院に運ばれるよね……?)
(もう、全然わからない!)
事態が飲み込めないでいると、私の混乱を察したのか彼女はゆっくりと噛み砕くように話してくれた。
エラ
「あなた、うちの家の前に倒れていたのよ」
「びっくりして、とりあえず部屋に運んだけど、お医者様に聞いたら寝てるだけだって言うし、様子を見ていたの」
「怪我もしてないみたいだけど……身体に違和感はない?」
私
「あ、えっと……おそらく、はい」
要領を得ない返事だったにも関わらず、彼女はホッとしたように頬を緩めた。
エラ
「それならよかったわ」
私
「あの、助けてくださって、ありがとう、ございます」
エラ
「どういたしまして。……とりあえず、毒は入ってないからスープを飲んで胃を温めて」
見た限り、ごく普通の野菜コンソメのスープのようだ。
甘く香ばしい野菜の香りが鼻腔をくすぐる。
水分と同じように、スープを意識した瞬間、お腹が空いていることを思い出した。
私は戸惑いながらも、勧められるままにスープをすくって一口飲んだ。
その瞬間。
エラ
「飲んだわね」
それは、静かに、けれど確実に何かしら含みのある言い方だった。
恐る恐る彼女の顔を覗き見ると、涼しげに細めた目と対照的に、満足気に大きく弧を描いた口が印象的だった。
私
「あ、あの……これ、何か、入ってるんですか?」
エラ
「何も。しいて言うならイモが入ってるくらいね」
私
「では、あの一体、どういうことなんでしょうか?」
彼女を刺激しないように、精一杯下手に尋ねてみる。
エラ
「……一宿一飯のお礼に、あなたの服を、見せてほしいの!」
彼女は、間違うことなく伝わるように、一言一句ハッキリと音の粒を立てて言った。
私
「私の、服……?」
私が今着ている服は、これといって奇抜なものではない。
ただ、外に着て歩くつもりはまったくない、完全で完璧な部屋着だ。
まず2.5次元ミュージカル「Legend of Re:poris」の初回公演限定のライブTシャツ。
(当然、着る用以外の保管用Tシャツも入手済みだ)
その上に、推しの担当色パーカーを羽織っている。
ボトムスは長年愛用のスウェット。部屋着なのだから使いやすさ重視。
推しを下げるつもりは微塵もないが、それでも、どれほど好意的に言ったところでお洒落とはいえないし、これといった物珍しさもない。
私
(え、っと、この服になにかあるのかな……?)
エラ
「驚いたわよねごめんなさい」
「別に身ぐるみを剥ごうってわけじゃないの」
「でも、あなたの服、とても珍しいから。ぜひ参考にさせてほしいと思って」
疑問に思っていたのが顔に出たのか、彼女は柔らかい口調で事情を説明してくれた。
エラ
「あなたこの街の人じゃないわよね」
「ここは国一番商業都市メルクリウス。もうすぐ街一番の商人『メルクリウス』を決める選挙があるの」
「ま、一番の商人っていっても、商売は一人でできるものじゃないから、実際は商会や商団単位で与えられる資格なんだけどね」
「今回の大会は『ファッション』がテーマで皆がこぞって新しい服を開発してる」
「……だから、最初はあなたも、それを狙って来た旅人だと思ったんだけど」
私
「えっと……」
私
(めるくり? なにそれ……?)
(それにショウニンって……商人だよね。商売をする人をそんな呼び方するなんて、漫画かゲームみたい……)
エラ
「ごめんなさい、話がそれちゃったわね」
「とにかく、私、『メルクリウス』を狙ってるんだけど……アイデアが沸かなくて」
「あなたの服を参考にさせてほしいのよ」
彼女の勢いに気圧されて私が言葉に詰まってしまう。
私
(まず……ここはエラのお家。スタジオじゃない)
(それどころか『メルクリウス』という街で、日本ですらないよね)
(一瞬、めちゃめちゃ設定凝ってるコスプレイヤーかとも思ったけど、でも、丸一日私が寝てたっていうのも、嘘じゃなさそうだし……)
彼女を改めてじっと見据える。
彼女は苛立つこともなく、急かすこともせずに、じっと答えを待ってくれていた。
その態度を見れば、身ぐるみを剥ぐつもりはないという言葉が嘘でないことは明らかだった。
私
(正直、街一番の商人とか、メルクリウス? とかわからないことだらけだけど)
(……助けてくれた人に、服を見せるくらいならいいよね)
快諾しようと、私が口を開くより早く、ドアの向こうからガラの悪い声が聞こえてきた。
?
「おい、シンデレラ!!」
エラ
「あ。いけない」
彼女は慌てて、部屋のすみに積んであるカゴをひとつ持ってドアに向かっていった。
カゴはまだザッと見ただけでも十個はある。
ふだんであれば運ぶのを手伝うところだった。それくらいの気は使える。
けれど、今の私の脳内は聞き覚えのある単語でいっぱいになって、そこまで頭が回らなかった。
私
「……シンデレラ?」
エラ
「今、運んでるからちょっと待ってて!!」
彼女はドアに向かって声を張り上げてから、荷物を順番に運んでいく。
そして荷物を運びながら、私の疑問に答えてくれた。
エラ
「えっと何だっけ」
「そうそう。シンデレラ、ね」
「ごめんなさい、自己紹介が遅くなって」
「私はエラ。エラ・グリーズよ」
「仕事柄、灰を被ってることが多くてね。それで、シンデレラって呼ばれてるの」
私
「仕事柄っていうと」
エラ
「そ。私は『灰染め』の職人なの」
「あ、そうだ。すっかり忘れてたわ」
「あなたの名前、聞いても良い?」
私
「あ。すみません。私はスイです」
その後もエラは簡単に灰染めについて説明を続けてくれた。
簡単に言うと、灰染めというのは、草木染めの一種らしい。
草木で綺麗に布を染めるには、触媒が必要で、その触媒に灰を使うのが灰染めだ。
そしてエラはただ黙って染めの依頼を受けるだけでなく、積極的にデザインや開発にも参加するそうだ。
話を聞く限り、どうも目の前の『シンデレラ』は虐められていないようだ。
童話のような貴族の娘でもないし、意地悪な継母や義姉もいない。
私が知っている物語の共通点は美しいこと、裁縫が得意なこと、本当に灰にまみれているという三点だけだった。
エラ
「待たせて、ごめんなさい」
エラがドアを開ける。
そこに立っていたのは、またもや美しい青年だった。
青年
「…………」
不機嫌さを隠そうともせず、口をへの字に歪めているが、それでもなお美しさが損なわれることがない。
何より、漆黒の髪に真紅の瞳が強烈な印象となって脳裏にこびりつく。
私
(うっわぁ……まつげバサバサ? ふさふさ? すっごい毛量……)
(唇ってリップつけてるのかな。二次元みたいにうるつやだ……)
私
「推せる」
青年
「あ?」
私
「ヒィッ!」
鋭い眼光に射抜かれ、思わず悲鳴をあげて目をそらす。
私
(前言撤回!)
(怖い、無理、やだ)
(浮気、駄目、絶対)
目の前の美しいものに負けないように、推しの姿を脳裏に思い描く。
私
(うん、大丈夫。私が好きなのはあの人だけ)
必死に自分に言い聞かせた。
エラ
「ウーヤ! ちょっと、怖がらせないでよ」
ウーヤ
「……おい、名前で呼ぶな」
エラ
「はいはい」
ウーヤ
「……たく、待たせすぎ」
ウーヤ
「こんだけ客を待たせたんだから、代金、負けろよ」
エラ
「待たせたことはごめんなさい。でもお代は負けられません」
ウーヤ
「ケチ」
エラ
「たかり屋」
仲がいいのか悪いのか二人が言い争っていると、黒髪の青年の背後からもうひとり青年が顔を覗かせた。
長髪の男性
「ウー、あまり染師さんを困らせてはいけませんよ
次に現れた青年も当たり前のように美しかった。
日の光に透けてしまいそうなほど、髪は細く繊細で、色も眩ゆいばかりに輝くプラチナブロンド。
高く通った鼻筋に、薄く形の良い唇。
目の前に立つ男性ほど白皙の美青年と言う言葉が似合う人もそういないだろう。
ルス
「……?」
目があったので、慌てて私は顔をそむけた。
私
(眼福……! 今度こそ推せる)
頭の中の推しが「浮気者」と私を罵ってくるが、目の前の美しいものを愛でたい欲求にはかなわない。
けれど魂の叫びを、今度こそどうにか心の中で留めることには成功した。
エラ
「たしかに全額きっちり頂戴しました」
ルス
「今回も美しい染めをありがとうございます」
エラ
「こちらこそ、いつもご贔屓くださってありがとうございます」
「またよろしくお願いいたします」
「あ、そうだ。ついでに工房にアレ運んでおいてくれる?」
ルス
「え……っと。ついでというには随分な量に見えるのですが」
エラ
「お願いね」
ルス
「わかりました」
挨拶を終えるなり、青年ふたりは荷物を馬車に積み始めた。
私
(馬車……なんて、はじめて見た)
木製の日常的に使い込まれている馬車を見て、確信した。
私
(やっぱりここは私の知らない世界だ……)
美男美女にファンタジーでヨーロピアンな数々。
それなのに、食べ物は現代を思い起こすレベルだし、今のところ不快なものは何もない。
私
(それでも、ここは私の居る場所じゃない……)
(私が居るべきなのは……観客席!)
ふんすふんすと鼻息が荒くなる。
私
(だって、推しのミュージカルに当選したんだもん!!)
(絶対に、ぜーーーーーったいに! 観に行かなきゃいけないの!)
(それに併せの衣装も仕上げて、撮影したいし……)
(だから、なんとしても自分の世界に戻りたい)
現状とやりたいことがわかった以上、私のとる行動はひとつ。
私は、力強く頷いてから、エラさんに向き直った。
私
「エラさん、さっきの話なんですけど」
エラ
「さっき?」
私
「ほら、服を見せてほしいって話」
エラ
「ああ! 考えてくれた?」
私
「もちろん、それでお礼になるならいくらでも見てください」
「ただ……ちょっとお願いがあって」
「私、かなり遠いところから来たんだけど、どうにか自分の国に帰る方法を探してるんです」
「だから、色んな情報を調べるためにはどこにいったらいいか教えてほしいのと」
「このあたりのことを全然知らないから教えて欲しいんです」
エラ
「なるほど。それくらいならお安い御用いよ」
私
「ありがとうございます!
エラ
「それだけで大丈夫?」
私
「あ、あと、もうひとつ」
エラ
「……なあに?」
私
「服を見せる間、違う服を借りることってできますか?」
エラ
「もちろん」
はじめてエラさんがくすりと笑みを漏らした。
想像よりも遥かに可愛い笑顔に、思わず癒やされた。
私がほっこりと和んでいる間に、エラさんはテキパキと説明を進めていった。
まずこの国の名前は桃源郷(パラディースス)。
四つの大都市から成り立つ国だそうだ。
そしてエラさんが住んでいるこの街が、商業都市・メルクリウス。
多くの商人が集まるため情報は集まるが、駆け引きも多く、人から話を聞くのにはあまり向かないらしい。
エラ
「情報を集めたいなら……そうねぇ」
「本や文献を読んで調べ物をするなら水と杜の都・アフロス」
「いろんな人の話を聞きたいなら自由都市・クロノスがいいと思うわ」
私
「なるほど……」
私はエラさんに借りた紙と羽根ペンを使って、せっせとメモを取っていく。
筆を走らせながら、私はこっそり胸をなでおろした。
私
(ちょっと繊維が荒くて引っかかるけど、でも紙が手軽に使える世界でよかった)
(この調子なら、そんなに生活にも苦労しないで済みそう)
エラ
「あ、でも……」
「今は、街から出るのは難しいかも」
私
「え?」
安堵したのも束の間。
思わぬ言葉がエラさんの口から飛び出した。
エラ
「今この国……ってまとめて言っても良いのかさえ怪しいんだけど……戦争中でね」
私
「戦争!?」
さらに飛び出すぶっそうな単語に、悲鳴を上げる。
詳しく聞いてみると、今は街同士が争っていて、そのせいで行き来を制御されているそうだ。
自由に移動できるのは、特権階級の人間と彼らに認められた商売人だけ。
私
「じゃあ、私は……」
エラ
「今のままじゃ移動はできないわね」
私
(どうしよう。このままじゃ元の世界に帰るどころの話じゃないわ……)
私はがっくりと肩を落とした。
エラ
「でも、一応、特権階級になる方法ならあるわよ」
私
「それってどんな方法なんですか?」
身を乗り出して尋ねると、エラさんはいたずらっぽく口の端をあげた。
エラ
「ここは商人の街、商人として名を上げればいいの」
私
「名を上げるって言われても、具体的にどうしたらいいのか……」
エラさんの言葉の意味がわからず、私は首をかしげる。
エラ
「メルクリウスになればいいのよ」
私
「メルクリウスって、さっき言ってたナンバーワン商人の称号……ですっけ?」
エラ
「そうよ。……もうすぐ、ひと月後にメルクリウス選挙があるの」
「メルクリウスは二年に一度、街一番の商人に与えられる称号」
「ナンバーワンになれば商いのために、自由に世界を移動できる権利を与えられるのよ」
私
「なるほど……」
続いて、エラはメルクリウス選挙についても教えてくれた。
通常はメルクリウスになるために、この街には世界各地から多くの商人が集まってくるという。
しかし戦時中の今は、特別に認められた質の高い商人だけが街に入ることを許されている。
エラ
「母数が少ない分、チャンスは多いかも知れないわよ」
「と、思って、私は今回気合を入れてるの」
私
「……そうなんですね」
「でもやっぱり、私には無理そうですね」
社会人になってそれなりのアラサーだが、残念ながら販売職の経験はない。
そんな私が一ヶ月で街一番の商人=世界一の商人などと、無謀な夢を見ることはできない。
いくら母数が少なかろうが、優勝争いをするようなエリート商人はしっかりと参加しているのだから。
深いため息を付くと、エラさんがポンポンと私の肩を叩いてくれた。
エラ
「とりあえず、さ」
「工房に移動しない?」
……残念ながら、慰めてくれたわけではなかった。
けれど、目をキラキラと輝かせているエラさんを見ていると、私は力なく頷くことしかできなかった。
エラさんの家を出て、歩いて十分ほどくらいのところにあるらしいエラさんの工房に向かう。
途中の街並は、石畳とレンガで溢れていて、美しい。
しかし見れば見るほど、ここが日本でないことを痛感する。
私
(……とりあえず単位が同じでよかった)
(これでまったく違う意味だったらどうしようとも思うけど)
小さな共通点に安堵しながら、私はエラさんについていった。
エラ
「うわぁ楽しみだな……縫製も見たことないくらい丈夫で綺麗だし」
エラさんは気ままにステップを踏んでスカートをひらひらとはためかせる。
そんな何気ない仕草が、たまらなく可愛らしく、絵になる。
美しい街並みと美しい彼女という組み合わせに、うっとりと見惚れていると、視界の端に異質なものが入り込んできた。
馬だ。
馬の後ろには巨大な箱、車輪が続く。
私
(これってもしかして、馬車ってやつ?)
私
「エラさん! 危ないッ」
エラさんは私が声をかけてはじめて、背後の存在に気がついたらしい。
彼女は慌てて避けようとするが、足がレンガ道の隙間に引っかかって、体勢を崩してしまう。
エラ
「きゃ!」
私
「エラさん!」
私は脇目も振らずエラさんに駆け寄り、庇うように覆いかぶさった。
私
(あ、これ、馬車避けきれないな……)
来る衝撃に備えて、奥歯をぐっと噛みしめた。
ウーヤ
「バカ!」
刹那、私を包み込んだのは、コツっとした雄々しい腕と灰の山だった。
私は、目の前の灰を掻き分け、どうにか顔を出す。
私
「ぶっは……!」
「え、エラさん、大丈夫ですか?」
エラ
「う。うん。なんとか」
遅れて、私を助けてくれたのであろう人が灰から顔を出した。
ウーヤ
「……ふぅ、ひどい目にあった」
私
「あ」
灰にまみれていても、彼の美しい黒髪と真紅の瞳を見間違えるはずもなかった。
私
(……やっぱり、推せる、綺麗)
燃えるような瞳に心臓を鷲掴みにされた。
私
(いやいやいや、見惚れてないでお礼を言わないと!)
慌てて気持ちを切り替えて、お礼を伝える。
私
「あ、えっと、助けてくれてありが――」
ウーヤ
「あああああ!! 俺の可愛いドレスたちが!!」
言われて気がついたが、あたりには大量の服が散乱していた。
灰で汚れているのはもちろんのこと、ほつれたり、破けたり、ひどい有様であった。
ウーヤ
「アンタら、どう落とし前つけるつもりだ!」
私
「どうって、言われても……」
「そもそもなんで、あなたたちが」
ルス
「君たちがぶつかりそうになった馬車は、私たちの馬車なんですよ」
「染師さんに頼まれたので、工房に灰を運ぶところでしたが……ね」
ルス
「どうしましょうね。このままだと納品に間に合いそうにありません」
エラ
「嘘、私のせいで……ごめんなさい!」
「弁償させてもらうわ」
ウーヤ
「あのな、金で済む問題じゃないんだよ。信用に関わるんだ」
「それに! もうすぐメルクリウス選挙だっていうのに……」
ウーヤ
「あ」
ウーヤ
「おい、まさか、それで邪魔しようとしたんじゃないだろうな」
エラ
「ちょっと、いくら迷惑かけたからってその言いがかりはあんまりよ」
私
「納品は何時なんですか?」
空気を無視して、私は言い争う二人の間に割って入って質問をする。
エラ
「え?」
ウーヤ
「あ?」
ルス
「…………」
ルス
「あと三時間後の約束です」
私
「よかった。ならまだできることがありそうですね」
「あのこれって灰ですよね」
ウーヤ
「見て、わかんねぇのか」
私
「そうですね、すみません」
「あの石鹸って用意できますか? あと何でも良いので布の切れ端、集めてください」
ルス
「わかりました。やってみましょう」
私
「どこか作業ができる場所は……」
エラ
「場所は、うちの工房を使いましょ」
私
「ありがとうございます!」
そうしてどうにか掻き集めた大量の石鹸と布の切れ端を使って、私は大急ぎで修復作業にあたった。
私
「石鹸を全力で泡立ててください! そこに汚れてしまった服を入れて、とにかくもみ洗い!」
「あと、破れてしまった部分は、この布で隠しましょう」
ウーヤ
「おい、そんなダサい服を俺らのブランドだって言う気じゃないだろうな!」
私
「こうやってあて布をしたあと、もう一枚布を付けて……大きなポケットにしちゃうのはどうですか?」
「あと、ポケットにならないところは、リボンや花を作って縫い付けたら……なんとかなりません?」
ウーヤ
「…………」
ウーヤ
「ま、これならカワイイな」
私
「よかった! ありがとうございます!」
「じゃあ、全員で! 全力で! やれる限り、やりましょう」
エラ
「うん!」
ウーヤ
「うし!」
ルス
「はい」
私
(……まさかコスプレの技術が、役に立つ日が来るなんて)
(衣装を運んでいる最中に汚したり、壊したり、トラブルが起きるのって本当に日常茶飯事の世界だったもんな)
一瞬懐かしい日々に思いを馳せるも、すぐに私は頭を切り替えて、無我夢中で作業にあたった。
私
「よかった。なんとか間に合いそう!」
全員の努力の甲斐あって、目の前には綺麗に汚れが落ちた大量の服が積まれている。
青年たちの反応を見る限り、ポケットやリボンのアレンジも大成功のようだ。
私
「えっと、服を乾かすのは間に合わないんですけど、そこはなんかこう上手く言ってください!」
「ということで、ルスさん、でしたっけ。これ急いで納品しに……」
ルス
「お嬢さん」
ルスさんがゆったりとした口調で私の言葉を遮った。
ルス
「お嬢さん、私たちのパートナーになってください」
お嬢さんというのが私のことを呼んでいると理解するのに時間がかかった。
加えて、パートナー?
ウーヤ
「ま、悪くないな」
エラ
「彼女の機転とアイデアがあれば本当にメルクリウスになれるんじゃない?」
ルス
「当然です。そのためのスカウトですから」
パートナーの意味をはかりかねているうちに、ルスさんたちは、すっかりその気になってしまっていた。
私
(……なんでこうなった)
(と思わなくはないけど)
(これって上手く行ったら、他の街にいけるってことだよね)
(そうしたら、元の世界に帰る方法が、見つかるかも知れない)
(だったら、全力で、やるしかない!!)
(推しのため、私、スイ、やります!)
こうして私はルスさん、ウーヤさん、エラさんと一緒にメルクリウス選挙に挑むことになったのであった。
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