読書録 2024年8月

氷室冴子『海がきこえる』

 大学進学を機に高知から上京した杜崎拓が、高校時代を懐古することではじまる青春小説。杜崎が「ボーイ」から「マン」へと成長するビルドゥング・ロマンスといえる。
 ヒロインの里伽子はもちろんだけれど、それ以上に松野が良かった。杜崎が松野を認めて「親友」になる場面も、双方口下手で里伽子を巡ってぎこちない会話をしてしまうところも、思春期の不器用な男同士の友情という感じでとても魅力的に映った。ふたりが和解できて本当によかった。
 若者たちのビルドゥング・ロマンスではあるものの、彼らはまだ完全に大人になったわけではなく、杜崎と里伽子の関係性はこれからどうなるかは不確定で、そうした幕引きと海を見つめるエンディングが良かった。

久生十蘭『あなたも私も』

 戦後まもない日本を舞台に、ファッションモデルから脚を洗って働くことを決意する女性を主人公として描かれる小説。戦後の混乱と人々と卑しさ、強かさや、核エネルギーへの期待と恐怖など、時代性が強く反映されている小説という印象。あまり面白く感じなかった。

古川隆久『建国神話の社会史』

 近代日本において天皇を絶対視する根拠として利用された建国神話が、教育の現場や社会の中でどのように扱われてきたのか考察する本。本居宣長から後期水戸学へとつながる、記紀の記述を絶対視・神聖視して疑いを挟むことを許さない態度が、明治政府が天皇制を語る際の姿勢へと引き継がれたという前提を確認した上で、戦後に教育勅語の失効が確認されるまでは建国神話は事実だという建前が続いていたとして、建国神話をとりまく状況の変化を追っている。
 歴史研究者たちの手によって『古事記』や『日本書紀』が編纂当時の為政者が自身の正当性を示すのに都合が良いように描かれており、ふたつの間には矛盾する記述があることも明らかにされる一方、小学校の歴史の授業では建国神話を史実として教えなければならない矛盾が何度も強調されてた。神話を事実として教える教育者たちの苦悩が手に取るようにわかる史料がいくつも紹介されていて、大変面白かった。
 そのほか、石川三四郎や古代史研究者の西村真次が、建国神話から古代日本に議会制民主主義に近い仕組みがあったことを読み取ってデモクラシーの正当化に用いようとしたという指摘や、1940年に万博を開催する構想の中で、「八紘一宇の詔」を人々や物の交流を促進するという意味に捉え直して活用しようとしたという指摘等が面白かった。

アーシュラ・K・ル・グウィン『風の十二方位』(ハヤカワ文庫SF)

 ル・グィンの自選SF短編集。「オメラスから歩み去る人々」を読みたくて購入した。(「オメラス...」はマイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』を読んでから、この話どこがで聞いたことあるな...と思っていたのだけれど、最近その正体がドラマ『MOZU』であることが判明した。)
 印象に残ったのは「視野」。異星で「神」と出会ってしまう恐ろしさが身に迫ってくるように感じた。

氷室冴子『海がきこえるII アイがあるから』

 『海がきこえる』の続編。上京した拓と里伽子の交流とすれ違い、そして「アイ」が描かれる。不倫や流産などの重い話題が話の中心にはなっているけれど、拓と彼の友人たちが放つ優しさに包まれている。拓が里伽子を慰めるときに水沼のビデオが出てくるのがとても暖かくて良かった。物語自体はかなりシンプルなのに、いたく感激した。

将基面貴巳『愛国の起源 パトリオティズムはなぜ保守思想となったのか』

 パトリオティズムを歴史的に分析し、現代日本によくある排外的で好戦的で現状肯定的なパトリオティズムは、パトリオティズムの本質ではないことを暴き出す書。フランス革命期にエドマンド・バークが、それまでのパトリオティズムの伝統とは絶縁した「保守的パトリオティズム」(伝統的な生活様式の基盤である「カントリー」への愛着からくるパトリオティズム)の基盤を作ったというのが著者の見立て。
 そもそも「パトリ」は近代的な国家のみを指すのではなく、古代ギリシャからその対象は議論されていて、時には「神の国」を指すこともあるような抽象概念であるというのは知らなかった。素直に勉強になった。
 やはりバークは「保守主義」を語る上で外せない思想家なんだなと思った。金子堅太郎のバーク需要の話は面白かった。著者は「バークを殺」して国家への献身とは異なる、普遍主義や地球全体への愛着を軸としたパトリオティズムの再構築を提唱しているが、バークのような素朴な情緒を軸とした、自国への所属意識に基づくパトリオティズムに打ち勝つのは難しいような気がする。むしろ、バーク的な情緒を軸としつつ、普遍的主義的・世界市民的なパトリオティズムへ繋がる媒介となるような思想を組み上げることを考えた方が建設的なように思う。

泡坂妻夫『ダイヤル7をまわす時』

 泡坂妻夫の短編集。読者への挑戦状スタイルの「ダイヤル7」や好事家ぶりが発揮された「芍薬に孔雀」等、幅広いジャンルのミステリが収録されている。
 印象深かったのは「金津の切符」。もはや謎解きのおもしろさよりも蒐集家の矜持が前傾化していて楽しかった。趣味人・泡坂の知識が発揮された話は面白い。

三島由紀夫『行動学入門』(文春文庫)

 三島由紀夫のエッセイ集。「行動学入門」「おわりの美学」「革命哲学としての陽明学」が収録されている。
 一見気軽な趣の読み物に見えるけれども、晩年の作ということもあって、三島が「死」に強く惹かれているように思える本。「行動の美学」や「宝石のおわり」あたりにその特徴が顕著に出ている。
 「革命哲学としての陽明学」にあった、「「野球が好きです」ということは、おおむね「野球をやること」ではなくて「野球を見ること」を意味している。これほど大衆社会における認識至上主義と、無道徳無制限の好奇心の満足を求める傾向を、明示しているものはない。」という指摘は慧眼だなと思った。

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