30歳のわたし、100歳のばあば。
こんばんは。
いつもnoteを読んでくださっているあなたへご報告です。先日、私、30歳になりました。
ありがとうね、20代。こんにちは、30代。
何ヶ月か前から、もうすぐ30歳、あと少しで30歳、などとnoteに何度も書いてきたので、一体アイツはいつ30歳になるのかな?なるなる詐欺かな?と思われていたかもしれません。本当に30歳になりました。
誕生日はお仕事でした。前日、祖母から、これ明日お昼サラダにでもして持っていきー!と渡された見切り品のレタスをサラダにしてランチに食べました。こちらのレタス、お値段なんと、30円でした。祖母の粋な計らいだったのでしょうか。
誕生日は何歳になっても嬉しいですが、歳を重ねる毎に、嬉しさの種類が変化しているように思います。
子どもの頃は、ケーキが食べられてプレゼントを貰えるから嬉しい。学生の頃は、友達がお祝いしてくれるから楽しくて嬉しい。そして二十歳頃からは、歳を重ねる度に有難みが増しています。
ひとりで大きくなったわけではないことをひしひしと感じられ、それがとても幸せなことだなと思えるので、やはり嬉しい一日です。私は産まれる時に母を散々焦らしたそうなので、その点においても感謝でいっぱいです。
父母への感謝を思うと、必然的に祖父母、曽祖父母からの繋がりを考えます。ちょうど今年は、母方の曽祖母・ばあばの誕生日にお墓参りに行きました。
その日は平日だったのですが偶然仕事が休みになり、ばあばの誕生日だなーと思ったので、祖母を誘って。好きだったという紫色のお花を持って。
ばあばとの記憶は、殆どありません。ただ、ばあばは本当に私のことを可愛がっていてくれていたんだと、祖母や母から何度も聞いて育ってきました。
私が喜ぶからと果物屋さんで買ったイチゴを持って、坂道をえっちらおっちら登ってやって来ては、「この子はええ子じゃけんな、大事に育てねぇよ。」と、何度も口にしていたそうです。私がイチゴという果物に特別を感じるのは、ばあばのおかげかもしれません。
お墓参りの帰り道、「ばあば、生きてたら何歳になったんかなあ。」と、祖母に尋ねました。祖母は自分の年齢から計算して、「100歳じゃわ!」と答えました。
ばあばの100歳のお誕生日に私の仕事がお休みになったことは、ただの偶然だったのでしょうか。それとも、記念すべき100歳を祝って欲しいという、ばあばからのアピールだったのでしょうか。
いずれにせよ、そんな日にお花を供えることができて、なんだか良かったなあと思いました。ばあばが100歳の日に、ひとりじゃなくて良かった。
ばあばとの記憶は殆どないのに、ばあばのことを教えてもらった日のことは未だに覚えています。
ある日、空に輝き始めた星を指差して、「あれがばあばよ!」と、母は言いました。ばあばは星になったんだと聞かされてから、私は、一番星がばあばなんだと信じて、ばあば!と、毎日違う星を指差していました。
いまでも、ばあばが守ってくれたんだろうなあ。と思うことはよくあります。ばあばは、シャキシャキしていて、とても働き者だったそうです。星になってからも、私たちのことを見守ってくれているから、きっと大忙しだろうと思います。
そんなばあばから繋いでもらったいまここにある日々が、どれだけ幸せで有難いのかということを改めて感じられるから、やはり誕生日っていいなあと思うんです。だから周りの人の誕生日にも、おめでとうは伝えたいです。
30歳という節目を迎えたこれからを、
周りがたくさんの笑顔で溢れるように、大切な人を大切に、丁寧に、適度に適当に、大いに笑って、暮らしたいなと思います。
もらってきた愛を、繋ぎながら。