世界は広いと言われても
世界は広い。そりゃ分かっている。
世界どころか、東京ドームですら野球を観に行く度「やっぱ広いなー」と思うし、よくある謎の「東京ドーム何個分」という例えで言うとどうやら地球は東京ドーム109億683万3千494 個分らしい。
分かってはいるけれど、
自分が人間関係やら仕事やらで悩んでいたり絶望していたりする時に、「大丈夫!世界は広い!」と言われても、
正直、私の心には1ミリも刺さらず、はぁ、としかならない。
それどころか、さらに凹むケースもある。
東京ドーム109億683万3千494 個と比べたら、私の悩みは冷蔵庫と壁の隙間くらい狭いものではあるけれど。
それでもちゃんと私の心を蝕み、小さくても、強く、強く存在し、私の心や体に影響を及ぼしているのだ。
冷蔵庫と壁の隙間でうずくまってる人に対して、隙間から顔を出した外の世界の人が「世界は広いゾォ!」と言葉だけかけても、あんまり意味がない。
むしろ、簡単な言葉で私の絶望が縮小化された気がして、ない事にされた気がして、傷付いたりするわけだ。
自分がそんな人間だからこそ、ふと考えた。
大切な人が悩んでいたり泣いていた時、助けたいと思った時、どうすれば良いんだろう。私に何が出来るのだろう。
そもそも、立ち直る時、少しでも楽になる時、きっかけがなんであれ最終的に何が大事かというと「悩んでいた本人が何を見てどう感じられるか」だ。
世界の広さを知った時、今までの悩みや絶望を小さく思えるというのは現にあるけれど
それは「世界は広いんだぽん!」という言葉だけでは実現できない。
じゃあどうすればいいのか。
「世界は広い」という事を本当に伝えたいのなら、言葉だけを外野から放り込むのではなく
悩んでいる人自身が「あぁ、世界って広いんだな。」と思えそうな瞬間を呼んであげる事、
手を取りそんな場所に連れて行ってあげたりする事、
それが本当の意味での「助け」になる気がする。
それが難しい時は、改善策をアドバイスする前に、
ただ話を聞いて、ただ側で頷いて、
悩んでいる大切な人の存在を肯定し続けたい。
そんな人でありたいし、そんな音楽を続けたい。