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限られた時間の中で,だからこそ感じられる「短さ」
『太陽と鉄と毛抜』の上演を終えてそろそろ半月が経とうとしている、今日東京ではひさしぶりにまとまった量の雨が降った。
とは言ってもスコールみたいな雨で1時間くらい、人々を驚嘆させるような雨を降らしたら真っ黒い雲はどこかへ消えいってしまった。この地で雨を降らせるのはもう飽きました、と言わんばかりに。
演劇もそんなようなものだろう。ある定められた期間内で局所的に開催される、まぁ祭のようなものだ。僕は祭が好きだから、たぶん演劇をやっているのだと思う。
祭にさまざまなものがあるように、演劇もまたさまざまだ。長く続く祭があれば、一夜にして終わってしまう祭もある。演劇も、ロングランと呼ばれる公演もあれば週末の2、3日間で終わってしまうものもある。
2、3日間の公演を「長い」と感じるか、はたまた「短い」と感じるか、時間の感覚は人によってまちまちだが、あらかじめ期間が定められていて、決して永続的なものではないという以上、それを「短い」と言い表すことは可能ではある。
終わってしまうとあっという間に感じられてしまう。だいたい1つの公演をするのにあたり、2〜3か月は準備に充てる。
『太陽と鉄と毛抜』の稽古期間は1か月くらいだったけれど、台本の構想期間、執筆期間等も含めると、2か月くらい準備に充てていたことになる。これを「短い」と捉えるか「長い」と捉えるかは個々人の時間に対する価値観の違い、に左右されるのだろうが、前述の理由で「短い」と言い表すことは可能ではある。
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