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私小説とエッセイと、日記の違い


『日本演劇思想史講義』を読んでいると、読まなくてはならない本がどんどん増えていく。



読みたい本がこんなにたくさんあって、一生を懸けても、読みきれるかどうかわからない。この状況を幸福と呼ぶべきだろうから、どんなに日常が多忙を極めたとて、本を読めるくらいの余暇は保持しておきたい。


優先度は低いけれども、三島由紀夫『仮面の告白』は読まないといけない。避けて通れない。同様の理由から『金閣寺』を読んだが、自分はあまり三島を好まない。前々からそう想っていた。それはくつがえらない。


三島は同性愛者でしたが、同性愛を仮面というフィクションを通して自ら劇化して内面を吐露していった。「仮面」は三島のキーワードのひとつであり、一種の偽装です

西堂行人『日本演劇思想史講義』


この点は自分の創作論と似通う。


日本の小説の伝統は私小説です。自分の生活とその延長の人間関係を描く。これが日本の私小説の伝統です

西堂行人『日本演劇思想史講義』


日本の文学の根元にあるものは平安時代から継続される日記文学であると思う。だから、自分はこのようにせっせと日記をしたためている。


ただし、日記には事実だけを書かないといけない、という取り決めはどこにもない。とりとめもないことを書くから日記なのだ。事実の身を事務的にしたためたものは日記ではなく、日誌になる。これは日記よりも実際的で実用的です。


先ほど、とりとめのないことを書くから日記なのですと言った。これはどういうことだろう? もう少し掘り下げて見る必要がありそうだ。


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宮澤大和
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。