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子供はママを幸せにするために、産まれてくる。
体内記憶を持って生まれる子供が、一定数いるという話を聞いたことがありますか?
6000人の子供達に体内記憶について聞いてきたという絵本作家さんがいるのですが、彼によると大抵の子供は「ママを喜ばせるために産まれてきた」、のだそうです。
だけどそれは残念ながらストレートな形では行われなくて、すごく不器用な感じで行われことが多いよう。笑
例えば、今までずっと自分を押さえて生きてきて、理不尽なことがあっても怒ったりキレたりできなかった人のところに来る子供は、めちゃくちゃ暴れん坊だったり悪ガキだったりする。
ママが思いっきり怒るという体験ができるよう、感情を表に出せるようにしてくれるんですね。笑
あと、よく男の子が意味なく「う⚪︎こ!」などと連発するのは、ママを笑わせたいけどどうすればいいかわからないからそういう方向に走ってる、ってことなんだって。😂 だから笑ってあげましょう。
ちなみにうちの次男(19歳)は、いまだにそのての言葉を発してます。なぜかそれだけは日本語で。笑
いろんな意味で迷惑だったりするけど(笑)、「あぁ、これもわたしを喜ばせるためにしてくれてるんだ…」って思うと、なんだか可愛くなったり、怒りがおさまったりしませんか?
わたしの場合はどうだろう?育児の過程で子供はいったいわたしに何を伝えてくれただろう、って考えてみた。
わたしは父親の愛情をあまりもらえずに育ちました。誕生日やクリスマスプレゼントは一度ももらったことがないし、なんならおめでとうって言ってもらったこともない。父が本当に気が向いた時、遊んでもらった記憶は数回だけ残ってるけど、一番の記憶に残っているのはキレて怒る高圧的な父親の姿。
父は人の感情は読めないけど勉強はできたようで、一流と言われる外語大学に進学し、英語とスペイン語を話せる人でした。彼が大学を卒業したのはもう60年以上も前の話で、当時英語とスペイン語を話せる人は、かなり貴重だったはず。
せっかくそんなすごいスキルがあるのだから、普通ならなんとかそれを子供にも教えてあげたいって思うはずだけど、父に関しては一歳そんな気持ちはなく、教えてもらった記憶はもちろんないし、教えようと思ったことすらないと思う。
小さい時に英語やスペイン語を教えてもらっていたら、どんなによかったかって思うことがよくありました。そして、教えようなんて言う気はさらさらなかった父に対して、「全然愛してくれなかった。全然わたしの将来のことなんて考えてくれなかった。」と、恨みのような気持ちが、わたしの心の中でずっと静かに燻っていました。
その後わたしは、縁あってアメリカで子供を産み、彼らの日本語教育に必死になりました。わたしの人生の中で、一番頑張ったことは子供達の日本語教育!だって思っているくらい、意地になって。
自分がして欲しかったけどしてもらえなかったことを子供にしてあげることで、自分自身のインナーチャイルドが癒されていく感覚は常にあったけれど、日本語の教育に関しても、まさにそれだったんだろうなぁって… 今朝シャワーを浴びている時にそんなことにふと気がついたのでした。
(わたしの場合は英語で、逆にうちの子供たちは英語が第一言語なので、それが日本語になったということ)
あぁ、そうか、そうだよねぇ。だからわたしはあんなに意地になり、がんばったのか。
そうやって気づくことで、またさらに自分自身が癒されていくような感覚があって、すこし涙がでました。
癒しは心の傷に気づいて向き合うところから、始まります。自分の寂しさや悲しみなどの感情に気づかなかったり、みてみぬふりをしている間は癒されないのです。
アメリカで、そして家庭で日本語を話すのはわたしだけという環境での日本語教育は相当大変で、特に次男はやりたくないことはガンとしてやらないというタイプの子だったから、本当に手こずりました。日本語補習校の宿題を一緒にやりながら、毎日怒ったりなだめたり、時には感情が爆発して泣いたり… 毎日感情のローラーコースターに乗っているよう。それが軽く10年以上もの間、続いたわけです。
でも諦めたから将来子供もわたしも後悔することがわかっていたから、諦めずにできる限りのことをとにかくやり続けました。
自分でもあれは本当によく頑張ったと思う。
人生であんなに頑張ったことは他にない。笑
(根気のあるタイプでは決してないので)
そして、子供たちはもう大人に。決して日本語がぺらぺらと胸を張って言えるレベルではないけど、それでも日常会話で話していることはなんとかわかるし、アメリカ人の友達に、「日本語は話せるの?」って聞かれた時に、”Yes”と答えられる程度には育ちました。
今子供達自身が、「日本語を話せてよかった」と心から思っていることは、言われなくても伝わってくるし、わたし自身も「ほらね、ママの言うことは正しかったでしょ!日本語勉強してよかったでしょ!感謝してよね〜!」と、非常に満足感を感じています。笑
自分がして欲しかったことを子供達にしてあげることで、自分自身が癒されていく…
日本語教育も、子供達のためというより、自分のインナーチャイルドを癒すための過程だったのかもしれません。
もっと早くにこれに気づいていたら、あの時もう少し子供達に優しくできたかもしれない。笑
みなさんも、お子さんに手こずった時には、「いったいこれは自分に何を教えようとしてくれてるんだろう?」って、深呼吸して考えてみてください。きっとそこから何かしらの学びがあるはずです。