多様性を重んじるとは
「我が社は多様性を重んじております。」
「多様な人材を!」
多様性……。
最近よく耳にしますよね。
個人的には、多様性を重んじることってすごく
重要だと思っています。
さまざまな価値観や生き方、個性を認め合うことで、世界は輝きを増していくのではないでしょうか。
ひとりでは、似たような者同士では、
浮かばなかったアイデアが生まれることは、
きっと社会にとってもプラスになるはずです。
あ、別にすごいこと(すごいことってなんだ)をするときに限らず、おそらく、あなたも誰か他の人と意見交換をした結果、何かを生み出したり、新しい考え方ができるようになったりした経験ってありませんか。
それって、とても尊いことですよね。
誰かの言いなりになるということでも、
誰かを言い負かすということでもなくて、
「広がる」という感じ。(語彙力……)
あと、ついでに言っておくと、別に「多様性」というのは、人と人の関係だけに留まらないとも思ったりもします。
また、私のように社会との乖離を感じて生きている人間(この点については後日改めて語りたい)にとっては、自分を認めてもらえることが生きる力になったり、(ならなかったり)します。
だからと言って、何をしても良いというわけではないですが。(ここらへんは今回は割愛させて下さいネ)
私には説得力がありませんが、多方面から「多様性」という言葉を見聞きする中で、その概念自体に悪い印象を抱く人ってあまりいない気がします。
むしろ、「多様性スバラシイ」とか、「これからは多様性の時代である」というように感じる人が多いのでは。
だからこそ、「多様性」という言葉がここまで広がってきたのだと思います。
そのこと自体には、何の意見を言うつもりもありません。もっと広がっていけ〜と願っています。
しかし、その流れだけに乗って、「多様性」を謳うのは安易な発想ではないのでしょうか。
「多様性」という言葉を飾るけれど、それは見せかけの「多様性」ではないのかと感じるときがあります。
それっぽく見えるけど、実際のところどうなんだろうと……。
例えば、「ウチは多様でグローバルだから」と言って、外国人ばかりを雇うとか
(実在するかは知りません。不快な思いをさせてしまったら申し訳ございません。)
もちろん、人として同じ人は誰一人としていないはずなので、違う人同士が集まるだけで多様と言えば多様かもしれません。
しかし、多様というのは別に、国籍とか、性別とか、学歴とかそういう書面に表される形式的なものだけではない気がするのです。
「個性を尊重した結果、たまたま集まったのがこのメンバーでした」というのならわかる。
しかし、「多様性だ、多様性だ!」→「よし、(優秀な)外国人をいっぱい雇おう!」→「これで我が社もグローバル企業だ」→「おぉ、色んなアイデアが湧いてくる〜」となったりするのは、なんか違うぞと思っちゃうんです。
もちろん、異文化に触れることはとても貴重なことだと思います。価値観などに刺激を与えてくれると思います。(実は私も大学時代に学んでいた。)
やあ、でもさ、「多様性」ってそういうこと?
「個体としての個」ではなく、「個性としての個」を見てほしかったという話。
好き勝手に語っているけれど、まだまだ勉強不足。
不適切な表現や配慮不足によって不快な思いをさせてしまったら、ごめんなさい。
「君こそ、考え方が偏ってるな」と思ったかもしれませんね。
しかし、これが今の私の現実。
自分の手が届く範囲の狭い世界で生きているのです。
私自身も良い意味で変わっていけるように、広い広いネットの海に投げておきます。