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自分の意見を言うのはエネルギーがいる話

こんにちは、アラサーOLきよこです。

以前「自己主張する女性は気が強いと言われやすい気がする話」を書いたのですが(タイトル長すぎ)、そこで仕事だから自分の意見を述べてるんですということをお話しました。

今でこそ気が強いなんて言われることもありますが、元々自分の意見をはっきり言えるタイプだったわけではありません。

そういう人に憧れて、自分もちゃんと意見を言えるようになりたい!とは思っていましたが。(そう思うと言えるようにはなったけどなんか理想と違う…苦笑)

これだけnote投稿している人が何言ってるんだと思われるかもしれませんが、noteは自分の思考の視覚化、具現化に近くて、意見を発信している感覚とは個人的にちょっと違います。

noteを書き綴ったところでなんの影響力もない、という点が一番の違いでしょうか。

先日YouTuberゆきりぬさんのこんなツイートを見かけて、自分が大学生の頃のことを思い出したのでその時の気持ちを書こうと思います。

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私は中学から大学生くらいまで、自分の本当に言いたいことがうまく言葉に出来ない時に黙り込んでしまって、親から色々聞かれてなんとか喋ろうとしてはよく泣いていました。

「黙っていたら分からないでしょ」とよく言われました。全くもってその通りです。

うまく言葉に出来ない理由は色々だったと思います。

自分でも気持ちが整理出来ていなかったり、相手と意見が違うとき、それを言うことによって相手に嫌な思いをさせないかと考えてしまったり、自分の意見が正しいと思いきれなくて怖かったり。

普段は別に物静かというわけでもなく、お昼はパスタがいい!とかそういう大したことないことは全然主張できるのです。

なのでそうやって内に抱え込んでいる感情があることは、友人からは気づかれていなかっただろうと思います。

そういう日常会話ではなく、例えば進路のような、大事だけど周りや親の様子を見て本当に言いたいことが言えない、というような時に多かったと思います。

何故泣いてしまうのか、この感覚を説明するのはとても難しいのですが、普段鍵をかけてる自分の心の中の柔らかい部分から、どうにかこうにか思いを振り絞って言葉にしようとすると、涙がこぼれてしまうのです。

相手の思いを想像すると言いたくない、言わなければ平和に終わる、でも本当の私の思いは違う、聞いてほしい、でも怖い、そんな混沌とした感情です。

時折、頼まれたら断れない人、いらっしゃると思います。断りの言葉って伝えるのにちょっとだけ抵抗感ありますよね。相手に都合が悪そうなことを言うのって勇気がいります。

それを1億倍くらい拡大した感じでしょうか。

その後、社会人になってからは、意見を言わなければいけないことが強制的に増えて鍛えられたためか、意見を言うときに泣くことはなくなりました。

でも今でもこれが相手にとって不快じゃないだろうか?と思う時、自分の意見が正しいか分からないけど何か言わなければいけない時、とんちんかんな発言してないだろうかと不安な時、凄くどきどき緊張して声を振り絞りながら話すこともあります。手も震えます。

話すことが凄く得意なわけじゃないので、アラサーになっても未だに打ち合わせで喋る内容を紙に書いておいたりすることもあります。

(なんかまたちょっと繊細さん思い出しました。)

こういうささやかな感情って外側からは分からないので、他人から見たら単純に「この人情緒不安定なのかな」って思われてしまうかもしれません。

でもそういう人もいるのだなとなんとなく知っておいてもらえるだけで救われる人もきっといると思います。

私は引き続き新人のようなトレーニングを繰り返しながらなんとかOLしていこうと思います。

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