長瀞(ながとろ)の岩畳
先日、黒福豆の甘納豆を頂きました。
大変美味で、どこのだろう?と製造地を見ると、埼玉県秩父は長瀞。
瀞が「とろ」と読めませんでした。
頂いた方に尋ねると、長瀞はいいところだからおいで、と。
じゃあ行ってみる。
車で2時間半くらい。
到着。
川の水が深くて流れが静かなところを、瀞(とろ)というそうです。
川が抹茶オレのような色をしているのは、淀んだ瀞だからなのですね。
名物はミルフィーユ状になった石畳。
長瀞は、九州までおよそ840km続いている、三波川帯(さんばがわたい)という地質のほぼ東端です。
約8500万年~約6600万年前(中世代白亜紀)にプレートともに地下20~30kmの深さに引きずりこまれ、大陸の重さと、地下からの圧力(6000~7000気圧)と熱(200~300℃)によって、結晶片岩(地下深部で再結晶した岩)ができました。
石畳は、結晶片岩が地上に現れ、荒川の流れによって侵食されてできた河成段丘です。
地下深くの岩石を地表で観察できるため、「地球の窓」と呼ばれているそうです。秩父は地質学発生の地なんだとか。
石畳の間に、このような沼が48個あります。
荒川が堰き止められてできたんですね。
ここで着物生活普及活動。
着物は木綿のアンティークで、帯は木綿の兵児帯をパタパタ結びに。
半襟はあじさいのふきん(100円)で手作りしました。
どれも洗濯機でじゃぶじゃぶ洗えるので、汚れても平気です。
私が車を運転すると言うと、「え? popoさん、車運転できるの?」とよく言われます。もう100%に近いくらい。
そのくらいどんくさいおしとやかに見えるらしいです。
岩の表面が、グラニュー糖のように白く、あるいはサンマの背のように青く、キラキラして見えるのは、結晶片岩だから。
結晶片岩はパイ生地のような細かい層になっていて、剥離しやすいです。
剥離した細かい破片がたくさん落ちています。
写真ではわかりにくいですが、キラキラしています。
螺鈿の材料になりそう。
石を拾っています。
私の中のアーティスト・チャイルド発動中。
石が可愛い、可愛いったらない。
あとで夫が「popoの写真を撮ろうと思うと、いつもしゃがんで石を拾っていた」と言っていました。
もし袋を持ってきていたら、何時間でも石を拾いたかったです。
石を拾いながら、
石に絵の具で模様をつけたい
と思っていました。
ただ、日傘も、日焼け止めクリームも、持ってくるのを忘れてしまったのです。
着物は後ろの襟があいているので、背中がジリジリ暑い。
岩畳から長瀞駅まで、200メートルくらい、お店が続いています。
友人たちへお土産を買ったpopo。
黒福豆の甘納豆を目当てに行ったものの、それは買わなかった。
なぜなら賞味期限が短かったから。
秩父鉄道「長瀞駅」。可愛い。
機関車が通って、みんな写真を撮っていました。
煙が真っ黒でかっこよかったー。
鉄道ファンの皆様、こんな写真でごめんなさい。
御当地車両。
春はポピーで、秋はコスモス。
家に帰ると、石を洗いました。
見て! きれいでしょ。
これなんか、箸置きにちょうどいいし。
これはうさぎさんかぽっくりみたい。
こちらは小さな石の欠片バージョン。
こうしてみると、石器みたいじゃないですか?
郷土資料館や博物館など、古代から順番に展示されていることが多いです。
すると入ってすぐは旧石器時代※。
石はそのへんにゴロゴロしているから、いくらでも手に入る、そんなふうに思っていました。
ところが、どんな石でも石器になるわけじゃないし、石には石の特質があり、その特質を生かした技術が使われているらしいんです。
(そんなの当たり前、と硯研究家のめばるさんに呆れられそう)
これ、薄いでしょ?
ちょっと削ったら刃物になりそう。
前述した通り、結晶片岩はパイ生地のような細かい層になっていて、剥離しやすいです。
こんな脆いタイプを、石器に使うわけはないけれど、叩くとある方向に割れるとか、ある形に割れるとか、石にはそんな特性があるらしいので、割ってみました。
考古学者は、発掘した石器を、ジグソーパズルのようにつなげあわせてみるそうです。
うまくいくと、元の石の形を再現できます。
すると、石器時代の人たちは、ひとりひとり好きに石器を作っていたわけではなく、彼らが属する集団の伝統に従って、共通の方法でつくっていたことがわかったそうです。
さらに。
ある石がジグソーパズルによって、半分まで復元され、残りの半分が、他の場所で発掘されることがあります。
つまり集団が、残った石を持って、移動したんですって。
それくらい、1つの石を大事にしていたんですね。
そのへんにごろごろしているなんて思っていて、ごめんなさいでした。
拾ってきた石は、まりもちゃんの瓶に入れました。
ビー玉くらいのまりもちゃん、10年以上経っているのに、ぜんぜん成長しません。どこにいるかわかりますか?
※旧石器時代。
旧石器時代ー中石器時代ー新石器時代、という言い方は、ヨーロッパで生まれた時代区分であり、その後、青銅器時代ー鉄器時代と続きます。
しかし日本では、縄文時代ー弥生時代ー古墳時代という区分を用いており、その前に新石器時代をつなげると、縄文時代と重複するので不適切だとか。
なので先土器時代ー縄文時代ー弥生時代ー古墳時代とするのが合理的なのだそうです。
文化庁や博物館では、旧石器時代ー縄文時代ー弥生時代ー古墳時代としているようです。
次回は和同開珎に使われた、和銅発掘現場からのレポートを投稿する予定です。
<参考資料>
秩父ジオパークwebサイト
https://www.chichibu-geo.com/
文化庁「解説 発見された日本列島2020」vol.1 新発見考古速報
https://www.youtube.com/watch?v=Kt2PYNUKJoc
白石太一郎『考古学と歴史』放送大学教育振興会 2004年
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