江口敬写真展『二つの部屋』
9月27日(金)
相互フォローして頂いている、写真家・江口敬さんの個展へ行って来ました。
新幹線に乗って、福島まで。
展覧会に行く前に、kimura noriakiさんの記事を予習しました。
なぜなら、1つ不安があったからです。
噂によると、江口さんの写真にはキャプションがないらしい。
わたしは江口さんの思想を、写真だけで理解できるのだろうか。
写真に言葉は必要ですか?
ふむふむ、その通り。
kimura noriakiさんは、言葉は写真を見る時の助走になるとおっしゃいます。
ふむふむ、その通り。
そこで私は江口さんのnoteはもちろん、XやInstagramも拝見し、情報を得よようとしました。
江口さんは、決して多くは語っていませんが、手がかりはなんとなく掴めたような気がします。
江口さんが、多くを語らないのは、思想は無限なのに、言葉は有限だからでしょう。
kimura noriakiさんによれば、言葉は、見る人の背中を押してくれるそうです。
はい、私は十分に背中を押してもらいました。
よしんば、私が江口さんの思想を汲めなかったとしても、私には私の江口作品があればいい。
そう自分を勇気づけて、福島まで行ったのでした。
そして、その通りだったんです。
私は私の感性で江口作品からたくさん感じ取り、たくさん学びました。
以下に私の感じ方を備忘録として記したいと思いますが。
その前に、簡単にギャラリーの説明をさせてください。
通常”写真展”と呼ばれるものとはおおいに違うからです。
まず、作品は、壁ではなく、床に置かれています。
額縁も数点ありますが、引き伸ばされプリントされたものが、直に置かれています。
現像したそのままではなく、さまざまな方法で加工されているため、写真の枠に留まらない、もっと広い意味のアートになっています。
デジタル作品であり、グラフィックデザインです。
写真というのは撮るだけでなく、ある意味、印刷技術でもあるのですね。
さらにnoter 猛ふぶきさん(詩人:鬼りんごさん)の詩と、
福島市ご出身・ご在住の音楽家である齋藤浩二さんによるBGMが、三位一体になっています。
ご想像して頂けましたでしょうか?
では、ひとつ目の扉「Entropy」を開けます。
江口さんのご説明「よく見ると桜」
ほんと!
「万華鏡のように」
たしかに!
異国情緒があり、遠くから見ると更紗のようですが、光が透過しているため、細胞を顕微鏡で覗いたようにも見えます。
重なり合った花と枝は、幾重にも立体感があり、まさに万華鏡の世界。
遠くから見る、近くから見る、でも表情が変わります。
点の集合で絵を表現する印刷技法「網点印刷」
解像度を変えた作品が、横並びに展示されていました。
絵でもカミーユ・ピサロやシスレーは点描で描きました。
もし、私たちの見ているものが、あるいは自分の身体が、点の集合なら?
量子力学の世界。
今のところ、この点々すなわち粒子は範囲内にとどまっているため、つまりエントロピーが低い状態にあるため、形があります。
でももし、エントロピーが増大したら?
江口さんのグラフィック作業は、分解と再構築を繰り返しているように見えます。
辿りつくのは、形の不確かさ。
ふたつの目の扉「What is beautiful?」を開けます。
こちらはリーフレットにもなっているマネキンです。
ショーウィンドウ越しに撮影されたそうで、マネキン本体と窓ガラスに写る外の光景の重なり具合が絶妙です。
西洋的なレトロ美人は、髪の毛がないことが剃髪を想起させるのか、いよいよ神々しい。
そう申し上げると、江口さんいわく、この部屋を礼拝堂のように見立て、ご本尊のように配置したそうです。
なるほど、洋服の透かし模様も瓔珞のようですね。
本来の機能から言えば、髪の毛のないマネキンは、壊れているもしくは未完成です。
このお店も、もしかしたら経営不振で追い込まれたお店かもしれません。
それなのに美しく見えるのはなぜ。
私は江口さんが撮った写真の、ここには展示されていない、noteで発表されている写真を含めて、この次どうなったんだろう、ということが大変気になります。
江口さんがパーフェクトではないものを撮っているからかもしれません。
壊れていく途中なのか、創り上げていく途中なのか。
置かれているものなのか、忘れ去られたものなのか。
捨てられた、あるいは風で飛ばされてしまったブルーシート。
言ってしまえばゴミなのに、なぜ美しいと思うのでしょう。
江口さんいわく「本来なら自然破壊しているもの」です。
人が生きるということがすでに自然破壊、とすれば。
美しい写真によって、贖罪が成就されたように思うのかもしれません。
突然伺った私を、江口さんは暖かく迎えてくださいました。
質問すると、丁寧に答えてくれます。
それでも、有限な言葉よりも、感性は無限なんだと訴えてくる作品群でした。
二つの部屋を見てきました。
一つは「光と色彩の部屋」、もう一つは「暗がりの部屋」ですが、よく言われる「光」と「影」の対比ではないようです。
それぞれが、明るさのグラデーション、暗さのグラデーションです。
「光と色彩の部屋」は、光の粒が、明度ではなく彩度として捉えられている、明るすぎない部屋です。
「暗がりの部屋」は、人の営みによる無意識の罪悪感を救済する美しさを抽出した、暗すぎない部屋です。
いずれの部屋も、窓から差し込む陽光によって、表情が変わります。
私が訪れたのは、お天気のよい日でした。
同じく相互フォローして頂いている、つう先輩の記事はこちらです。
つう先輩はギャラリートークにご参加されたそうで、羨ましい。
またギャラリートークの様子は、江口さんの記事のコメント欄に、猛ふぶきさんが素晴らしいコメントを寄せていらっしゃいます。
鬼りんごさんの詩もクローズアップされています。
齋藤浩二さんHPです。
<カバー写真>
撮影・作品制作:江口敬さん
最後までお読み頂きありがとうございました。
江口さん、本日最終日、長い間お疲れ様でした。
ごゆっくりご養生ください。
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