写仏部作品No.17 『金戒光明寺 五劫思惟阿弥陀仏』
dodoさんが、金戒光明寺の「五劫思惟阿弥陀仏」さまの写真を撮ってきてくださいました。
五劫思惟阿弥陀仏さま「アフロ地蔵」は2度目の登場です。
dodoさんはいろいろな角度から撮ってくださって、大感激でした。
通常、仏像を撮るときは、一番美しい、一番かっこいい、と思う角度から撮ろうとするのではないかと思います。
ですから、写真集やネット画像は、同じ角度であることが多いです。
dodoさんのおかげで、「後ろ側はこうなっているんだ」「耳はこうなっていたんだ」と新たな発見がありました。
以下、dodoさんの記事から写真をお借ります。
このように、あらゆる角度からの写真を、21枚も!
撮影中、頭をぶつけてしまったそうです。
石なのでさぞかし痛かったかと思います。
そんな痛い目にあってまで、どうもありがとうございました。
おつきあいくださった愛輪シャド子さんにも、謹んでお礼申し上げます。
たくさんある写真を拝見するうち、これってキュビズムみたい、と思いました。
キュビズムは何がすごいの?
絵画の技法を根本的に変えたところです。
これまでは、ある一点から描かれていました。
いわゆる一点透視法ですね。
遠近法を正しくできないと画家になれない、と言っても過言ではなかったと思います。
でも現実には、ある一点からずっと見るわけではありません。
あっちから見たり、こっちから見たり、上からも下からも。
多角的にとらえて、それを1枚の平面に描くと…、目はこっち向き、鼻はこっち向き、そんな絵ができてしまう、それがキュビズム。
伝統的な技法から離れることで、今で言う抽象芸術が誕生しました。
つまりキュビズムは抽象芸術の原点なんですね、そこがすごい。
伝統的な正しい技法が瓦解したら、なんでもあり。
そう、なんでもあり、になったんです。そこがすごい。
キュビズムという言葉が生まれたのは、ジョルジュ・ブラックの個展でした。
「彼は景観も人物も家々もすべてをキューブにしてしまう」と批評されたことから始まりました。
『レスタックの高架橋』 1908年 ポンピドゥー・センター蔵
キュビズムは、
”対象のすべてをいったん立方体にして再構成する”という狭義の意味と、
”一点透視法を打破する美術運動”といった広義の意味を持っているのではないかと思います(私見)
キュビズムを始めたのはピカソとブラックですが、概念はそれより前に、セザンヌが提唱しました。
そのためセザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれているのですね。
お皿の角度がまちまち、白いクロスのシワのよりかたが間違っている、りんごが落ちそう。
この不安感は、視点が定まっていないことによるものです。
『りんごとオレンジ』1880年 パリ・オルセー美術館蔵
ピカソとブラックによって成立したキュビズムは、「美術界のはしか」と呼ばれるほど、多くの画家が影響をうけました。
そんな中で、変遷を重ね、細分化していきます。
フェルナン・レジェ『婚礼』 1911-1912年 ポンピドゥー・センター蔵
というわけで、dodoさんが撮影してきてくださった五劫思惟阿弥陀仏。
いろいろな視点から見たさまを、1枚の紙に描いてみました。
(これがキュビズムなのかどうかは、わかりませんが)
『東大寺の写仏について』には
ありのままのご自身を素直に表現して下さい。
と書かれていると、つう先輩が教えてくださいました。
私からdodoさんへの、インスピレーションを素直に表現したありのままの応答です。
dodoさん、つう先輩、ありがとうございました。
ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。
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