高幡不動尊金剛寺
写真がすごく多いので、文章少なめです。
(を、こころがける)
「高幡不動尊 金剛寺」は、成田山新勝寺とともに関東三大不動の1つで、新選組・土方歳三の菩提寺としても有名です。
平安時代初期に、慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって高幡山の山中に「不動堂」を建立し、「不動明王」をご安置したのが始まりだそう。
安永8年(1779)の大火で数多くの寺宝を焼失しましたが、それでも約20000点の文化財や寺宝が今に伝わっています。
ただいま「あじさいまつり」を開催中。
およそ200種類のあじさいが、合わせて17500株とか。
行ってみました。
仁王門 重要文化財 室町時代
ここから入ります。
左右に立ってらっしゃる仁王尊も、室町時代の作です。
網があってうまく撮れていませんが。
水舎
不動堂 重要文化財 鎌倉時代
東京都最古の文化財建造物です。
この中にいらっしゃるご本尊不動明王像は、真に迫っていますがレプリカです。
奥殿
こちらの中に本物の不動三尊がおられます。
建武2年(1335)8月4日の嵐は、大木を根底から引き抜くほど強烈で、ご本尊も諸尊も、建物ごと、大木の下敷きになって大破してしまいました。
その後、今の場所に移して、7年後の康永元年(1342)に再建しました。
不動明王像 重要文化財 平安時代
像高は285.8cm、重さは約1100キロで、古来日本一と伝わっています。
室町時代には「汗かき不動」として多くの戦国武将に崇拝されていました。 なぜ「汗かき不動」かと申しますと、修復のときに塗られた漆のせいで、お顔がつやつやしていたからです。
矜羯羅童子像と制多迦童子像 平安時代
矜羯羅童子(右)は像高191cm、制多迦童子(左)は像高230cm。
大きな不動明王は全国にいくつかありますが、脇仏の童子像がこんなに大きいのは珍しい。
『奥院』には、もともと大日堂の御本尊だった大日如来像もいらっしゃいます。
像高83cm、木の素地が現れ、痛みは激しいけれど、たいへん優美。
上杉堂 上杉憲顕のお墓です。
と書かれていますが、いくつかの資料にあたったところ、確認できませんでした。
下野足利で戦死したとか、老齢で亡くなったとか、静岡にお墓があるとか。
自刃した、という説はゼロ。
写仏(?)した仏像さまのペープサート?
山門
ここが一番、風情がありました。
大日堂
高幡山の総本堂です。
龍の下で手を叩くと願い事が叶うという鳴り龍があります。
本堂の真ん中の24畳ある天井に、龍の画が墨で描かれています。
その真下に立ち、手を叩くと「びょーーーーん」と響く音が、願いを叶えてくれる音なのだそうです。
水琴窟
名前はよく聞くけど…、
音が鳴る原理は「ヘルムホルツ共鳴」
口の細い瓶に、ふーっと息を吹きかけると、「ほーー」とか「ぼーー」みたいな低い音が鳴ります。
でもその原理がどう応用されているのか、下図を見てもわかりません。
雫がぽちゃん、と垂れる音が増幅されるのかしら?
稲荷社
にこにこ地蔵
虚空蔵菩薩像
虚空、すなわち宇宙のように、無限の知恵と慈悲を持った菩薩さま。
十三参りの仏様ですね。
「十三参り」は、4月13日に、数え年13歳を迎えるお子さんが、知恵の菩薩「虚空蔵菩薩」さまへ参りして、知恵や福徳祈願することです。
数え年なので、小学6年生。
武士の時代なら元服にあたる歳ですね。
五重の塔
昭和になってから満5年の歳月をかけてつくられた新しい塔。
高さ45m、、平安様式の「三手先(みてさき)組物」を模した美しい塔です。
三手先組物とは。
山内八十八ヶ所巡拝コースへ
1時間くらいで、四国八十八ヶ所霊場を回るのと同じご利益があるそうです。
着物生活普及活動です。
一見すると菊模様のようですが、
あじさいなんです。
帯留めは、手作りのあじさい。
カメラフィルムの蓋に布を貼って、刺繍しています。
結局2000字を超えてしまいました。
長い記事を最後までご覧頂き、ありがとうございました。
<参考資料>
高幡不動尊金剛寺ホームページ
https://www.takahatafudoson.or.jp/