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深大寺 釈迦如来倚像
所在地」東京都調布市深大寺元町5-15-1
指定:大正2年(1913)旧国宝
指定:平成29年(2017)9月15日 国宝
アクセス:京王線府中駅からバス「深大寺入口」下車
訪問日:2024年6月16日
深大寺は東京都では浅草寺に次いで古いお寺です。
創建は733年の天平時代。
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山門
山号は浮岳山(ふがくさん)
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手水舎
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深大寺の名称は、『西遊記』でおなじみの玄奘三蔵を守護した水神「深沙大王」に由来するそうです。深沙大王は西遊記の沙悟浄(さごじょう)です。
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天平5年(733)、法相宗の寺院として開創されますが、平安時代の859年に天台宗になりました。
本日のお目当ては国宝の「釈迦如来倚像」、通称「白鳳仏」。
関東の寺院所蔵の仏像としては、鎌倉大仏に次ぐ2例目の国宝です。制作年数は鎌倉大仏より約500年古く、東日本最古の国宝仏。
奈良では見慣れていると思いますが、東京都に白鳳仏があるのは、珍しく、ミステリーとも言われています。
立像でも坐像でもない、椅子にすわり、両足を前に垂らしたお姿の倚像。
全高83.9㎝、坐高59.3㎝の金銅仏です。
写真撮影は禁止ですので、深大寺ホームページからお借りしました。
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若々しい、瑞々しい、麗しい、清明。
この像に見る童顔は、朝鮮新羅や、中国の北宗・北斉の仏像に源流が辿られます。
ぎゅーっとしたくなる。
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明治42年に発見されるまで、須弥壇の下に押し込まれて、埃まみれだったそうです。
発見したのは、当時東京大学の助手であった柴田常恵氏。
おそらく法相宗だったときのご本尊だったのだろう、と。
痛ましい話ではありますが、長年暗所にいらしたため、保存状態が良いのかもしれません。
2006年のX線分析では、何度か火災にあったこと、唇が赤かピンクに塗られていたこと、金泥で塗られていたことがわかったそうです。
右側に奈良・新薬師寺の香薬師さま、左側に兵庫・鶴林寺の聖観音さまがお立ちになっています。
いずれも白鳳仏の代表作で、お身代わり像とされるレプリカ像。
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右側。奈良・新薬師寺の香薬師像(重要文化財)
亀井正一郎氏が『大和古寺風物誌』の中で、深大寺の釈迦如来倚像と、新薬師寺の香薬師像は、兄妹のように似ていると述懐しています。
昭和18年に盗難にあい、いまだ行方不明、「伝説の白鳳美仏」とつたわる仏像です。
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https://x.com/NihonBijutsushi/status/1760511785961152774
左側。兵庫・鶴林寺の聖観音立像(重要文化財)
鶴林寺(かくりんじ)は聖徳太子ゆかりの古寺。
この仏像を盗んだ泥棒が、金銅仏なら溶かしてひと儲けしてやれと、ノミをいれようとしたところ「あいたた」という観音様の声が聞こえ、恐れ入って像を返したとの伝説から「あいたた観音」とも呼ばれています。
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https://x.com/j_butsuzo/status/599485282358927360/photo/1
白鳳仏である釈迦如来倚像がなぜ関東にあるのかは、議論中です。
中央で作ったものを持ってきたのではないか、という説と、当時、武蔵野にも高麗人が移り住んでいたから、現地でも作れたのだろう、という説。
法隆寺の「夢違い観音立像」や上記の「銅造薬師如来立像」と同じ工房で鋳造された可能性も指摘されています。
奈良・法隆寺の夢違い観音立像(国宝)
悪夢を吉夢に変えてくれるそうです。
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https://shizubi.jp/exhibition/140614_02.php
さて。
他のお堂も拝見したいのはやまやまですが、目的は果たしたので、大人の事情により帰る時間になりました。
1体の仏像さまで大満足。
あと1週間は大満足が続きそうです。
境内で気になったのは、写真ほぼ中央。
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拡大すると…、「角大師」(つのだいし)。
良源が夜叉の姿に化けて、疫病神を追い払ったときの姿です。
なぜ良源かと言いますと、深大寺中興の祖だから。
良源は別名元三大師で、このほうが通りがいいかも知れません。
このとき、法相宗から天台宗になったんですね。
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このお姿は、厄除けの御札として古くから伝わっています。
良源が厳しい修行にあけくれ、読経三昧を続けていたとき、悪鬼・邪気があの手この手の妖術をつかって邪魔をしに来ました。しかし良源は断食して瞑想を続け、やせ衰えて、ついには骨と皮だけになりました。
そのときのお姿が、この夜叉なのだそうです。
参道をさくっと散歩して、駐車場に向かいます。
不動滝
国分寺崖線を利用しているのかしら?
あ、地理には疎いので触れないでおこう。
矜羯羅童子と制多迦童子に比べると、中央の不動明王(と思われる)は動きが乏しい。
製造年がちがうのかしら。
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鬼太郎茶屋
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父の日だったので、娘たちがランチをごちそうしてくれました。
Eijyoさんから、そろそろ家族写真を、というリクエストがありましたので、夫といっしょに(娘たちは掲載NGでした)。
夫からは許可を取っていませんが、たぶん平気。
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<カバー写真> 元三大師堂
元三大師は18代天台坐主、良源(りょうげん)の別名です。
正月三日に亡くなったことから、元三大師と呼ばれています。
こちらのご本尊は、鎌倉時代に作られた「元三大師像」で、立派なものらしいのですが、今回は時間の都合で拝顔できませんでした。
いつかまた行きたいと思います。
<参考資料>
深大寺ホームページ
https://www.jindaiji.or.jp/
調布市ホームページ
https://www.city.chofu.lg.jp/index.html
長沢利明著『西郊民族談話会 民俗学の散歩道14 角大師と豆大師』2012年