文豪たちの関東大震災
大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災から、101年。
関東大震災に関して書いた、当時の文豪たちのエッセイを覗いてみました。
寺田寅彦氏は、私のもっとも好きな文筆家のひとりです。
本業が物理学者だからか、科学の視点が入っているところが魅力的。
振動の一番最初を
そうです。
喫茶店にいた人は、みな出口から出ていってしまい、寺田寅彦だけが残されました。
お会計をしようかと思いましたが、レジにも誰もいなくなってしまったのです。
ボーイさんが戻ってきたので、お会計を済ませ、店を出ると、異様な黴臭い匂いが鼻をつきます。
家へ戻って
寺田寅彦は常に冷静沈着なのです。
一方、芥川龍之介は正反対です。
大震災ののち、焼死体をたくさん見ます。
たいていの死骸は手足を縮めているそうです。そんな中で、布団の上で、足を伸ばし、手を胸の上に組み合わせている死骸を見つけました。
芥川龍之介は、この人は苦しみ悶えたのではない、静かに宿命を迎えたのだ、もし顔が焦げていなかったら、唇に微笑を浮かべていただろうと、空想します。
しかし妻にその話をすると、「それはきっと地震の前に死んでいた人の焼けたのでせう」と一蹴されてしまうのです。
言われてみればそうかもしれないけれど、小説家としての空想を踏みにじられ、おもしろくありません。
ちなみに芥川龍之介の妻、文さんの手記によると、文さんとお舅さんはまず寝ている子どもを助けに2階へあがったのに、龍之介はひとりで玄関から逃げようとしたそうです。
また後日、菊池寛と会い、あの地震は◯◯のしわざらしいね、と陰謀論を唱えると、「嘘だよ、君」と叱咤されます。
善良なる市民なら陰謀論を信じなくてはならないし、信じられなくても信じている顔をしなくてはいけない、ゆえに菊池寛は善良な市民ではない、と断じています。
もう1つ面白かったのは、芥川龍之介が
と書いているところです。
あの渋沢栄一をして、そんな非科学的ことを?
これに対して菊池寛が、
あらら、痛烈。
渋沢栄一、文豪にはあんまり人気がなかったのかな。
震災後の火災は3日間続きました。
泉鏡花はこう書いています。
ロマンチストの面目躍如。
最後にもう一人ご紹介します。
田山花袋。
火から逃れた人は、大川に逃げ道を阻まれ、焼死するか溺死するか、しかなかったようです。
しかし井戸の折れ曲がった鉄管から、綺麗な水が流れ出しています。
さすが「蒲団」の文豪。
こういう状態でも、新しい恋愛をするだろう、人間はそんなに弱くない、という前向きな考えとして、性慾を出しています。
田山花袋にとって性慾=生きるバイタリティなのかしら。
ほんの一部分だけを抜粋しました。
実際には、どの文豪たちも、関東大震災がどれほど凄まじかったか、巧みな筆致で書いていますし、防災や、その後の考え方のヒントが盛り沢山です。
そんな中で、文豪の個性が出ていて微笑ましい、と感じた(私見)ところだけを抽出しました。
ご理解ください。
最後までお読み頂きありがとうございました。
<カバー写真>
炎上する帝国劇場 「災害」NHKアーカイブス
<参考資料>
寺田寅彦「震災日記」 青空文庫
芥川竜之介「大正十二年九月一日の大震に際して」 青空文庫
芥川文『追想芥川龍之介』筑摩書房 1975年
菊池寛「災後雑感」『菊池寛全集』武蔵野書房 2002年
泉鏡花「露宿」 青空文庫
田山花袋「地震の時」 青空文庫