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文豪たちの関東大震災

大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災から、101年。

関東大震災に関して書いた、当時の文豪たちのエッセイを覗いてみました。


寺田寅彦氏は、私のもっとも好きな文筆家のひとりです。

寺田寅彦 自画像
出典:愛知県立文学館

本業が物理学者だからか、科学の視点が入っているところが魅力的。

振動の一番最初を

「椅子に腰かけている両足の蹠を下から木槌で急速に乱打するように感じた」

そうです。

「仰向いて、会場の建築の揺れ工合を注意して見ると、四、五秒ほどと思われる長い週期で、みしみし、みしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。それを見たときこれならこの建物は大丈夫だということが直感されたので、恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。そうして、この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しようと思って骨を折っていた」

喫茶店にいた人は、みな出口から出ていってしまい、寺田寅彦だけが残されました。
お会計をしようかと思いましたが、レジにも誰もいなくなってしまったのです。

ボーイさんが戻ってきたので、お会計を済ませ、店を出ると、異様な黴臭い匂いが鼻をつきます。

「これは非常に多数の家屋が倒潰したのと思った、同時にこれでは東京中が火になるかもしれないと直感された」

家へ戻って

「縁側から見ると南の空に珍しい積雲が盛り上がっている。先年桜島大噴火の際の噴雲を写真で見るのと同じように、典型的のいわゆるコーリフラワー状のものであった。

翌日、巡査が「◯◯人の放火者が徘徊するから注意しろ」と云ったそうだ。井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえてくる。いったい何千キロの毒薬、何万キロの爆弾がいるであろうか、そういう目の子勘定からだけでも、自分にはその話は信ぜられなかった」

寺田寅彦は常に冷静沈着なのです。


一方、芥川龍之介は正反対です。

出典:河出書房新社『芥川龍之介』表紙

大震災ののち、焼死体をたくさん見ます。
たいていの死骸は手足を縮めているそうです。そんな中で、布団の上で、足を伸ばし、手を胸の上に組み合わせている死骸を見つけました。
芥川龍之介は、この人は苦しみ悶えたのではない、静かに宿命を迎えたのだ、もし顔が焦げていなかったら、唇に微笑を浮かべていただろうと、空想します。
しかし妻にその話をすると、「それはきっと地震の前に死んでいた人の焼けたのでせう」と一蹴されてしまうのです。
言われてみればそうかもしれないけれど、小説家としての空想を踏みにじられ、おもしろくありません。

ちなみに芥川龍之介の妻、文さんの手記によると、文さんとお舅さんはまず寝ている子どもを助けに2階へあがったのに、龍之介はひとりで玄関から逃げようとしたそうです。

また後日、菊池寛と会い、あの地震は◯◯のしわざらしいね、と陰謀論を唱えると、「嘘だよ、君」と叱咤されます。
善良なる市民なら陰謀論を信じなくてはならないし、信じられなくても信じている顔をしなくてはいけない、ゆえに菊池寛は善良な市民ではない、と断じています。

もう1つ面白かったのは、芥川龍之介が

「この大震を天譴てんけいと思へとは渋沢子爵の云ふところなり」

と書いているところです。

出典:wikipedia

あの渋沢栄一をして、そんな非科学的ことを?


これに対して菊池寛が、

出典:wikipedia

「もし地震が渋沢栄一氏の云ふ如く、天譴だと云ふのなら、やられてもいい人がいくらでも生き延びてゐるではないか。渋沢さんなども…自分の生き残つてゐることを考へて、天譴などとは思へないだらう」

あらら、痛烈。
渋沢栄一、文豪にはあんまり人気がなかったのかな。



震災後の火災は3日間続きました。
泉鏡花はこう書いています。

出典:泉鏡花記念館

「実は、炎に飽いて、炎に背いて、この火たとひ家を焚くとも、せめて清しき月出でよ、と祈れるかひに、天の水晶宮の棟は桜の葉の中に顕はれて、朱を塗つたやうな二階の障子が、いまその影にやや薄れて、凄くも優しい、威火柱の如く見えたのさへ、ふと紫にかはつたので、消すに水のない却火は、月の雫が冷すのであらう。火勢は衰へたように思つて、微かに慰められていたところであつたのにー
私は途方にくれた。ーなるほどちらちらと
「ながれ星だ」
「いや火の粉だ」

ロマンチストの面目躍如。


最後にもう一人ご紹介します。
田山花袋。

出典:田山花袋記念文学館

「すさまじい光景だ。」
「何も彼も皆焼けた。柳光亭も深川亭も亀清も皆焼けた。枕橋の八百松も焼けた。矢倉の福井も焼けた」

火から逃れた人は、大川に逃げ道を阻まれ、焼死するか溺死するか、しかなかったようです。

しかし井戸の折れ曲がった鉄管から、綺麗な水が流れ出しています。

「私はかういふ中での性慾状態を頭に浮かべてみたりした」

さすが「蒲団」の文豪。

こういう状態でも、新しい恋愛をするだろう、人間はそんなに弱くない、という前向きな考えとして、性慾を出しています。
田山花袋にとって性慾=生きるバイタリティなのかしら。



ほんの一部分だけを抜粋しました。
実際には、どの文豪たちも、関東大震災がどれほど凄まじかったか、巧みな筆致で書いていますし、防災や、その後の考え方のヒントが盛り沢山です。
そんな中で、文豪の個性が出ていて微笑ましい、と感じた(私見)ところだけを抽出しました。
ご理解ください。


最後までお読み頂きありがとうございました。




<カバー写真>
炎上する帝国劇場 「災害」NHKアーカイブス

<参考資料>

寺田寅彦「震災日記」 青空文庫

芥川竜之介「大正十二年九月一日の大震に際して」 青空文庫

芥川文『追想芥川龍之介』筑摩書房 1975年

菊池寛「災後雑感」『菊池寛全集』武蔵野書房 2002年

泉鏡花「露宿」 青空文庫

田山花袋「地震の時」 青空文庫


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